♯8 キスの味 後編

「……」


「……」


「……」


「お、お兄ちゃん……」


 若菜の顔が真っ赤になっている。


「今はお兄ちゃんはおかしいだろう」


「……」


「……い、い」


「い?」


いつきさん!」


「……っ」


「なんで目を逸らすんですか!」


「何か照れるなぁって」


「そ、そんなこと言ったら私もですよ!」


「……若菜」


「な、なんでしょうか!? いきなり名前を呼んで……」


「呼んでみたくなっただけ」


「……っ」


「若菜」


「い、いつきさん……」


「若菜」


いつきさん……」


「……若菜」


いつきさん」


「若菜」


いつきさん」


 なにかを確認するかのように何度もお互いの名前を呼び合った。


「……口調」


「え?」


「せっかく今日は二人だけなんだから」


「……」


「……お兄ちゃん」


「ダメじゃん」


「あっ!」


「呼び捨てでいいのに」


「いきなり呼び捨ては恥ずかしいよぉ」


「なんか呼び方がいっぱいあるもんなぁ……兄さんとかお兄ちゃんとか」


「……じゃあお兄ちゃんはなんて呼んで欲しいの?」


「恋人同士になれるときは名前で呼んで欲しいな」


いつき?」


「うん、そう言うのって慣れだけだから」


「慣れたらお母さんの前とかでも呼んじゃいそう」


「そのときはそのときだろ」


「……いいの?」


「もう気持ち抑えられないし」


「んっ――」


 俺は再び若菜にキスをしてしまった。







 それから随分時間が経ってしまったが、俺たちはようやく夕食の準備を終えることができた。


 俺も若菜の料理を手伝うことになったので、一人でやるよりは早く終わったと思う。


いつきさん、はい、あーん!」


「一人で食べられるって!」


「たまにいいじゃん! こんなに堂々と彼氏彼女できるの今日くらいしかないんだから」


「というか、なんで二人しかいないのに隣同士に座ってるんだよ俺たちは!?」


「くっつきたいから」


「……」


「あっ、黙っちゃった。いつきさんって電話のときもそうやって黙っちゃうときあるよね」


「照れてるの!」


「可愛い~」


 どこかふっ切れた若菜が、まるで小悪魔みたいに笑っている。


「はい、口をあけて」


「はいはい……」


「あーん」


「……あーん」


「美味しい?」


「……美味しい」


「はい、じゃあ私も」


「?」


「私にも食べさせてよ」


「あー、そういうことか」


いつきさんは鈍いなぁ。だから何年も私の気持ち分からなかったんだ」


「だって、まさか若菜が俺のこと好きでいてくれるなんて思わないだろう」


「にぶちん」


「うるさいなぁ、ほらあーん」


「あーん」


「美味しいか?」


「うん! 樹さんに食べさせてもらっていると思うと倍美味しい!」


「言ってて恥ずかしくならない?」


「……なる」


「それにお互いの箸使ってるから間接キスになっちゃってるし」


「さっき直接したじゃん」


「……」


「あっ、また照れてる。いつきさんからしたんだからね」


「うるさいなぁ」


「もう一度する?」


「……若菜ってもしかしてキス魔?」


「そんなの分かんないよ。初めてだったし」


「キスの味とかよく分かんないこと言ってた――」


「んっ!」


 今度は若菜からキスされた。


「黙らせた」


「やっぱりキス魔じゃん……」


いつきさんは細かいことうるさい」


「……で、味はどうだったんでしょうか?」


「ハンバーグの味がした」


「直前まで食べてたやつじゃんか」

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