第34話 魔法が解ける朝
気づくと茉白は、遙斗の胸の中で堰を切ったように泣いていた。
「ごめ…なさ…ジャケットが…」
「余計なことは気にしなくていい」
遙斗は茉白の頭を撫でて優しく言った。
「…きょお…」
「うん?」
「…莉子ちゃんが辞めるって…言って…」
茉白はまとまらない言葉でポツリポツリと話し始めた。
「佐藤…さんも辞めちゃうんです…」
「うん」
遙斗には佐藤が誰だかわからないはずだが、茉白の言葉を相槌をうちながら静かに聞いた。
「莉子ちゃんのことは…妹みたいに思ってて…でもいろいろ教えてもらって…」
「うん。莉子先生だもんな。」
茉白は胸の中で小さく頷いた。
「影…沼さんは…数字が全てって言って…」
「…うん」
「Amselの人は…企画書、見てもくれなくて…」
「うん」
「…わたしの絵じゃ…何もわからないって…」
「それはちょっとAmselに同情するけど…」
「………」
「うそうそ」
「……いままで大事にしてきたことが…全部…だめって言われて…」
「うん」
「…でもたしかに数字は…伸びてて…でもそれ…もよくわからなくて…」
「…うん」
「父は…」
茉白が言葉を詰まらせる。
「お父さんが?」
「…父は…LOSKAは影沼さんが継ぐって…」
茉白の手が遙斗のジャケットをギュと強く掴む。
「……どこかで、LOSKAは私が継ぐって…思ってたんです…娘だからとか、そんなんじゃなくて…LOSKAが好きで、誰よりも努力してきたつもりだから…でも…そんなの……わたしの…思い込みだったみたいで…」
そこまで言うと、茉白は言葉を失くしてまた泣き出した。
「……そっか」
遙斗はしばらくそうして茉白を抱きしめながら、時々宥めるように頭を撫でた。
「茉白はどうしたい?」
しばらくして茉白が泣き止むと、遙斗は茉白の目を見て言った。
「え…」
「茉白が助けて欲しいって言えば、俺なら助けられるよ。」
「………だ、だめ…です…それは…」
茉白は慌てたようにまた首を横に振った。
「なんで?」
「だってそれは…シャルドンには…雪村専務にはマイナスでしかないから…ご迷惑はおかけできないです…」
「頑固だな…」
遙斗は困ったように苦笑いをした。
「なら…影沼と結婚するの?」
「………そんな質問……ひどい……です…」
想いが通じ合っても遙斗と結婚できるとは思えない以上、茉白の選ぶ道は同じだ。
「じゃあ質問を変えようか。」
「………」
「影沼と結婚したい?」
遙斗は茉白の目をまっすぐ見据えた。
「………」
茉白は目を潤ませて首を横に振った。
「…たくない…したくない…です…」
遙斗はまた茉白を抱きしめた。
「……雪村専務以外のひとに…」
「うん」
「……触れられたくない…です…」
———はぁ…
遙斗は溜息を
「煽るのが上手いな…」
遙斗は茉白のほつれた前髪を避け、頬に触れた。
「そんな
茉白はコク…と小さく頷いた。
遙斗は恥ずかしくなって俯いた茉白の顔を自分の方に向かせると、唇に触れるようなキスをした。
「俺は“専務”なんて名前じゃない。」
遙斗が茉白の耳元で囁くように言った。
「……は…ると…さん…」
「可愛いな」
茉白の
「…っ…んっ……」
キスが深くなり、混ざり合った吐息が熱を帯びる。茉白の手が不安気に遙斗の服を掴む。
「申し訳ないけど、今夜は家まで送れそうにない」
遙斗が車を停めたのは遙斗の住むマンションの駐車場だった。
茉白を車から下ろすと、指を絡めるように手をつないだままエレベーターに乗り込む。
茉白はドキドキと落ち着かず、まともに遙斗の方を見られずにいた。そんな茉白を遙斗は時折愛おしそうにみつめた。
遙斗の部屋のフロアに下りた瞬間、遙斗が茉白を抱き寄せてキスをする。
「だ、だめです…」
「このフロア、俺しか住んでないから大丈夫だよ。」
「…そ、そういう問題じゃ…」
「じゃあどういう問題?」
遙斗は不敵さを含んだ笑みを浮かべる。
「…いじわる…です…」
茉白は眉を八の字にして抗議にならない抗議をした。
高層階にある遙斗の部屋から見る夜景は、この夜を現実から遠ざける。
(…今夜だけ…)
——— 俺は誰かの思い出になるためにいるわけじゃないよ
(………)
遙斗さんの瞳の色
遙斗さんの息づかい
遙斗さんの匂い
「茉白」
…声
茉白は遙斗の熱を身体に刻むように目を閉じた。
深夜3時
茉白はまだ暗い外の景色を見ながら、元々着ていた自分の服に袖を通した。
ずっとアパレルショップの袋に入っていたのに不思議と遙斗の匂いがしたような気がして、胸がキュンと切ない音を鳴らす。
音を立てないように注意を払い、遙斗の部屋を後にしてタクシーに乗り込む。
(魔法が解けた気分…)
先程から止まらない涙を拭いながら、茉白はクスッと笑った。
(宝物みたいな思い出が増えたんだから、頑張らなきゃ…)
朝5時
目を覚ました遙斗は茉白がいないことには驚かず、予想通りという表情で溜息を
「あ、新婚旅行中に悪いな。ちょっと頼みがあるんだけど。」
電話の向こうからは不機嫌そうな米良の声が聞こえてくる。
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