♯7 キスの味 前編

「兄さん、明日から夏休みですね」


「だなぁ」


 無事に期末試験が終わり、一学期の終業式が終わった。


 若菜と付き合い始めて半月ほどだろうか。

 こんな風に二人で帰るのも慣れてきた。


「宿題は早めにやらないとダメですよ」


「分かってるって」


「それならいいのですが」


「若菜、夏休みの予定は?」


「友達と買い物に行くくらいですね。そういう兄さんは?」


「俺もクラスの友達と遊びに行くくらいかなぁ」


「クラスの友達?」


「うん、クラスの友達」


「……女の人はいるんですか?」


「それ聞く?」


「はい、とっても気になります」


「……いるわけないじゃん」


「……本当に?」


「なんでそんなに気になるのさ」


「言わないと分からないんですか?」


 若菜は俺の方を見ることなく、視線は真っ直ぐ前を見たままだった。


「……そういう若菜は買い物は誰と行くのさ」


「気になります?」


「気になる」


「……」


「な、なんだよ、その間は」


「いえ……そんな風に言ってもらえるの嬉しいものだなぁと思いまして……」


「で、結局どうなの?」


「同性の友達ですよ。だから安心してください」


「そっか」


「……」


「……」


「兄さん」


「なに?」


「浮気は絶対にダメですからね」


「お前もな」


「私は兄さんと以外なんて考えられないですから」







「えっ? 父さんたち法事で二日も留守にするの!?」


「そうらしいです」


 家に帰ると、母さんが出かける支度をしていた。

 どうやら急な法事で父さんと母さんは家を二日ほど空けるらしい。


 そうなるとこの家には俺と若菜しかいなくなってしまう。


「……メシどうする?」


「お、お母さん、お金置いていきましたから何か買ってきますか?」


「そうするかぁ……若菜料理作れないもんな」


「食べたいんですか……?」


「ん?」


「私の手料理、食べたいんですか?」


「そりゃあなぁ。彼女の手料理食べたいっていうのは彼氏としては当然あるけどな」


「……っ!」


「……」


「……」


「若菜? どうしたの?」


「じゃ、じゃあ頑張ってみます……」


 若菜が俺から目線をそらしてた。


「じゃ、じゃあお買い物に行ってきますので!」


 若菜がお金を握りしめ、足早に外に出ていってしまった。


「なんでそんなに急いでるんだあいつ……?」







 ――今、俺はリビングで若菜の料理の完成を待っている。



トントントン



 キッチンでは若菜がピンクのエプロンを付けて、今日の具材を広げていた。どうやらさっき話題に出たハンバーグにチャレンジするらしい。


「ふむふむ、それで――」


「めっちゃ携帯見てる……」


「レシピ通りにやれば失敗しないはずですから」


「手伝う?」


「いえ……私一人で大丈夫です。兄さんは私に近づかないで下さい」


「近づくなって」



トン……トントントン


トントン……トン……トン



 若菜が包丁でたまねぎを切り始めた。

 不規則なまな板の音がこちらに聞こえてくる。


「うぅ……目が染みます」


「大丈夫?」


「なんとか……」


「俺も待ってるだけだと暇だから手伝うって」


「だ、だから兄さんは私に近づかないでくださいって!」


「さっきから近づくなってどういうことだよ……」


「そ、それは……痛っ!」


「若菜!?」


 若菜の痛そうな声が聞こえてきたので、俺は急いでキッチンに向かった。


「ど、どうした?」


「すいません、ちょっとだけ指切っちゃったみたいです。血もちょっとだけですから……に、兄さん、あんまり近づかないでください」


 そう言いながら若菜が俺から距離を取ろうとしている。


「でも……」


「これくらいツバつけとけば直ります」


 若菜が怪我した指を口に当てている。


「ちょっと絆創膏張ってきますから」


 若菜がまた俺から離れようとしている。


「絆創膏なら俺が取ってくるって! なんで逃げる!」


「け、決して逃げているわけでは……」


「いいからちょっと待ってろって!」







「ほら、指出しなって」


「ば、絆創膏くらい自分で貼れますから!」


「ちゃんと消毒しないと」


「も、もう! 全然話聞いてくれないんですから!」


「だって、若菜、俺から離れようとするし」


「だ、だからそういうわけでは……」


「買い出しだって一人で行っちゃうし」


「そ、それは……」


「もしかして母さんたちいないの意識してる?」


「う゛っ!」


「大体、俺たち二人しかいないのに口調はそのままだし」


「こ、これが普通の私なんです!」


「うん、知ってる」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……だ、だって急に二人きりになったらどうしたらいいのか分からないじゃないですか! 兄さんか彼氏彼女とか言うからどうしても兄さんのこと意識してしまうんです!」


「こうして二人きりになるの初めてだもんなぁ」


「そ、そうですよ! だから――」


 若菜がなにか言い終わる前に、俺は若菜の口を自分の口で塞いだ。


「――えっ?」


 若菜から一瞬驚い声が漏れた。


 唇にほんの少し触れるだけだったが、俺は間違いなく若菜にをしていた。


「ごめん」


「なんで謝るんですか……?」


「急にしちゃったから」


「……」


「俺たち恋人同士なんだから逃げることはないんじゃないかなぁって」


「……足りません」


「えっ?」


「それに今のじゃ全然分かりませんでした」


「何が?」


「キスの味」


「……キスに味なんてあるの?」


「レモンの味とか言うじゃないですか……」


「あー、それは聞いたときはある」


「私のファーストキス、全然分からないままじゃ嫌です」


「……」


「……」


「……」


「……」


 俺たちはお互い、自然に引き寄せられるようにのファーストキスをした。


 キスはほんの少しだけ血の味がした。

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