第33話 LOSKAの魔法

「そういえば、LOSKAってどういう意味?真嶋さんがそんなに守りたがる会社の名前。」

遙斗が聞いた。

「LOSKAは…雪村専務の名字にちょっと関係があります。」

「雪?」

茉白は頷いた。

「フィンランドの言葉で“けかけの雪”って意味です。」

「へぇ…」

遙斗の顔を見て、茉白は小さく笑った。

「何?」

「雪村専務、今“雪がけて春が来る”みたいな…きれいな景色を想像したんじゃないですか?」

「え、うん。」

遙斗は不思議そうな顔をする。

「普通は社名にするならそういうきれいな言葉にしますよね。でも、LOSKAって画像検索してみてもらうと、水っぽくなってドロドロの雪が出てくるんですよ。そういう溶けかけの雪、なんです。」

茉白は笑って言った。

「父が北欧の言葉がかっこいいからって、よく調べずにLOSKAって付けるって決めて母に報告したそうです。母はしっかりした人だったからちゃんと意味を調べたみたいで、そしたら水っぽい雪のことだってわかって。」

「それでお母さんは反対したってこと?」

茉白は首を横に振った。

「その逆で、父はもっときれいな名前にしようとしたみたいなんですけど、母はドロドロで泥が混ざったような雪が素敵だって。気持ちが溶け合って、きれいなだけじゃない本音で語り合うみたいな感じが良いって言って、そういう会社、そういう空気を作れるモノづくりをする会社になって欲しいって…そういう理由でLOSKAに決めたそうです。父と母が一緒に付けた感じがして、意味も好きなので大好きな名前なんです。」

茉白は誇らし気な笑顔で言った。

「へえ、良い名前だな。」

「でも…しばらくして私が生まれるときには会社の名前はドロドロだけど、子どもの名前はキレイな名前にしようって…」

「ああ、だから—」


「茉白—か。」


ふいに遙斗が自分の名前を口にして、瞬間的に茉白の耳が熱くなった。

「…は、はい…そういうことです。」


——— マシマもマシロも大して変わらないし


(私、なにもわかってなかった…)


(…雪村専務の声で言われたら全然違う…)


それだけ遙斗が特別、遙斗のことが好きなのだと自覚する。

茉白の喉の奥がキュ…と息苦しく、熱くなる。


「会社を守るのは確かに難しいよな。名前だってただ残せば良いってもんじゃない。」

遙斗がつぶやいた。

「………」

莉子、佐藤、綿貫、そして、影沼と父の顔が浮かぶ。



「少しは気晴らしになりましたか?」

食事を終えた車の中で遙斗が冗談めかして言った。

「気晴らしには贅沢すぎです…」

なぜか不機嫌そうに言う茉白に、遙斗は笑う。

「今日もドライブに付き合ってよ。」

「…でも…私は…」

「まだ正式には婚約してないって米良に聞いたけど?」

「………」

「ハンカチのお礼がまだ足りてない。」

そう言って笑うと、遙斗は車を走らせた。


遙斗が向かったのはこの前と同じ展望公園だった。

「なんとなくわかってるだろ?ここに来た理由。」

「…会社のこと、ですか…?」

遙斗は頷いた。

「困ったことがあったら連絡しろって言ったはずだけど、一向に連絡が来ないから。」

「…困ったことがないから…です。」

茉白は目を逸らすように俯いた。

「さっきは仕事がうまくいってないって言ってた。」

「……気にかけていただけるのはありがたいですが…連絡するほどは困ってないんです…」

———はぁ…

遙斗は小さく溜息をいた。

「もうそうやって意地を張って大丈夫な振りをするのはやめないか?」

「………」

「君が一番、LOSKAの意味を理解してないみたいだな。」

「………」

「いつも本音を隠してる。」

「…でも、会社のことは…社内の問題なので…」

「じゃあなんでSNSにあんな投稿をした?」

「え…?」

「社外の誰かに聞いて欲しかったんじゃないのか?」

「待ってください…!あんなの一瞬で消したのに…なんで…」

茉白は困惑した表情で遙斗の顔を見上げた。

「たしかに、フォロワーが5人と6人じゃ全然違うかもな。」

遙斗は笑って言った。

「……クロさん…?」


——— 遙斗はあなたが思っている以上にずっと茉白さんとLOSKAのことを気にかけていますよ


「どうして…」

茉白はいつも聞けずにいた言葉を口にした。


「俺は…あのパーティーに君を招待したことを後悔してる。」

「後悔…?」

「あのパーティーが無ければ、君が影沼に会うことは無かっただろ?」

「そんな…後悔なんて言わないでください…!あの日のことは私にとっては…夢、みたいな…宝物みたいな…大切な思い出です…」

茉白が言うと、遙斗は右手の指の背で茉白の頬に触れた。茉白の心臓がトクン…と大きく脈打つ。

「俺は誰かの思い出になるためにいるわけじゃないよ。」

遙斗の目が寂し気に笑う。

「………」

「あの日、あのままドライブに連れ出してれば良かったな。」

「………え、えっと……」

遙斗が触れる頬が熱を帯び、茉白の鼓動がどんどん早くなる。

「どうして、なんて…単純な理由だよ。」


「君のことが好きだから、いつも君のことを考えてる。」


時間が止まってしまったように、遠くから聞こえていた車の走る音や木が騒めく音が聞こえなくなった。


「……う、うそ…そんなことあり得ないです…」


「嘘だな。君だって本当は気づいてただろ?」

茉白は首を大きく横に振る。

「…だって、だめです…そんな…シャルドンの雪村専務が—」


茉白の言葉を遮るように、遙斗は茉白を抱きしめた。


「だめとかいいとか、そんなんじゃなくて、君の本音が聞きたい。」


「………」


茉白は遙斗の背中に恐る恐る手を回し、遠慮がちにギュ…と力を入れる。


「……すき…です…」


遙斗が抱きしめる腕の力を強くする。

「茉白」

遙斗に呼ばれた名前が耳元から胸に響く。

茉白は心の中の踏み固められた雪が溶けていくような感覚を覚えた。

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