第13話 静寂を忌む夜
私は不幸だ。
あのときから悪夢が始まったのだ。
両親が死んだ日。私は村の誰かを疑った。疑わしい人がいたわけではない。ただ、私は知っているだけだ。両親が人間によって殺されたことを。
最初は会話から始まり、そして、奴は家に招き入れられた直後母を速やかに殺害した。片手で頭部を薙ぎ払う様に、鮮やかに、速やかに、軽やかに。
だから、あれの正体が人間であるという事実を知っていたのだが、薄闇の中ではそれが誰かなんてことは解らなかった。
ギシギシと床板が軋む音が近づく。
私は死を悟った。森で殺された父や視線の先で肉塊となっている母と同じ末路を辿るのだと。
布団が捲られる――。
私はベッドの下で息を殺して一命を取り留めた。
襲撃者は家の扉を開け、何事も無かったかのように去っていく。
月の光が照らしたその姿を、私は一生忘れないだろう。
ソレはヒトなどではなく、漆黒の体毛で覆われた巨躯の怪物だった。
日が昇り、村人にその事実を伝えても誰も信じなかった。あまつさえデッドグリズリーという魔獣のせいにしたがっている節がある。
私は疑念を抱く。村も、人も、この世界の全てがどうしようもなく疑わしい。
だから――私がやったのだ。疑わしいモノを一軒ずつ。
草木が眠る丑三つ時に、私は調理用ナイフを振るった。喉元は容易に突き刺さるため、無感動に事が済む。が、その次が少し難しい。
悶える身体を自重によって抑えつけるには少々軽すぎるため、頭部だけに集中してみる。
すると、想像以上にやり易かった。
あとは刺したナイフを一気に引き抜くだけ。傷口から溢れ出る鮮血はまるで雨の様にありとあらゆるものを濡らし、室内を漆黒に染める。
私はそっと、扉を閉めた。
その早朝、村人によって死体が発見される。その数は私が刺した数よりも一つ多かった。
私は病的なまでに平常を装って無知に擬態した。それに加え、私がつくった躯は何者かに食い散らかされていたため、バレる要素など皆無だった。恐らく森に生息する鼻が良い魔獣の仕業だろう。血の匂いで勝手に誘き出され、良い感じに家も破壊してくれるのだから私にとっては益獣だ。
そして次の日、またあの時の怪物ではなかったか、と落胆しながら朝を越え、夜を迎える。
――その繰り返し。
そんな折、冒険者と名乗る人達が村にやってきた。
私は胸のすくような思いを抱いた。だって、親の仇である化け物を退治してくれるのだと思ったからだ。
しかし、森に向かった冒険者は帰らなかった。翌日の死体は一つ。
そして、最悪の日々をまた繰り返す。
変化があったとすれば、若者が狙われていることに気づいた私は標的を老人にしたくらいだ。老人なら事も容易いし、なにより一番疑念を向けられにくい。つまり、怪しいからだ。
そんな折、新しい冒険者が村にやってきた。若い三人組でたまたま村長宅にいた私は会話もした。だが、もう期待はしまい。どうせ森に行ったきり帰ってこないのだから。
しかし、彼らはデッドグリズリーを討伐して戻った。しかしてそれはなんの意味もない事だ。私がつくった肉を食い漁っていただけの獣などを倒したところで村が変わることはないのだから。
そして、その日の逢魔時。村長宅から一人の冒険者が顔を見せた。
私はある種の予感に打たれた。それは死の予感。
前回の冒険者は死体すら残さなかった。それは森が隠したからだろう。だから、次もどこかしらのタイミングで死ぬのだろうと。
だとしたらそう遠くない未来だ。こんな薄暗い道を一人で歩いていくなんて不用心にも程がある。
そして、私にとっては絶好のチャンスだ。殺害の前後を目撃できれば、母を殺した怪物の正体を明らかにできるかもしれない。
虎視眈々と彼の後を追う。
きっと、その時は近いのだから――
◇
ケイは食事を終えたら手持ち無沙汰になってしまった。時間にして八時。今日は寝てばかりなため眠気は無いに等しい。
午前中から森へ繰り出し、デッドグリズリーにやられ昏倒したのだ。起きた頃には日が暮れ始めており、前日寝られなかったツケが回ってきたと考えるのが妥当だろう。ノルンは体に障るため寝ていた方が良いと言うが、ケイは暇なため居間で机に伏していた。
