第6話 雲の上の人

その日の午後、米良から茉白宛にポーチの発注メールが届いた。

「じゃーん!」

茉白が物流担当に渡すための発注書のプリントを自慢気に莉子に見せた。

「えー!すごい数!朝7時から頑張った甲斐がありましたね!」

「でしょでしょ?今なら初回生産に上乗せできるから、生産コストも少し下がるかも。」

茉白はそのプリントを持って今度は社長のデスクに向かった。

LOSKAはオフィスビルの2フロアに間借りし、物流部兼倉庫として1階を、営業とデザイナー、事務などの社員が2階の部屋を使っている。2階には商談用の個室があるが、社長には特別な部屋があるわけではなく2階で他の社員と同じ部屋で業務にあたっている。

「社長、お疲れ様です。」

「お疲れ様です。今朝の商談早かったみたいだけど、大丈夫なのか?」

茉白の父でもある社長の真嶋ましま 縞太郎こうたろうが言った。縞太郎は営業部長も兼任している。

「はい。朝早いのは得意ですから。それよりこれ見てください。」

茉白は発注書を縞太郎のデスクに置いた。

「今日のシャルドンの商談でポーチの大口受注取れたんですよ!即決してくれて、もう発注書もいただきました。」

「へえ、すごいじゃないか。」

縞太郎は一瞬だけ明るい表情をしたが、すぐに元の顔に戻ってしまった。その顔を見て、茉白の明るかった表情も曇ってしまう。

「…これでちゃんとこの商品が売れたら、きっと業績も伸びて行きますよ。」

茉白が言った。

「そうだね。茉白がいつも頑張ってくれて感謝しているよ。」

「うん…」

茉白は力のない顔で笑って、1階に行くために部屋を出た。

———はぁ…

(お父さん、また白髪が増えた。昔みたいに笑ってくれないし…この発注書も本当に喜んでくれたのかどうか…まあ右肩下がりのこの業績だから、落ち込むのも仕方ないけど…)


(でも…業績よりもお母さんがいなくなっちゃったのが一番こたえてるんだよね…)


茉白の母は3年前に病で他界した。社員として直接LOSKAに関わるようなことは無かったが、商品や経営方針について客観的な立場から的確に意見をくれるような人で、父とはずっと仲が良かった。

それだけに、妻を亡くしてからの縞太郎はどこか生気の無い雰囲気で、仕事に対するモチベーションなども下がってしまった。

茉白は3年前から父の分まで頑張ろうと、営業だけでなく企画にも携わり、新規の取引先の開拓にも意欲的に取り組んできた。それでも父の経験に比べてまだまだノウハウの無い茉白では業績の維持も難しかった。


(これをきっかけに巻き返せるといいな…)


——— 中のパイピングも丁寧にされてて、ファスナーもきれいに真っ直ぐ縫われてるし、金具の滑りもとても良い。裏地の布にこだわってるのもわかった。これは良い商品だと思う。


ふと、先程の商談の時の遙斗の言葉を思い出した。

(雑貨バイヤーになったばっかりのはずなのに、ポーチの大事なチェックポイントを押さえてるって感じだったなぁ…色ごとの発注数とかも私の売れ行き予測通り…)


(あ、でもアパレル部門には詳しいはずだから、ポーチも詳しかったのかな。)


——— うちでのLOSKAの過去の商品の売り上げデータも見たけど、地味ながらも確実に売れてるな。ECサイトのレビューなんかで見たら固定のファンもいるようだし。


(忙しいのに、うちの会社のこと調べてくれたんだよね。もしかして取引先全部調べてるのかな…なんていうか…プロ意識の塊みたいな人だった。)


——— 俺だって熱い想いみたいなものは大事だと思ってる。


(………あの時、あの顔でまっすぐ見つめられたから思わずドキッとしちゃった…。)


(でも、顔がカッコいいからとかそんなんじゃなくて…誰よりも真剣なんだってわかった。)

茉白の心臓がキュ…と小さな音を立てた。


——— だいたいワニってもっとかっこいいだろ…なんだよこれ…


(あの時の不満そうな言い方はちょっと可愛かったな。)

茉白は「ふふっ」と思い出し笑いを浮かべた。


(ま、本来なら雲の上の人って感じだし、次の商談までしばらく会うこともないかな。)



1週間後

———プルル…

朝9時30分、茉白のスマホに着信があった。

(知らない番号だ…)

「はい。」

『真嶋 茉白さん?』

電話に出た途端、フルネームを確認された。どこかで聞いたような声だ。

「そうですけど…えっと、すみません番号が登録されてないみたいで…どちら様ですか?」

『雪村だけど。』

(ユキムラ…?ゆきむら…雪…)

「え!雪村専務!?」

茉白の声に、同じフロアにいた社員が視線を集中させた。

「えっと…あ!お世話になっております!」

茉白は慌てて挨拶の言葉を口にした。

「あの、何かありましたか?」

『急ぎでアポ入れたいんだけど、今日時間取れますか?』

「え」

(急ぎ…?)

茉白は急いで手帳を開いてスケジュールを確認した。あいにく今日の予定はほとんど埋まっている。

「えっと…今日は18時以降でもよろしければ伺えます。」

『じゃ、18時に本社で。』

それだけ言うと、遙斗はあっさりと電話を切ってしまった。

(このタイミングって、ポーチの発注数の見直しか…最悪キャンセル…?それとも納品済みの他の商品で不良品が出た、とか…?)

新商品の予定もないタイミングなので悪いことばかりが茉白の頭に浮かぶ。


不安な気持ちのまま一日の仕事をこなし、茉白はシャルドン本社に向かった。


18時

シャルドンエトワール本社・商談ルーム

「え、OEMオーイーエム…ですか?」

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