第31話 莉子の気持ち

「レインの防水ポーチと防水バッグは綿貫繊維工業で生産予定でしたよね?」

影沼が茉白に聞いた。

「ええ、綿貫さんのところです。」

「綿貫繊維工業とは取引をやめることにしたので、今から他をあたって下さい。私の方でも探します。」

「え!?取引をやめるってどういうことですか!?」

「…こちらの要望に応える気がないと言われただけです。」

「要望?どんな…」

「茉白さんは余計なことは気にせず、他の工場を探してください。」

「でも、いきなり取引をやめるなんて…」

「利益を出せる工場としか付き合わない、当然のことです。」

影沼は吐き捨てるように言った。


(綿貫さんが…?)


(今まで綿貫さんが理由もなく要望に応えてくれないことなんて無かったけど…)


その日の午後

「どうしてですか!?」

莉子が影沼に声を荒げるのが、社長室の外からも聞こえ、茉白は思わず社長室の側に近づいて様子をうかがう。

「理由がわかりませんか?あなたがスワン用品店に何時間も入り浸って、大した売上をあげていないからですよ。スワン用品店にはもう行かないで下さい。」

影沼が淡々と言う。

「その日は受注が少なくても、後日の受注につながってます!」

———はぁ…

「こんな小さな店にわざわざ出向く時間がもったいない。どうしてわからないんですか?」

「スワンさんは直接の受注かFAXしか注文方法が無いから—」

「それが時代遅れなんですよ。そんな店と付き合う必要は無い。メールでの受注にできないなら取引中止します。」

「そんな」

———ガチャ…

「待ってください。」

茉白が社長室に入った。

「茉白さん…」

「なんですか?自分の仕事に戻って下さい。」

「スワンさんは塩沢さんが大事にしてきたお客さんです。彼女が担当になって、初期より随分受注が伸びました。それを彼女の言い分も聞かずに取引を中止なんて…」

「席に戻って下さい。」

「FAXだって直接の受注だって—」

「茉白さん、私はあなたの上司ですよ。」

「…でも—」

「茉白さん、もういいです。」

莉子が言った。


「もう、辞めるからいいです。」

涙声で莉子が言った。


「え、莉子ちゃん!?」

茉白は一瞬で顔面蒼白になる。

「そうですか、残念ですが仕方ないですね。退職の手続きを始めますので、退職届を持って来てください。」

影沼は莉子の顔も見ずに言った。

「そんな、影沼さん…」

「辞めたい人間には辞めてもらって構いません。」

影沼の言葉を聞き、莉子は社長室から泣きながら退室した。


「莉子ちゃん!」

泣いてしまい、席に戻れない莉子は階段の踊り場にいた。

「…ましろさん……ましろさぁん……」

莉子は茉白に抱きつくと、胸に顔を埋めて泣き続けた。茉白は何も言わず、なだめるように背中をポンポンと叩いた。


「ましろさん…もどらないと、怒られちゃう…」

しばらくして落ち着いた莉子が言った。

「そんなこと気にしないで。…それより、辞めるなんて嘘だよね?取り消しますって言いに行こ?」

茉白の言葉に莉子は首を横に振る。

「もうむりです…」

「え…」

「あの人…」

「影沼さん?」

莉子は頷く。

「茉白さんがAmselに行くようになってから、茉白さんがいない日にあの人が出社するようになって…いつも営業を集めて毎日の受注金額の目標を言わせて—」

「え…?」

「それに届いてない日があると、みんなと…社長の前で目標に届かなかった理由と反省の言葉を言わせて…吊し上げるみたいに…」

「え…嘘でしょ?」

自分の知らない話に驚く茉白に、莉子はまた首を横に振る。

「茉白さん、知らなかったんだ…」

莉子はどこか安心したような表情になる。

「先月の受注が増えたのは、あの人のやり方が良いんじゃなくて…みんなが無理矢理お店に頼んで納品したんです。後々返品してもいいとか、納品の金額を割引くとか…あんなの、お店に嫌われてすぐにダメになるって思います…」

茉白は莉子が言っていることが信じられなかった。莉子を信じられないわけではなく、自分の知らない間にLOSKAがそんな状況になっていたことが信じられない。

「社長には相談しなかったの?」

「社長はあの人に心酔するみたいに、なんでも言うこと聞いてて…」

それは茉白もなんとなく感じていた。

「…どうして私に相談してくれなかったの…?」

「茉白さんは、LOSKAが一番大事ってみんな知ってるから…社長とあの人の味方なんじゃないかって…みんな疑ってて…」

「そんな…」

茉白の胸がギュ…と苦しくなったが、ここ最近社内で感じていた疎外感の原因がわかった。

「だから、さっき庇ってくれて…今も、知らなかったんだってわかって…嬉しくて、ちょっと安心しました。茉白さんのこと、嫌いになりたくなかったので。」

莉子は泣いたまま笑顔を見せた。

「でも茉白さんはLOSKAを守りたいんだから、Amselとケンカになるようなこと、できないですよね。茉白さんの立場が辛いのはわかります…」

莉子の諦めたような顔に、茉白の胸が締め付けられる。

「だから茉白さんのことは応援してますけど…これ以上LOSKAでは頑張れません。ごめんなさい。」


(莉子ちゃんが辞めちゃうなんて…)


莉子は新卒の頃から茉白が面倒を見てきた特別な存在だ。それだけにショックが大きい。


——— 茉白さんが楽しそうで、私嬉しいです。


(莉子ちゃん…)



(影沼さん…本当に…?)



「あ、綿貫さん、LOSKAの真嶋です。」

茉白は綿貫工場長に電話をかけた。

『…茉白さん?なんの用ですか?』

明らかに冷たい声色の綿貫に、茉白は一瞬戸惑った。

「あの…」

『御社とは長い付き合いで、良いお付き合いをさせていただいているつもりだったんですけどね。』

綿貫が呆れたような溜息混じりの声で言う。

「すみません、綿貫さん…何があったのか聞いてもよろしいですか?」

『え?あの方、影沼部長でしたっけ?あなたの婚約者だっておっしゃってましたけど…何も知らないんですか?』

「…正式に婚約しているわけではないので…すみません、社内のことなのに把握できてないんです。」

『………』

綿貫は電話口で大きな溜息をくと口を開いた。

『先日、影沼部長がいらして、外国製のポーチの仕上げだけ綿貫繊維工業うちで行って、それを日本製のポーチとして販売したいんだと打診されました。』

「え!?」

『安い海外製の商品の仕上げを日本でやれば日本製にできる、というグレーなやり方もあるのは事実ですよ。利益率が上がりますからね。ただ、うちはプライドを持って仕事をしているのでお断りしました。見本で持ってこられたポーチの縫製も酷かったですしね。』

「そんな…」

『お断りしたら“取引中止だ”と言われましたので、うちとしても御社との付き合いはこれまでかな…と。茉白さんには良くしていただいたので残念ですが…』

「綿貫さん、本当に申し訳ありません。大変失礼なことを…。社内で話し合いますので、取引中止は考え直してください。」

茉白は平謝りで電話を切った。

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