しかし、ただ突っ伏しているだけのケイではない。
スマートフォンのロックを解除すべく、暗証番号を適当に考え打つ。
そして、当たり前のように間違え、また間違える。四度目から完全ロック状態というインターバルを無心になって待ちわびるという暇つぶしをしていたのだ。
合計四十分ほどの虚無を経て、ついに――
九回目の間違い、一時間のインターバルが発生した。
これは由々しき事態だと、ケイは暇つぶしの暇つぶしを考えなければいけないという事実に頭を抱える。
「なぜだ! なぜこうも暇なんだ?」
もはや相方であるはずのノルンは寝たのか。部屋に閉じこもって出てくる気配がない。
騒音で誘き出すのもケイの暇つぶし候補としてあるのだが、後が怖いためよしておこうと新たな暗証番号候補を思索する。
外へ出たエルは迷子にでもなったのか。流石に今日中には帰ってくると信じたいが、迷子なら致し方ない。きっと彼なら大丈夫だろうとケイは合掌し目を閉じる。
不謹慎で面白くないし、胸も躍らない。こんなの拷問だと、ノルンを襲うべくケイは立ち上がった。
ノルンの部屋に押し掛けると、彼女は寝ていた。眼鏡を外した彼女を見るのは初めてであり、フードを深く被っている様子はルームウェアを連想させた。
あの憎まれ口をたたきまくる彼女が、すやすやと横臥位で丸まり、気持ちよさそうに床に就いている。
否、寝ているのだとケイが勝手に錯覚した、と表現した方が適切だろう。
なぜなら、寝ている人は意図的に喋ることはできないのだから。
「それ以上近づいたら殺す」
ケイはそっと、扉を閉めた。
どの世界にも悪ふざけでは済まされないことがある。そう、例えばなにかを壊す事などだ。
再生が困難なものほど破壊し易いことはままあることだろう。物質的なモノしかり、人間関係しかり。
例えば生命――。
命はなによりも大切なものだと誰かは言った。
言葉の主が誰かなんてことに意味はなく、その言葉の本質に重きを置くべきだろう。
死んだら全て無に帰す。生きた証も、心情も。世にある全てが感知できなくなった時、それはその人にとって、永遠の『 』なのだから。
だから……ケイは扉を閉めた。
ノルンとの人間関係を破壊してしまうから?
パーティーとして、仲間として心から信頼できなくなるから?
否――――
敬語でない彼女はマジだ。
リアルで生命に係る。
本気で殺りにくる。
――などという危機的な感受性によってケイは命拾いしたという得難い実感を持ちつつ居間の椅子に座り直す。
心臓の鼓動はなお身体を一定のリズムで震わせる。どくどくと脈打つ音が妙に煩いのは生きた心地がしないため、生にしがみつこうとする本能からか。こめかみ辺りから滴る冷や汗は、自身が発する体温の温かみをこれでもかというほど自覚させる。
これはまさしく心理的動揺に他ならない。これを排斥する方法はいくらかあるが、彼には十八番ともいえる常套手段があった。
それは、忘却の彼方へ放り投げるという最善かつ確かな逃避であった。
スマートフォンのインターバルは終わり、ケイは十回目の暗証番号を打つべく指を這わす。
ふと、ある機種には暗証番号のミスが十回に達した時点で初期化される機能があるという、にわかには信じ難い知識が思考をよぎる。
この機種にはその様な機能があるのか、なくてもインターバルは天文学的な待機を敢行するのではないか。ことによると、この呪われたタスクが先祖代々に継承されていくかもしれない。携帯電話を引き継ぐのではなく、持ち主を引き継ぐという未曽有のオーパーツが誕生するのではなかろうか。
なんて詮無い思考の末、充電という要素を失念していたことに気づきケイはげんなり。
そんな折、こんこんと玄関の扉がノックされた。
こんな時間になにかあったのか。村長を尋ねて誰か来たのか。村長夫妻の死去を知らせるべきなのだろうか。
そんな思考で一気に気が重くなりながらケイは扉を開けた。
そこには――少女がいた。
