第2話 公爵邸へようこそ

「痛いっ!!」

「おとなしくここにいろっ!!」


 衛兵に王宮にある牢屋に入れられたエリーヌは、冷たい床に座り込む。

 もう一度歌を歌おうとしても奏でられない──


 夜会も終えた頃であろう時に大きく重い牢屋に入る扉が開いた。

 眩しい光に思わずエリーヌは目を細めて、少し視線を逸らす。


「まあ、無様ね」

「ロラ……!」

「どう? 歌声も失って、婚約者も失って、何もかもなくした気分は~?」


 真っ赤なルージュを大きく開きながら嬉しそうに笑みをこぼしていうロラに、エリーヌは問いかける。


「あなたがしたの……?」

「ええ、そうよ。満足いただけたかしら?」

「何でこんな、こんなこと」

「あなたは親友と思っているのかもしれないけれど、私は一度もそう思ったことないわよ。あなただけよ。もう親友ごっこはお・わ・り」


 人差し指を牢屋の中に向けて楽しそうに言うロラ。


(そうか、ロラが……。ロラが全てやったの……)


 悟りを開いたような、全てを悟ったようなそんな表情を浮かべるエリーヌに、ロラは苛立ちを隠せない。


「その澄ました顔が大嫌いなのよっ! なんでもそうやって無欲なふりして手に入れて……でも、もう終わりね? あなたはもう歌姫としての地位を失った。それに婚約者も私のもの」


 高いハイヒールを鳴らしながらドアのほうへと歩みを進めていく。

 そして扉に近づいた時に、あっとわざとらしい声をあげた後にエリーヌに告げた。


「あなたを獄に入れるのは面白くないから、あの『毒公爵』に嫁ぐように私からゼシフィード様に進言しといたから。明日にはそうなってるかもね。ふふ、『毒』で私を殺そうとしたあなたにぴったりじゃない!」


 ふふ、と口元に手を当てて笑った後、こらえきれないという様子で声をあげながら去って行った。


(毒公爵……あの、毒の研究で引きこもってるっていうあの噂の……?)


 『毒公爵』と悪名高い名がつけられたその人は、アンリ・エマニュエルといった。

 彼は社交界や王族関係式典などにも滅多に姿を見せず、さらに危ない毒物の研究をひっそりとやっているということで、人々は良い噂をしない。

 エリーヌ自身は一度だけ遠めに式典の際に見たことがある。

 だが、王族の衣装を身に着けて顔を伏せていたのであまりどのような人物なのかはわからなかった。


(毒……私、実験台とかにされるのかしら?)


 エリーヌの頭の中では怪しいガラス瓶に入れられた毒物を飲まされる光景が浮かび、身体を震わせる。

 しかし、ふと別の事も頭に浮かんだ。


(ああ、そうね、それくらいのほうがもう恋もしなくていいかもしれないわね)


 婚約者にも信じてもらえず、親友に裏切られ、恋人を奪われた彼女はもう生きる気力を失いかけていた。

 少なくとも政略結婚なら相手にも恋愛感情はないだろう、と考えた。


(私は夫を支えればいい、私はもう恋をしなくていいんだ……)


 彼女はそんな風に考えているうちにうとうとと眠気が来てしまい、壁に寄りかかって眠った──




 翌朝早くに衛兵が乱暴に牢屋を開ける音でエリーヌは目が覚めた。


「おい、今すぐ馬車に乗れ」


 戸惑う暇も与えられないまま馬車に投げ込まれ、一時間ほど馬車に揺られた。


(かなり森のほうへとやってきたわね……)


 王宮から出て市街地をしばらく走っていたが、数十分もすればずいぶんと田舎道を走っている。

 さらに森を二つほど抜けた後、大きな湖が見えた。


「綺麗……」


 水面に太陽の光が反射してキラキラと輝いている。

 さらに大きく細身と白い鳥が何十羽か群れを成して飛んでいくのが見えた。


(この国にこんなに綺麗な環境の場所があるなんて……!)


 初めて見る自然の豊かさに感情を動かされたエリーヌは、そっと目を閉じてみる。


(大丈夫、怖いことは何もないわ)


 心を落ち着かせた頃に馬車はゆっくりと停車した。


「降りてください」

「は、はい……」


 ようやく目的地にたどり着いたようで、馬車から降りて辺りを見渡す。

 目の前には大きな屋敷、そして周りは森のように鬱蒼と生い茂っていた。


「ここが……」

「エマニュエル公爵邸でございます。それでは、私はこれで」


 御者はすぐに馬を走らせて王宮の方へと帰っていった。



 馬車を見送っていると、後ろの方から声がした。


「エリーヌ様、お待ちしておりました」

「わっ!」


 突然の人の声に驚いて肩をあげてしまうエリーヌ。


「驚かせてしまい、申し訳ございません。私はアンリ様の側近のディルヴァールでございます。主人が仕事のため代わりに屋敷の案内をさせていただきます」

「よろしくお願いいたします」


 彼は黒色のアシンメトリーな髪型をしており、公爵家の側近ということだけあり皺ひとつない身なりをしている。

 エリーヌは深々とお辞儀をして彼について屋敷に足を踏み入れた。



「ここが、エリーヌ様のお部屋でございまして、お好きにお使いください」

「ありがとうございます」

「私は仕事で失礼しますが、すぐにメイドがまいりますので、少々お待ちくださいませ」

「はい、ありがとうございました!」


 ディルヴァールは背筋の伸びた綺麗な姿勢で礼をすると、そのまま部屋を後にした。


 メイドを待つ間に部屋を見渡すが、長年使っていないのかヴィンテージの家具が目立つ。

 深いブラウンの机に本棚、部屋の真ん中にあるテーブルには一輪背の高い白色の花が咲いている。


(落ち着いた雰囲気の部屋……)


 これまでの実家は母の趣味で少し派手めの家具が多かったため、こうした色合いの部屋や家具は新鮮だった。

 それに彼女自身の好みにも合っていた──



 しばらくして部屋の扉をノックする音が聞こえたエリーヌは、どうぞと返事をする。

 先程言っていたメイドだろう20代前半くらいでエリーヌより少し年上の女性が紅茶を運んで来た。


「はじめまして。エリーヌ様のお世話をさせていただきます、ロザリアと申します。紅茶をお持ちいたしましたので、よかったらお召し上がりください」

「ありがとうございます。それと、よろしくお願いいたします。あの……アンリ様は……」


「夕食時には来られるかと思います」

「わかりました、ではその時にご挨拶を」

「かしこまりました」




 夕食の席についたエリーヌはどのような方が来るのかそわそわとしながら、アンリの到着を待っていた。


 しかしいくら待っても来なかった。

 しばらくしてやって来たのはディルヴァールだった。


「ディルヴァール様……?」

「ディルヴァールとお呼びください。アンリ様が仕事で来られないことになりまして、申し訳ございません」

「そうですか、ではまたお会いできるときを楽しみにしております、とお伝えください」

「かしこまりました。必ずお伝えいたします」


 そう言ってディルヴァールは一礼してダイニングを去って行った。



 夫婦が会合するまであと15時間──

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