第26話 彼女の選択
——— 俺には頼れない?
(どうして気にかけてくれるの?)
——— 雪村専務も満更でもないって感じに見えたけどなぁ…
いつかの莉子の言葉を思い出す。
(もしかして…って期待して、そのたびに憧れ以上の気持ちになっていく…)
(だけど…やっぱりあの人はシャルドンの雪村専務で…シャルドンの将来を背負っている人、なの)
(これ以上、気持ちが大きく、深くなったらいけない…)
「結婚の話、前向きに考えてみようと思うの。」
ある日の夜、自宅で縞太郎と夕食をとっていた茉白が言った。
「本当か?私はすごく良い話だと思うよ。」
縞太郎の表情がここ最近見たことないような明るいものになった。
(………)
(こんなに嬉しそうな顔するんだ…)
「あ、影沼さんには自分で言うから、余計なこと言わないでね。」
茉白は縞太郎に釘を刺した。
遙斗に憧れ以上の気持ちを抱いてしまっている事は茉白自身にももう否定できない。だからといって遙斗とどうこうなれるわけではない。それなら、“LOSKAを守る”と言ってくれた影沼と結婚するのは最良の選択のはずだ。
(雪村専務以外なら誰でも同じ、なんて身の程知らずな考えだけど…そういう気持ちのおかげで、今影沼さんと結婚しても後悔しない気がする…)
翌日の昼休み
茉白は影沼をランチに誘い、前向きに考えていくことを伝えた。
「本当ですか?」
影沼もまた嬉しそうな表情を見せる。
「では、茉白さんが前向きな気持ちのまま結婚してくれるように頑張りますね。」
笑顔の影沼の口から“結婚”という言葉を聞いて、茉白はその言葉の重さを感じた。
(大丈夫、そのうち影沼さんと結婚することが当たり前になる…)
「今日はスワンさんなので。」
「直帰ね。いってらっしゃい。」
「いってきまーす!」
その日の夕方、莉子が元気よく営業に出かけて行くのを茉白が見送る。
「スワンさんというのは?」
影沼が茉白に聞いた。茉白はスワン用品店のことを影沼に説明する。
「それでこの時間に出て毎回直帰なんですか?」
影沼はどこか呆れを含んだように言った。
「月イチですし…ちゃんと受注できてますから、大目に見てあげましょうよ。」
茉白がフォローするように言った。
「ちゃんと、ねぇ…」
数日後
茉白は預けていた傘のサンプルの返却を受け取るため、シャルドンの本社に顔を出していた。
「え゙ぇえ!!!」
商談ルームで、米良がこの世の終わりのような形相で、部屋全体に響くような低音の驚きの声を上げる。
茉白が影沼と結婚するつもりだという報告を受けたせいだ。
隣にいる遙斗は涼しい顔をしている。
「どうしてですか!?」
「どうしてって…米良さんこそ、どうしてそんなに怖い顔…」
茉白はあまりの反応に怯えたように言った。
「いや、だって茉白さん…」
米良はチラッと遙斗の方を見たが、遙斗は変わらず涼しい顔だ。
「お恥ずかしい話ですけど、LOSKAの経営状況って私が思ってるよりずっと悪かったみたいで…LOSKAを守るにはこれが一番良い選択なんです。」
茉白は米良に心配させまいと、にこっと笑って言った。
「前向きに考えるって言っただけで父もすごく喜んでくれていて、ここ最近見たこともないくらい元気なんです。」
「そうですか…いや、でも…」
「影沼さんと結婚しても何も変わらないと思いますよ。どんな形でサポートするにしろ、LOSKAの名前は残してくれるっておっしゃってますし、私は変わらず企画営業ですから。」
茉白は楽観的に言った。
「…そんな都合の良い話、あるといいな。」
遙斗の言葉に、茉白は思わずムッとした。
「これまでのやり方が悪いから経営状況が悪化している。それをそのままにする新経営者がいたらただの馬鹿だ。」
遙斗は最初に会った時のような冷たい声色で言った。
「だから私が、良くできるように頑張りますので。」
「そうですか…陰ながら応援しますね…」
米良が肩を落として言った。
「じゃあ、今日はこれで…」
茉白は傘のサンプル数本を持って部屋を出ようとした。
「下まで送る。」
そう言って、茉白の手から傘を取り上げたのは遙斗だった。突然のことに思わずドキッとしてしまう。
「だ、大丈夫です。雪村専務にサンプルを運ばせるなんて…」
茉白は遙斗の手から傘を取り返そうとした。
「“自分一人で抱え込まない、使えるものはなんでも使う”だろ?」
遙斗は煽るような不敵な笑みで言った。
「…こんな物理的な意味だとは思いませんでしたけど…じゃあ…お願いします。」
正直なところ茉白は一分一秒でも早く遙斗の顔の見えないところに行きたかったが、渋々提案を受け入れることにして、遙斗と共にエレベーターに乗り込んだ。
「さすがに、こんなに早く結婚を決めるとは思わなかった。」
遙斗が前を向いたまま言った。
「どうせ決めるなら早い方が良いですから…。」
茉白も前を向いたまま答えた。
「ふーん…」
遙斗はつまらなそうに言った。
「…もし、困ったことがあったら—」
「え…」
「その時は、真夜中でも早朝でも、俺に連絡しろ。」
遙斗は命令口調で言った。茉白は思わず遙斗の方を見た。
「…そんな…影沼さんがいるのに…」
茉白が困惑していると、エレベーターが1階に到着した。エレベーターを降りると、遙斗は無言のまま茉白を駐車場まで見送った。エレベーターからエントランスまで、社員たちの注目が遙斗と遙斗を従える茉白に集まってしまっていた。
「どういうことだよ!?」
茉白が帰った後の役員室では米良が遙斗を問い詰めていた。
「どうって…聞いたまんまだろ。」
涼しい顔の遙斗に米良は腹を立てる。
「だいたいなんでお前は知ってるんだよ。」
「ああ、この前真嶋さんと食事に行った時に聞いた。」
「えっ!?」
どうやら米良は遙斗が茉白を食事に誘ったことも知らなかったらしい。
「遙斗と食事に行ったのに、何で影沼常務と結婚することになってるんだよ!」
「彼女の選択なんだからしょうがないだろ。」
「いや、茉白さんは誰がどう見てもお前のことが好きだっただろ…それがなんで…」
「会社を背負ってるって、そういうことらしいぞ。」
遙斗はPC画面を見ながら他人事のように言った。
———はぁっ…
「遙斗が本物の冷血漢だったとは…」
米良はがっかりして
「米良、いつまでもそんなことでグチグチ言ってないで、調べ物をしてくれないか?」
遙斗は米良にメールを送った。
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