十歳未満ほどの可愛らしい女の子。ノルンを小さくしたような印象があるのは髪色が似ているからか。フラペチーノをイメージさせるベージュ髪のノルンと、チョコをイメージさせる茶髪の少女。どちらも美味しそうであるが、女性に対する感情としてはやや不適切だろうか。
レッドブラウンの瞳は一心にケイを見つめ、物憂げな表情を浮かべる。
ケイは意外な訪問者に驚きつつ、話を聞く姿勢をとる。
「こんな時間にどうしたの? コトリちゃん」
ふと、彼女があの家にいたことを思い出す。目の前の幼い少女が村長夫妻の死に居合わせていたという悲劇に胸が苦しく締め付けられる。
ケイはコトリの両親は年齢差的に村長夫妻ではないと考えており、その理由もあれやこれやと考察している。
この世界の生活水準は低く、時代が古いという印象が強い。故に、十や二十という健康的なうちに出産を終えた方が理に適っているのだ。出産のリスクを軽減でき、なにより寿命の短さも大きく関係しているだろうから。
よって、コトリは養子の様な立ち位置なのではと、そして、両親がいない原因も容易に想像できた。村の三分の二が亡くなった事件。その原因はノルンが排除したのだが、その爪痕は今もなおこうして村を蝕み続けている。
寝る場所がないというより、一緒に寝る人がいないから訪ねて来たのか。
すると、コトリはケイの袖を引っ張った。まるでこっちに来てと言わんばかりの所作。
困惑しつつ、それに従うケイ。
少女はなにも言わずに彼の手を引いていく。
そして、焦りからか、早足は駆け足へと変遷する。
ケイはなお困惑していたが、少女が誘う目的地に着けば意図が判明するだろうと、小さな矮躯を追うことに献身した。
現状、二人は走っている。
夜空にさんざめく星々の光は左右の草丈の高い麦に隠れ、麦畑の細道を完全なる暗闇へと塗りつぶす。それを、闇を切り裂く一筋の光明の如く、スマートフォンの明かりだけが周囲を照らしながら夜気を散らす。
コトリからは余裕のなさが垣間見え、病み上がりのケイは全力疾走して漸く同速だという具合だ。
思いの外、少女は足が速いらしく、ケイは息を切らしながらそれを追う。
直線的なダートロードは先が漆黒に染まって一寸先は闇状態。
少女はなにを伝えたいのか、なにを見せたいのか。ケイはそれがまったく期待できずに、きっと良くないものだろう、という予感が眼前の矮躯からひしひしと感じ取れる。
デッドグリズリーとの命を賭けた走力比べよりは遥かにマシだが、得体の知れない何かが待っていると考えるとやはり悪感は拭えない。
そんなワケも分からない道程において、五分は走ったのではなかろうか。そんな頃合いに、いつの間にか空中は淡い橙色に照っていた。
それは、発光体から反射する光であり、ケイはこの文明レベルでの光源は一つだと結論づけた。
ゆらゆらと空の光は形を変えるように揺らぎ、その光は彼らが進むごとに強まっていく。
その頃には煙の香りが強く感じられた。
いつしか夜の闇が失われるように、眩し過ぎる輝度によって麦穂の孤影が刺々しく伸び、彼らの足元を突き刺す。
麦の黒に挟まれた細道の最奥から眩い光が赤く灯っている。
その、麦畑を越えた先――
「おいおい……」
一つの家屋が炎上していた。
燃え盛る火炎は藁づくりの家を包み込み、滝の様に膨大な煙が際限なく上へと昇っていく。橙色の光は周囲をこれでもかというほどに明るく照らし尽くす。
が、それを割断するように漆黒が光を切り裂く――
ふたりの正面に立つ独りの青年によって。
影がこちらに伸びる。それを作り出す彼をケイは既に知っている。
ルウだ。奇妙な笑い方をする不気味な奴。そんな印象しかふたりは持ち合わせていない。
彼の不謹慎さが鼻についてケイの心証は随分悪いのだが、今はそれ以上に疑念を抱かせる。胸を撫でるような気迫さ。それでいて煙の様に希薄で淡泊な感覚。
やはりケイは正面の青年が気に入らないらしい。それも相当な嫌悪感を抱くほどに。
ルウは傷だらけだった。
切り傷が身体の至る所に在る。
なにかの被害者だと普通は考えるだろうか。毎晩デッドグリズリーに襲われるという話を聞いていたケイなら尚更。
