第9話 デッドグリズリー
およそ百日前、東の森にデッドグリズリーが住み着いた。
しかし、村人は十日ほど前までは普段通りの生活を続けていた。
事の始まりは狩猟のため森に向かった男が内臓を喰い散らかせれた姿で見つかったことだ。
こんな事ができるのは言わずもがなデッドグリズリーだ。そう考えた村人たちは森の立ち入りを禁止した。当然、不猟や木材不足などの不都合が発生。それは森林資源に頼り切った古典的な生活様式である村の継続に致命的すぎる弊害であった。
農作物は主に麦であり、町に少量だが売って調度品を得る。
決して裕福ではなかったが、村人たちは強い危機感によって交易で発生する僅かな収入からなけなしの金をはたいて冒険者ギルドに依頼を出した。
クエスト難度は銀級。森に出没した魔獣は比較的強いモンスターであるが、請負人は滞りなく見つかった。依頼に応じた冒険者の等級は銀級が二人、鉄級が四人の熟練パーティー。だが、その冒険者たちは森に行ったきり帰ってこなかった。
一度失敗したクエストは報酬が同じなら誰もやりたがらない。冒険者といえども仕事を選ぶ権利はあり、上がったリスクにリターンが見合わない場合は無慈悲にも報酬額が上がるまで放置される。
そして、それ以上の金額を都合できなかった村は安全のため家から出られない日々が続く。そんな最中、腹を空かせたデッドグリズリーが黙っているわけがなかった。
奴が腹を空かせた晩、それは毎晩であった。標的にされた家は破壊しつくされ、中で寝ていた住人の液体によって乱雑な室内は朱に染まる。
体力のある若者は真っ先に襲われ、年寄りや子どもは家に籠るしかなく、自分の番が来るまで怯えながら冒険者を待ち続けた。
結果、およそ四十五いた村人は十日で十五まで減らされた。
一晩に三人という尋常でない死者数。
そんな中、
「人間の無力さを痛感した彼らは意気消沈と、なんて愚かで度し難いんでしょうか」
悪びれる様子もなく、ノルンは失望したように言い放った。
ケイたちは村長から事の顛末を聞いた後、魔獣の討伐を確約した。
村長の感謝と沈痛に満ちた貌から滂沱と溢れ伝う涙をケイは決して忘れることができないだろうと痛感する。無理もない、毎晩三人が襲われるのだ。こんな状況で正常でいられるのは無知な子供くらいだろう。
そして、村の三分の二が殺害されるという耐え難い悲惨を村長は語ったのだ。村を背負う責任は重圧になり、彼の心を容易に押し潰す。できることは何もなく、希望に縋ることしか許されない日々。村長は何を思考し過ごしてきたのか、それは彼にならない限り知ることはできない苦行だろう。
思い上がりも甚だしいが、そんな彼の救世主になれるようでケイは少しばかり自分たちを誇らしく感じた。不謹慎だが依頼を受けて良かったと本心で思えた。
村長は寝床を設えた後、隣の家屋で泊まると言い出ていった。
ケイたちは三人分の個室を用意してくれたのは彼なりの配慮なのだろうと感謝しつつ、有難く受け取っておくことにした。
そして、三人はそのまま居間で擦り合わせを行う。
ノルンの開口一番には正直驚かされたが、ケイには理解できない話でもない。
悪いのはデッドグリズリーに負けた冒険者か、真っ先に喰われた若者か、他力本願で戦わなかった村人か、はたまた現金な町の冒険者か。
「違うだろ、悪いのはデッドグリズリーだろ」
ケイは苛立たしい気持ちを隠したつもりだったが、少しばかり言葉が乱暴になってしまった。二人に怒っているわけではないので居心地の悪さを感じながら目を背ける。
だが、そんな言葉に賛同はない。
「デッドグリズリーは自然に従っているだけの魔獣ですよ。自然に生きる弱者が何かを変えたいのなら、戦わないと。何もしないで非難するのは文明人の作法じゃないです」
自然の中で生きるならその覚悟が必要で、どんなことでも自分たちで解決するのが当然であると、ノルンはいつも通りの声色で言った。
確かに魔獣に善や悪もない。しかしながら原因は在って、それは人間の程度を遥かに凌駕するモノだということも事実。もはや災害などと同視でき、獣害という言葉が相応しい。
そんなことをケイが思案していると、エルが彼女の考えに反論とも賛同ともいえない私見を述べた。
「人はノルンが思っているほど強くない。町だって龍王討伐に参加する奴は俺たちくらいだろ?」
「そのとおりですね、嘆かわしいことですが……」
その言葉に今度は物憂げな表情で同意するノルン。
二人の様子からこの世界の現状が見えてくる。強力なモンスターは一種の災害のようなもので、一般人が決して敵わない相手である。そんな世界だからこそ生きる目的が見当たらず諦め、自然に従って死んでいくといった生物の本質じみたサイクルを繰り返すのだ。
人類が最強種として同種で競い合うという世界ではなく、圧倒的な怪物が頂点で人類が遥かな劣等種であるという世界。狩る側が狩られる側に回っただけなのだ。決して今更になって残酷だなんて弱音は言ってはいけないだろう。どの世界も元から弱肉強食の無慈悲な世界なのだから。
