第36話 終わりと始まり
「雪村専務…そんな…」
自分のせいでシャルドンがクオリティの低い商品を仕入れようとしている、そんなことが起こるとは思わなかった。
(迷惑をかけたくないって言ったくせに…)
茉白は申し訳なさで俯いた。
「真嶋さんが、これをLOSKAの名前で販売したいと言うなら—ですが。」
(え…)
「LOSKAの商品は現在弊社では売上好調なデータが出ているし、それを根拠にすればクオリティの低い商品でも一度くらいは仕入れられますよ。」
遙斗は淡々とした口調で言った。
「ただし、その先の売上は見込めないでしょうから、売れなければ切りますが。」
「そこを雪村専務の権限で仕入れ続けて欲しいと言っているんですが?わかりませんか?」
影沼が言った。
———はぁ…
遙斗はまた溜息を
「真嶋さんが守りたいLOSKAって、こんなものを売る会社なのか?」
「え…」
「君が犠牲になった結果がこれでいいのか?」
遙斗は茉白の方を見た。
「…それは…」
「茉白さん、Amselの協力がなければLOSKAは本当に
影沼が言った。
「………」
「商品のクオリティが下がって、信頼してた仲間は辞めて、社長は彼の言い成り…それは真嶋さんが守りたいLOSKAなのか?」
遙斗は茉白の目を見て言った。
茉白の脳裏に父と母、そして莉子たちLOSKAの社員の顔が浮かぶ。
「……ちがいます…」
「茉白さん!いいんですね?LOSKAが潰れても—」
「いいです」
茉白は影沼を見ず、遙斗の目を見て言った。
「こんなの、LOSKAの商品じゃないです。LOSKAの名前で売りたくないです。」
「…これからずっとこんなものを売り続けるなら—」
「LOSKAは潰れた方がマシです…」
———はぁ…
「…信じられないな、縞太郎さんも娘に裏切られてがっかりするだろうな。」
影沼に吐き捨てるように言われ、茉白の心がズキ…と痛み、茉白の目から涙が溢れる。
(仕方ないけど、LOSKAはもうダメだ…)
「そうだな。これでLOSKAは潰れた。」
遙斗の言葉に茉白の息が詰まる。
(…無くなっちゃうんだ…)
「だから今日から新しいLOSKAになる。」
遙斗が言った。
「え…?」
「LOSKAはシャルドンが買収する。」
茉白は遙斗が何を言っているのか、全く理解できなかった。
「買収…?」
状況を飲み込めない茉白に遙斗が頷いた。
「LOSKAはシャルドングループの傘下に入る。」
(買収…?傘下…?)
「天下のシャルドンも後継者は頭が悪いみたいだな。」
呆気に取られていた影沼が口を開いた。
「シャルドンになんのメリットも無い会社を女のために買収するなんて。」
(…メリット…そう…)
「そうです…シャルドンに何のメリットも無いのに、買収なんてだめです…!!」
茉白はやっと状況が飲み込めた。
「だめです…」
茉白は首を横に振った。
「メリット無しに買収するわけないだろ。」
遙斗は茉白に言った。
「小さくなる折り畳み傘—」
「え…」
「LOSKAはあの傘の構造で特許を取ってる。その特許ごとシャルドンが買う。」
「でもあれは…売れなかった商品で…」
「前にも言ったけど、LOSKAはプロモーションが下手過ぎる。あの傘は小さなバッグに入れられる上に畳むのが簡単な点で世間のニーズに合ってるよ。LOSKAはカタログ作りから商品のタグまでそれを伝えるのが下手だだったから売れなかったんだ。シャルドンのプロモーション力があれば必ず売れる。」
「…本当ですか…?」
信じられないという顔で茉白が聞いた。
「君のお父さんは優秀な発明家だったみたいだな。特許をいくつか持ってる。なぜか本人が忘れているものばかりなんだけど、それも洗い出して商品化の企画をしていくつもりだ。」
「父はそういうことに無頓着な人間なので…きっと母が申請したんだと思います……って、え…父に会っ—」
———コンコンコン
誰かがドアをノックした。
「失礼します。」
部屋に入って来たのはスーツ姿にショートヘアの女性だった。
「彼がAmselの責任者です。」
米良が女性に言った。
「影沼常務、先日納品いただいたマニキュアですが—」
米良が今度は影沼に言った。
「提出いただいている商品カルテにも商品のラベルにも“日本製”と書かれているのに、なぜか日本での使用が禁止されている成分が検出されましたよ。なぜでしょうね?」
米良は冷たい口調でにっこり笑って言った。
「そ、それは…」
「彼女がコスメ部門の商品管理の責任者です。別室でいくつか質問させていただきますので、どうぞそちらへ。」
(マニキュア…)
茉白はAmselで見た外国語の書かれた箱を思い出した。
(もしかして偽装…?)
「週刊誌に情報提供しますよ!?他人の婚約者を寝取ったって。」
影沼が往生際悪く言った。
「好きにしろよ。」
遙斗が心底面倒くさそうに言った。
「あんたと彼女は正式に婚約なんてしてないし、婚約してたなんて証言する人もいないだろ。」
「そ、そんなこと…」
「だいたい、週刊誌なんてとっくに根回し済みだ。あんたじゃどうにもできないよ。」
(え…!?)
影沼は
影沼がいなくなり、茉白、遙斗、米良の三人になった商談ルームはしばらくシン…と音を失った。
口を開いたのは茉白だった。
「…根回しって…?」
「ひとの新婚旅行中に面倒な依頼をしてくる大迷惑な御曹司がいまして…」
米良が言った。
「写真を撮られたと思うから、茉白さんの情報は一切出させずに、でも記事は掲載させろって無理難題を押し付けられました。」
「え…撮られたって気づいてたんですか?ならどうして掲載させろなんて…」
「一緒の雑誌に載ったら嬉しいんだろ?」
「え…!?」
遙斗がいじわるな笑顔を見せた。
「ていうのは冗談だけど、こうでもしないと事が動かないからな。どうせあのまま影沼と結婚するしかない、とか思ってたんだろ?」
「……はい…」
茉白はバツが悪そうに言った。
「…マンションの駐車場のセキュリティが甘過ぎるのは問題だけどな。」
「…あの…買収って…」
「あ、遙斗、茉白さんに肝心なこと言ってないだろ。」
米良が言った。
「そうだった。」
「え?」
「シャルドンがLOSKAを買収するのには一つだけ条件がある。」
「条件?」
「社長は真嶋 茉白。それ以外は認めない。」
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