しかし、魔獣にやられた青年という解釈が正しいのだと脳内で決定づけられなかった。
妙に粘着する違和感は過去にもあった。それこそノルンが抱いた疑惑をケイが欠片ほど感じ得ただけなのだが、それが重大なものだと今のケイは所感してしまっている。理由を見出す前に感情が波濤の如く揺らいでしまっている。
故に、些細な感情の乱れだと度外視することはできない。
「おい、燃えてるぞ……」
ケイは探りを入れるために話しかけてみた。適当な内容になってしまい、その声は怯えの色が僅かに垣間見える。
「燃やしてるんだよ。もうこの村はいらないからなー、火葬パーティーだ」
ルウは今朝の様子と大差なく不気味だった。
その様が今になって本格的に異様だと感じるのはこの状況が異常なためか。
「いらないってなんだよ。その傷は誰にやられた?」
――誰に? と、自身が発した言葉をケイは反芻させた。
何に? と訊いた方が適切だろう、との思考は感覚とひどく乖離している。
ルウは笑みを浮かべる。
そして何も言ってはくれない。
――思いだせ。なにかあった筈だ。違和感の正体に繋がる発端が。
ケイは思考をフル回転させ、記憶を遡行する。
一番初めに抱いた疑念は、意外にもエルに対してだった。
彼は「オレはデッドグリズリーを討伐したら町に帰るぞ。それでこの村は終いだ」と言った。それは依頼を達成しても村の未来はないと、そう暗に告げたのか。
ノルンはデッドグリズリーの行動に疑義の念を抱いていた。その理由は彼女が知る生態と乖離していたからだ。昼行性で臆病な性格なのに深夜人を襲う矛盾。加え、デッドグリズリーに対し銀級冒険者パーティーが敗北するという異例。
そしてなにより、百日前に住み着いた魔獣が今更になって毎日村人を襲いだしたという不自然さ。それほどの獰猛さと食欲があればもっと早く事は起こっていただろう。
全てを考慮した末、ケイは村の敵は別にいるのだと決定させた。
それが何なのか――
その思考を遮るような絶妙さで、コトリは言った。
「アレが両親をころした」
淡々と、少女は告発するようにルウを指さす。
それに呼応するように彼は、
「正解っい! 犯人は村人じゃなく、森にいたウェアウルフくんでしたー‼」
おどけて少女に自白した。
その様子に作用され、ケイの中でなにかが符号する。
コトリは過去にルウのことを冒険者だと遠まわしに言った。
ケイとルウの二人を見て、冒険者たち、と。
そして、今彼自らが白状したのだ。
それを、ケイは内心否定したかった。
くだらない冗談であってほしかった。
だって、それは残酷すぎて誰も救われないのだから――
「ルウ、君は殺人鬼なのか?」
もう一度、彼の口から聞きたかった。
「うひひひゃひゃ! 可笑しいなぁーひひひっ! お前らも同じじゃあないかぁー⁉ こんなに同類が集まっているなんて愉快滑稽喜劇奇跡‼」
上機嫌に笑う姿は状況と乖離し過ぎていて現実味がない。
ケイは諦めきれなかったのか、具体的に再度訊く。
「お前が村人を?」
恐る恐るというケイの問いに、
「今更そんなこと訊くなんて悠長じゃないかー。あの野郎は問答無用で斬りかかってきたってのによぉおー!」
彼は意味深な事を言ってのけた。
言葉通りに受け取るのだとすれば、二人が戦闘したということか。それが本当なら、なぜエルが帰らずルウがここにいるのか。
その疑問に対し、ルウは薄ら笑いを浮かべて悪人ぶる。
「まぁ、楽しかったぜ?」
ケイはその一言によって悟った――のだが、
「あははははっ……ルウ、お前が生きているってことは、まさか尻尾巻いて逃げたってことか?」
ケイの挑発によってルウは貌を歪める。
笑いを張り付けていた顔は一転、それはまさしく鬼の形相。
殺伐と睨み殺すように、ケイをこれでもかというほど熱烈に敵視する。
彼は内心、堪えきれない怒気によってどうにかなってしまいそうだった。
「殺されたいってことで良いんだよなぁーあ゛⁉」
途端、青年の体躯が巨大に膨れ上がる。前兆は無かった。張り詰めていたものが解放されるように、外見の変化が激しい。
