第22話 結婚の話

レイングッズの商談の日の夜

茉白は縞太郎に呼ばれ、リビングのソファに座っていた。最近、こういうときは決まってあまり良くない話なので、茉白はつい身構えてしまう。

「何?大事な話って…会社のこと?」

「…会社のことでもあるし、茉白のことでもある。」

縞太郎は若干重たさのある口振りで言った。

(私のこと?)

「影沼君のことなんだが…」

「影沼さん?」

なんとなく、不安な気持ちになる名前だ。

「ああ。影沼君のことはどう思う?」

「どうって…うーん…仕事はできるっぽいよね。LOSKAの社内にも馴染もうと努力してくれてるし…悪い人では無いんじゃない?」

茉白はあまり関心の無い様子で答えた。

「嫌ってはいないと思っていいのか?」

「え…うん、まぁ…」

嫌うほどよく知らない、というのが本音だ。


「…それなら茉白、影沼君との…結婚を考えてみてくれないか?」


「………」

茉白の頭には縞太郎の言葉がすぐには入ってこなかった。

(ケッコン…)

「え!結婚!?」

茉白の声に、縞太郎は頷いた。

「え、ちょっと何言ってるの!?急にそんな…」

縞太郎の言葉を理解した茉白は、驚き、慌て、顔面蒼白になっていた。

「茉白は急だと思うかもしれないが、影沼君からはずっと打診されていたんだ。」

「え…?」

「どうも、例のパーティーで会ったときから、茉白を気に入ってくれていたようだよ。」

縞太郎はどこか嬉しそうに微笑んで言った。

「………」


(だとしても…どうして自分で言わないの?)


「好きな相手でもいるのか?」

縞太郎の質問に、いつか影沼に聞かれた時と同じように遙斗の顔が浮かぶ。

「………いない、けど…」

「なら…」


突然の話に、茉白の頭はまだ混乱していた。

「ごめん、もう部屋に戻るね…」

「影沼君は、うちの経営を立て直すサポートを申し出てくれている。」

部屋に戻ろうとする茉白の背中に向かって縞太郎が言った。

「悪い話じゃない。」

「それは…」

茉白は振り向かずに立ち止まると、そのまま続けた。

「私にとって?それとも…会社にとって?」

「両方だと思ってる。」

「……おやすみなさい。」


茉白は自室に戻りドアを閉めると、気持ちを落ち着かせるように深い溜息をいた。

「…なにそれ…」


ベッドに入ってからもモヤモヤとした不安な気持ちが込み上げてしまい、この日はよく眠れなかった。

(影沼さんと?私が…?)



「茉白さん。」

翌日、会社のエレベーター前で影沼が茉白に声をかけた。

「おつかれさまです。」

「…おつかれさまです…」

茉白はつい、不審そうな表情で影沼を見てしまった。

「そんな顔しないでください…。」

影沼が困ったように笑って言った。

「縞太郎さんから聞きました。私の気持ちを伝えてしまった…と。」

「………」

「茉白さん、今日仕事の後でお時間いただけませんか?」

(………)

「…はい。」

茉白はこの場で即座に断ってしまいたいくらい、結婚する気にはなれなかった。しかしそれではさすがに影沼に失礼なことはわかっているので、食事の席で断ろうと決めた。


仕事が終わると影沼は自分の車に茉白をエスコートした。普段はLOSKAへは大衆車で出勤している影沼がこの日は高級車を用意しているところを見ると、今日の出勤前には縞太郎から影沼へ、昨夜の茉白との会話の内容が伝わっていたようだ。二人がそうやって親密にやり取りをしているのが、茉白には不審でたまらなかった。


影沼が茉白を連れてきたのは高級フレンチだった。茉白はかろうじてジャケットにワンピースという服装だったため、今日は影沼の提案に応じることにした。


テーブルに着くと茉白はとくに好みを伝えず、オーダーはすべて影沼に任せ、最低限の会話で済ませるようにした。

茉白の前に置かれたグラスに白ワインが注がれたが、茉白は乾杯をする気になれない。

「………」

「…そんなに警戒しないでください。」

「……警戒…してるわけじゃなくて…」

「縞太郎さんを通してお伝えしてしまったことが不快な気持ちにさせてしまった…」

影沼がグラスを見ながら言った。

「違いますか?」

「………」

「本当は直接言うつもりだったんですが…私がなかなか切り出せずにいるのが縞太郎さんにはもどかしかったんでしょうね。」

「…あまり…ピンとこないというか…本当に私に対してそういう気持ちがあるんですか…?」

茉白は影沼の目を見ずに言った。

「前に言ったでしょう?気になっている女性がいる、って。」

「え…」

以前に食事をした時に言っていたことを思い出した。

「じゃあ…パーティーの時に、っていうのも…本当なんですか?」

「ええ。あの会場で茉白さんはとても輝いて見えました。」

「それは—」


あの日、茉白が輝いて見えたとしたら遙斗のせいだ。

あの日のことを思い出すと、どうしても胸が高鳴ってしまう。


「否定されていましたけど、茉白さんには好きな方がいるんじゃないですか?」

「え…」

また遙斗の顔を思い浮かべた。

「いませ—」

茉白はまた否定しようとした。

「茉白さんに好きな相手がいても構いませんよ。」

「え…」

「私は、恋愛ではなく結婚の話をしています。そのお相手の方は結婚相手に相応しい方ですか?」

(結婚相手に相応しいか?…そんなの…)

茉白は首を横に振った。

結婚も何も、遙斗は想いが通じることすら叶わない相手だろうと思う。遙斗が相応しくないのではなく自分が相応しくない、と茉白は思う。

「気持ちは後からついてくればいい、私はそう思っています。私は茉白さんもLOSKAも守っていきたいと思っています。」

「LOSKAも…」


すぐに断るつもりだった茉白だが、影沼の真剣な目を見て、なかなか言葉が出なかった。


「せっかくなので食事をしましょう。」

黙ってしまった茉白に影沼が提案した。

「…はい」

茉白は力の入らない笑顔で言った。


食事を終えると、影沼は茉白を家まで送り届けた。門の前で、茉白は影沼に話の続きを切り出した。


「影沼さん、すみません。やっぱり私はあなたとは—」

「待ってください。」

影沼が、断ろうとする茉白を止める。

「何も今日返事をする必要は無いじゃないですか。」

「え…」

「もっと…私の働き振りなどを見て、会社のことを考えてお返事をください。」

影沼がまた困ったような笑顔で言った。


「じゃあ……はい…もう少しだけ考えてみます。」

茉白の頭には縞太郎の顔が浮かんでいた。

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