第3話 初めまして、旦那様
翌朝早くに目が覚めたエリーヌは、何度か瞬きをして脳を起こそうとする。
再び目を閉じた彼女はそのままもう一度眠ってしまいそうになった。
「おはようございます、エリーヌ様」
「……ロザリアさん?」
「さんは結構ですよ」
「でも私はまだ18の人生ひよっこですから」
「ふふ、寝ぼけていらっしゃるのですか? 私がそう呼んでほしいのです。お願いできませんか?」
柔らかな微笑みをエリーヌに向けると、カーテンを開けて日の光を部屋に取り込む。
「う……」
「エリーヌ様は朝が苦手なのですね」
「はい……かなり」
ロザリアはもう一度窓の方へ向かうと、もう一つ薄いカーテンをして戻って来る。
いくらかましになった日差しの強さに、エリーヌはようやく身体を起こして立ち上がった。
「朝食が出来ておりますが、いかがいたしますか?」
「ええ、いただきます」
「では、お支度いたしますね。こちらにおかけください」
椅子に座ったエリーヌの長い髪を梳いていく。
綺麗な髪ですね、と言いながら優しい手つきで整える。
髪を整えた後にエリーヌはドレスを選ぶと、それを着て朝食へと向かった──
「おはようございます」
シェフが頭を下げて挨拶をする様子を見て、エリーヌは昨日から疑問に思っていたことを口にする。
「そういえば、こちらのお屋敷はあまり人がいらっしゃいませんね」
確かにエマニュエル邸に来てから数人しか使用人に会っていない。
(私の屋敷でももう少しメイドや執事がいたけれど……)
その疑問にロザリアが申し訳なさそうに答えた。
「うちの主人、アンリ様があまり人が多い屋敷が好きではないと最少人数にしておりまして。もしご不便をおかけしておりましたら、アンリ様にそのようにお伝えいたしますが、いかがいたしましょうか?」
「い、いいえっ! とんでもないです!! 私も何も不便はございませんので、それでお願いします!」
「左様でございますか。では、奥様もそのように仰せだったとお伝えいたします」
「お願いします」
ロザリアと話をしているうちに、シェフが料理の仕上げをして彼女に合図をする。
その合図を受け取ると、キッチンからワゴンに乗せて料理を運んできた。
「朝は軽くパンやフルーツなどを中心にさせていただいておりますが、お口に合いますでしょうか?」
「もちろんです。私も少しで大丈夫です」
「かしこまりました」
その返答を料理担当であるシェフも遠くから聞き、小さく頷いた。
朝食が済んだため、エリーヌはシェフに挨拶をしてダイニングを後にする。
廊下にも朝の日差しが入り込み、明るく照らされていた。
(今日はお屋敷を見させていただいて……それから……)
そう思っていたエリーヌは廊下の角で誰かとぶつかってしまう。
「──っ!!」
バランスを崩して後ろに倒れてしまう、そう思ったが、そうした身体の衝撃は来なかった。
代わりになんだかふんわりと花の香りがするしっかりとした腕に支えられて、エリーヌは見上げる。
「あ……」
エリーヌの瞳にはシルバーの長く美しい髪が映り、その奥にあるアメジストの瞳がこちらを見ていることに気づく。
(なんて綺麗な人……)
端正な顔立ちだが細身ですらっとしている。
面立ちは優しそうで整っており、気後れするほどだった。
「あ、え?」
「アンリ様っ!」
(え……? アンリ……様? って、まさか)
「旦那様でしょうか?」
エリーヌのその問いに彼は答えず、隣に駆け寄った側近のディルヴァールに問いかける。
「この娘は誰だ?」
「今朝もお話したアンリ様の奥様、エリーヌ様でございます」
「俺は、結婚したのか?」
「「はい??」」
あまりのすっとぼけた返答にエリーヌも、そしていつも冷静なディルヴァールでさえも目を点にして聞き返した。
そしてディルヴァールはすべてを理解したというように頭を抱えて、目を閉じる。
「アンリ様、またお話を聞いていませんでしたね?」
「ん? 俺は聞き逃してないぞ」
「い・い・え!! 結婚に関しては一昨日国王の署名付きの手紙をお渡ししたはずです」
「う~ん」
そんなやり取りをしている最中、エリーヌは何か床に落ちていることに気づき、拾い上げた。
「もしかして、これでは……?」
そこにはバッチリと国王の署名付きのエリーヌとアンリの結婚証明書があった。
しかもそこによく見ると、アンリのサインまでしてある。
「あ……」
「アンリ様? いい加減に内容を見ずに署名するのはおやめくださいっ!!」
「ごめん……でも……」
アンリは言葉を濁しながら目の前にいるエリーヌを見つめる。
あまりにもじっと見つめられてはさすがに何か不愉快だったかもしれないと思って謝った。
「申し訳ございません! 不愉快なことがございましたらおっしゃってください。改善いたします」
「い、いやっ! そうじゃないっ! そうじゃないんだ!! ただ……」
アンリはそこまで言うと、後は任せたと言ってその場を立ち去ってしまう。
「あの……やはりアンリ様の気に障るようなことをしてしまったのでしょうか?」
「いいえ、奥様は何も悪くありませんね。これは、何か面白いことが始まりそうですね」
「え……?」
そう言ってわずかに微笑むと、そのままアンリの後を追いかけた。
「私、やっていけるのかしら……」
エリーヌは心の中でそう思いながら、自室へと戻った。
ディルヴァールはアンリの後ろ姿を見つけると、そのまま背中に話しかける。
「そうやって壁に向かって照れた顔をお隠しになるのはおやめください」
「なあ、ディルヴァール」
「はい、なんでしょう」
「俺の奥さん、あんな可愛いの?」
「ええ、そうですよ」
「あんな可愛い子が俺と結婚?」
「はい」
「俺……すごい好きかも」
「はい、そうですね」
自分の主人とその側近がこんな会話をしているとは、エリーヌは夢にも思わなかった──
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