燃え盛る火の手が麦畑にまで広がり、彼の孤影がいびつに歪む。
そして、その姿はすぐに――完成――奇怪に成り果てる。
眼前の怪物を一言で表すなら。
「人狼……」
この世界はいつだって常識外だと、それを目の前で証明されてしまったケイは瞠目せざるを得ずに非常識を心底呪った。
人が狼に変貌するという逸話や伝承は前世から知っていたのだが。
しかし、まさかこれほどとは。
これほどまでに圧倒的な気配を漂わせて存在している――。
毛並みは全身に漆黒の闇を纏わせる。
伸びた爪は武器でいう鉤爪に類似し、それより遥かにデカく禍々しいのはケモノの豪腕に倣ってか。牙は伸び、足にでも噛み付かれたら切断も容易な鋭利さを誇る。
そんな暴力的魅力に溢れた怪物は嗤う。
狼の顔なのだが、不可解なほどに感情表現が上手くやはり理性的で奇怪だ。
怪物の黄色く照る双眸は二つのエモノを捉えている。
言わずもがな、コトリとケイである。
燃え盛る火の手は麦畑にまで拡大し、退路を断たれてしまうのも時間の問題である。
そう考えたケイは決然と少女を逃がす。
「コトリちゃん、村長宅で寝ているノルンっていうお姉ちゃんに守ってもらうんだ。来た道を辿ればすぐ着くから」
そう言って少女の背中を押す。
ケイは決して死にたがっているわけでも、デストルドーのような欲動があるわけでもない。本来、怖いのも辛いのもあまり好きではないのだ。
それは生物として正常なのかもしれないが、状況が異常であるためにそうせざるを得ないためだ。また、それ以上の信念がある時。彼の意志力は跳ね上がる。
「俺は冒険者だから、コイツを倒さないといけないんだ」
臍を固めたケイは眼前の怪物と相対する――
戦闘経験はこれが初だろう。
スライムやデッドグリズリーは戦闘ではなく、ただの敗走である。ならばこれこそがこの世界での初陣というべきか。もう少しソフトなモノが良かったなと内心呟きながら、ケイはその怪物を観察する。
黒い豊かな毛並みから、体は猫の様に細いのだろうか。ならば、こちらの攻撃はそれなりに有効だろう。しかし、相手の両足は走力に適した動物のソレだ。逆関節という――正確にはつま先立ちのようなものなのだが、きっと想像以上にフットワークは軽く、敏捷性も桁外れに違いない。そして、運動能力はまたしてもこちらが大きく下回る。
どんな怪物でも欠点やつけ入る隙がある筈だと、ケイは神経を尖らせつつ思考をフル回転させる。
コトリはケイの少し離れたところで立ち止まる。結末を知りたいという欲動によって。
足音が止まったことで何事かと思いケイはちらと振り向いた。
その刹那――――爪の尖鋭がケイを襲う。
が、炎の塊が彼らの間に割って入り、怪物の不意打ちをご破算にする。
「ケイ、逃げるのは貴方たち二人です。ウェアウルフは少々面倒な手合いですが、問題ありません。人間を騙すことでしか身を守れない俗物なんですから」
明らかなノルンの挑発。
それはケイにとって、なによりも頼もしい彼女の毒舌。
「ノルン、任せた‼」
状況を一瞬で理解したケイは置物になった少女の手を引く。
炎に挟まれた小道を全速力で抜けて、暗闇の奥深くを目指し来た道を遡行する。
彼女は町で二人しかいない一流の金級冒険者であり、素人が居るだけでも足手まといになるのは必至である。そして、彼女が行けと言ったのならばそれが正解なのだ。
そんな希望的観測による思考と背理する不安が脳内で同居する。それが心底気持ち悪い。
ケイはノルンの実力を知らない。それに加え、エルが帰っていないことを考えると最悪が容易に想像できてしまう。
歯を食いしばって走る。逃走の機会は彼女がつくってくれたのだから、ケイは役目を果たさなければならない。それは言葉もなく刹那的に交わしたノルンとの信頼。
だから、ケイはコトリを死なせるわけにはいかない。
ノルン、お前は帰ってくるよな……。
そんなやるせない感情のままケイは暗闇を走り続けた。
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