「本来なら人の上に立つべきは人の強者だ。国での問題は国王が解決すべきだし、町なら大貴族であるパンデミオンがどうにかすべきことだ」
パンデミオン領主は娘を生贄にして町の存続を可能にし、その上で反撃のため容易に切り捨てられる冒険者に龍王討伐を依頼した。ドラゴンには彼らのことは知らなかったと言えば済む話であり、依頼の成否に拘わらず町を守護できるという巧みな手腕を見せた。
しかし、この村は状況が違い過ぎる。村長は大貴族でもなければ、相手は交渉が通じる相手でもない。
「おいおい、てことはお前、村長に魔獣をどうにかしろって言うのかよ」
それは流石にあんまりじゃないのか、というケイの声にはノルンが受け答える。
「この村なら発言力がある村長が真っ先に村をまとめて策を練るべきだったということですよ。今更ですが、皆で協力すれば村を脱出できたかもしれないですね。子どもや老人がいても歩きで町まで四日。若者が道中の魔物を対処できれば決して不可能ではない筈です」
若者が殺された現状は無理であるが、被害が出る前に状況を把握して即断することができたのなら、今とは結果が大きく違っていたに違いない。
そこまで言われてケイは反論できず言葉に詰まる。誰かの所為にはしたくはないが、今ならこれが最善でないことが解るからだ。
それに、とエルが注釈を入れる。
「他にもやりようはあった。だが、それができなかったのはしなかったからだ。結局諦めちまったのさ、この村は」
金銭を掻き集めて報酬額を吊り上げ、冒険者を速急に呼ぶ。冒険者が来るまでの夜は若者が見張れば死者を出さずに追い返せたかもしれない。
いっそのこと住処である森を焼き払ってデッドグリズリーを別の森に追い立てることもできた。冒険者を雇う金が浮いたことで肉を買い、焼け落ちた木の実を食料の足しする。何より村には畑がある。やりようによっては飢えることもないのかもしれない。
この状況は結局のところ手を打たなかった村の自業自得であり、そしてその責任は村の長である村長に委ねられると。それが自然に生きるということなのだろうか。
ケイはそこまで考え、亡くなった人は戻らないのだと思考を放棄した。それは考えても詮無いことであり、重要なのは今自分たちが何をするかだと自分自身に言い聞かせて。
「デッドグリズリーを倒そう、それで終わりだ」
そう、そのために――何の覚悟もなしに来てしまったのだ。
ケイはその言葉を二人に肯定して欲しかった。解決したら二人のように、無力な人々に手を差し伸べる本当の英雄になりたいと心から思えるから。
しかし、そんな期待は勝手な幻想に過ぎなかった。
「そう簡単な話じゃ……ない気がします。なにか妙なんですよね、わざわざ夜村に来て人を襲ったり、銀級冒険者二人がデッドグリズリーに倒されたり。しかも鉄級だって四人いたそうじゃないですか……」
ぶつぶつ呟きながら推測するノルンの本意が分からず、どういうことだと疑問符を浮かべるケイ。
冒険者が芋引いて逃げたと、そういうことなのだろうか。もしそれが事実であった場合、僅かでも目的に差し響きがあるのか。
ケイはそんな思考で難しい表情を浮かべていたのだろう、エルはそれを見て鼻白む。
そして、
「オレはデッドグリズリーを討伐したら町に帰るぞ。それでこの村は終いだ」
彼はさらりと冗談にならないことを言った。
「おい、終いってなんだよ。村は平穏を取り戻すんだろ? めでたしめでたしで終わるハッピーエンドになるんじゃないのかよ」
「ケイ、少し黙ってください。エルはどう思いますか?」
「オレは依頼をこなすだけだ。それ以外のことはしない。今のオレは冒険者であってそれ以上でもそれ以下でもない。目的を忘れるな、依頼を受けたのは、この三人でパーティーをやっていけか否かを見極めるためだってことをな」
正直、ケイは二人の冷静さに嫌気が差した。
ケイはこの村以前に、世界のことだってよく知らない。しかし、人が死ぬことは嘆かわしいことではないのか。その疑問はエルが言うクエストを受けた目的である信頼という根源を否定するように思えたため、躊躇をせざるを得ない。
依頼をこなした後のことには関与しないという宣言。職分だけこなせばいいのではと思っていたケイは、エルの言から村の致命的な何かが見え隠れするような気持ち悪さを感じ取った。
戯言ではない真に迫った彼の様相。そこには迷いはないが憂いがあることに気付き、ケイは何も言えなくなる。
「一番妙なのは西の森には立ち入るな、というヤツですよ。なんですかね、アレは。東の森にデッドグリズリーがいるのなら西の森で狩猟すればいいと思うのですが……」
「大昔からだって話だ、近づかなければ害はないんだろ? おそらく、強力な魔物でもいるんだろう」
現状、三人のやるべきことは同じであるが、見ているものが全く違う。
その事実に気付いた時、ケイは眩暈から扉を開けて部屋を出た。
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