第32話 ハンカチのお返し

19時

茉白は一人残業をしながらデスクで今日の出来事を振り返っていた。

莉子の言葉と綿貫の言葉で、茉白はLOSKAの置かれている状況を把握した。

しかし、影沼に、Amselに頼る宛が無くなってしまってLOSKAがやっていけるのか?という不安はどうしても拭えない。縞太郎の影沼への心酔ぶりもまた、茉白を迷わせる。誰に何をどう相談すればいいのか…茉白にはあまりにも負担が大きくなり過ぎている。


——— もし、困ったことがあったら—その時は、真夜中でも早朝でも、俺に連絡しろ


また遙斗の言葉を思い出し、ダメだと否定する。

そんな茉白の目に、デスクに置いてあったワニのアイピローが映る。

(………)


茉白はワニを写真に撮り、涙顔の絵文字を付けてTwittyに投稿した。

やり場のない心の声を吐き出したい、そんな気持ちだった。

(…莉子ちゃんには会社の営業時間以外は投稿しちゃダメって言われてたんだった…。それにこんな私的な内容、莉子先生に怒られそう…)

莉子がSNSのことを楽しそうに教えてくれたときのことを思い出した。

———ピコンッ

少ししてTwittyの通知が鳴る。

(あ、クロさん…)

いいねを押されて、我にかえった茉白はなんとなく恥ずかしくなってすぐに投稿を削除した。


———プルル…

しばらくして、今度は茉白のスマホに着信があった。

(え…)


【雪村 遙斗】


「…はい…」

『真嶋さん、今電話大丈夫?まだ会社?』

「はい、あ…いつもお世話になっており—」

『あ、仕事の電話じゃないから挨拶とかいらない。』

「え、じゃあ…」

仕事ではないと言われ、茉白は戸惑う。

『真嶋さんに返してもらいたいものがあるんだけど』

「え」

『前に貸したハンカチ、返して欲しいんだけど。今持ってたりする?』

「あ…そうですよね…ずっと返さなきゃって思ってたのに忘れてて…今あります!」

茉白は返しそびれたハンカチをずっと会社のデスクに置いていた。

『じゃあ今から取りに行くから、ついでに食事でもどう?仕事忙しい?』

「え…仕事は…大丈夫ですけど…」

今日はもう仕事に集中できそうにないから帰ろうとしていた。

『じゃあ決まり。今から向かうからこの間のところで待ってて。20分くらいで着く。』

「え、あの」

遙斗は電話を切ってしまった。

(今日は服装がイマイチだし…さっき莉子ちゃんと泣いたからメイクもなんか微妙だし…)

それでも心のどこかで今この瞬間に遙斗に会いたいと思っていた。


先日と同じ場所で待っていると、遙斗の車が現れた。

「あの、これ…長い間すみませんでした。」

茉白は車に乗るとすぐ、ハンカチを返した。

「こんなの口実だから、別に返さなくてもいいんだけどね。」

「え…?」

「まぁいいや。ハンカチのお返しってことで、今日は俺の行きたい店に付き合ってもらおうかな。」

「で、でもこんな格好なので…それにあんまり高いお店はご馳走できそうにないです…」

茉白が恐縮して言うと、遙斗は笑った。

「たまには何も言わずに格好つけさせてよ。」


そう言って車を走らせた遙斗がまず向かったのは、シャルドン系列のアパレルショップだった。

「え…!?」

(ここって、シャルドンの高級ラインのお店…)

戸惑う茉白を無視して遙斗が店の前に立つとドアが開いた。思わぬ遙斗の来店に店員も一瞬驚いたような表情を見せたが、プロらしくすぐに笑顔になった。

店内は明るい照明に、華やかなものからシックなものまで高級そうな服が並んでいる。外の暗さとの対比で、どこか幻想的だ。

「彼女に似合う服、一式選んでもらえる?そのまま着てくからついでにメイクも服に合わせてしてあげて。」

(え…)(え…?)(え…!)

この店の店長らしき女性を中心に、ワンピース、靴、アクセサリー、そして小さなバッグまで一式があっという間にコーディネートされ、メイクだけでなくヘアメイクまで施された。

茉白が着せられたアイスブルーのAラインのワンピースは、上見頃がレースのレイヤードになっていて大人っぽさと可愛らしさの両方を感じるデザインだ。生地の質感から茉白でも上質なものだとわかる。

「…あの…これは一体…」

茉白は状況を飲み込めない。

「いいね。真嶋さんはブルー系が似合うよね。」

変身したかのように変わった茉白を見た遙斗が満足気に言うと、茉白は頬を赤らめた。

「じゃあ行こうか。」

「え、あのお金…」

「いや、うちの店だし。」

答えになっていないような答えで茉白を黙らせると、遙斗は茉白を車にエスコートした。


遙斗が次に訪れたのは高級フレンチレストランだった。

茉白は本来遙斗が来るべき店だ、と妙に納得したが自分自身には不釣り合いだとも思った。

「雪村専務…あの、もう少しなんていうかカジュアルなお店の方が…」

「席は個室だし、ドレスコードにも合ってるからそんなに緊張しなくて大丈夫だよ。」

茉白を落ち着かせるように、遙斗は微笑んで言った。

個室に通されると、飲み物も料理も茉白の好みに合わせて遙斗がオーダーした。

「…今日も米良さんはいらっしゃらないんですね。」

居酒屋とは比べ物にならないくらい緊張してしまい、無難な話題をさがす。

「新婚旅行に行ってる。」

「そういえばこの前お会いしたときに、もうすぐ行くって言ってました。」

「米良がいた方が良かった?」

「い、いえ…そういうわけでは…」

「じゃあ二人きりの方が良い?」

遙斗がイタズラっぽく笑って聞いた。

「え!?えっと…」

「俺は二人きりが良いよ。」

遙斗が急に落ち着いた声で言うので、茉白の心臓のリズムが早くなる。

(………)


「電話のときからなんか元気ないけど。」

「…………はい。ちょっと仕事がうまくいってなくて…」

いつもなら相手に心配させまいと否定する茉白だが、今回は素直に頷いた。

「会社を守るって、難しいですね…」

茉白はそれだけ言って困り顔で笑った。

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