第8話 初依頼

 抜けるような蒼穹の下、草上を駆ける大蜥蜴の足音が子気味いい。ガタガタと揺れる木造りの荷車は劣化が激しく、ギシギシと軋み今にも崩れそうだ。幌なんかはなく、日差しや野風を受けながら三人は目的地へと向かう。


 荷車を引く大蜥蜴は鰐に似ているが、丸みがあって凹凸の少ない体躯は目算その二回りはデカい。特に四肢は長距離移動しても疲労しなさそうな太さである。不憫なことに尻尾が根元から断たれており、荷車を引くための家畜として扱われていることが窺える。


 人間の繁栄には業の深さが比例するのだろうと巧者ぶりつつ、ケイはにべもなく感慨に耽る。この蜥蜴がいなければ歩く羽目になっていたと思えば感無量であると。


 ケイ、ノルン、エルの三人はパーティーになって間もなく冒険者ギルドで依頼を受けた。依頼はデッドグリズリー討伐クエストという銀級レベルの依頼であり、目的地へ早々と繰り出していた。

 町からおよそ半日に位置する村からの依頼を受ける形となり、ノルンが荷車を借りて向かっているという具合である。


 その様子をにべもなく自撮りするケイ。

 濃紺、ベージュ、赤、まるで信号機みたいな髪色だなと彼は穏やかな心情で呆ける。

 信号は正確には緑、黄、赤なので一色しか合っていないのだが、そう思えてしまったのなら――そうなんだろう。

 彼は暇そうに寝転がったり転がったりしている。そして、暇すぎて頭がどうにかなりそうだった。


 荷車を引く蜥蜴は生い茂る草を難なく進む。

 ノルンは手綱を握り、エルは荷台の縁に腰掛ける。

 ケイは荷台から遠くの方を見つめる。


 荘重に聳える遠くの山々の稜線がくっきり地と空の境界を示し、その麓に広がるこの緑の海は茫漠として実に壮観である。

 初日に彷徨っていた草原であるかもしれないと熟考していたその時、ケイの視界に既知の対象が。


「おい、スライムがいるぞ! 俺あいつに追い回されて散々な目に遭ったんだ!」


 指の差す先には水の塊がボールのように弾んでいた。

 ぶよぶよのゼリーが意思を持っているなんて摩訶不思議だが、そんな世界なのだと無理やり納得するしかない。


「あんなの雑魚です。ほっときましょう。町娘でも倒せるモンスターなんですから危険はありませんよ」


 この世界にとっては雑魚でも、ケイにとっては仇であり因縁のライバルだ。

 苦い思い出と共に闘志を燃やすケイに、ノルンは御者台から手綱を引きながらにべもなくそう言った。


 あれ、町娘ってそんな強キャラだっけ、と思いつつケイの苦悩もお構いなしに愛らしく弾む様に怒りが芽生える。

 幕開きはスライムに追い回された挙句マテリア・オブスクラと銘打つ黒剣の捜索を断念させられた。加えて酸で溶かされる痛みを味わうという拷問の如き憂き目に遭わされたのだ。極めつけに弩級の巨大スライムに不可避のメテオを食らわせられ、意識も失うというもはや半死半生というべき事態にまで追い詰められたのだ。


 ケイは憤懣やるかたないといった様子で青い玉を一瞥する。

 いつの日かお前らを駆逐してやると瞋恚の炎を纏いながら。


 ノルンの一言を認めたくないものだなと等閑するが、流石に子供にとっては命を脅かす脅威であるだろうと危惧する。街中にモンスターが這入りこまなければいいと。


「子供が飲まれたらどうすんだよ……」


 ノルンの背中に呟いたが、スライムは本当に危険性が低いらしく彼女は一顧だにしない。


 スライムは剣による斬撃ダメージが低く、魔法や打撃でしか有効打になり得ない。数が多く序盤からそこら中にいる厄介なモンスターであるが、攻撃性がないため脅威にはなり得ない。というゲーム知識はこの世界には通用しない。


 酸で肉を溶かし、集団で捕食する慈悲のない怪物。本物のモンスターであることは疑う余地はない。ゲームでは初心者向けの雑魚モンスターだろうに、ケイは悪戦苦闘どころか身を溶かしながら逃げることしかできなかった。


 一応受付嬢に短剣を借りているが、草刈り用のナイフだからリーチもクソもない。こんなことならもっと武器として使えるものを借りるんだったと深く後悔。

 仕方ないのでまたの機会にしようと名残惜しそうに見ていた時、スライムが唐突にパァンと音を立てて弾け飛んだ。


「これで満足か?」


 何が起こったのか分からず、なぜスライムが破裂したのかという疑問を頭蓋の内側で反芻させる。エルは銃でも持って来たのだろうか。そも、この世界に銃はあるのか。拳銃ならあったっけ? なんて思考を吹っ飛ばしつつ、答えが出ないうちに別のスライムを指差し、「もう一回!」と叫ぶケイ。


 すると、エルは手の中で転がしていた小石をスライム目掛け指で弾いた。

 フィンガースナップの要領で放たれた小石はまるで弾丸の如き速度でスライムの中点を貫く。ゼリー状の肉片は木っ端微塵に破裂し、辺りに霧散して跡形も残らずに消えてしまった。


 エルだけは怒らせないでおこう、ケイはそう心に誓った――。

 ふと、エルを見ると立派な獲物を腰に差しているではありませんか。

 ケイの脳内でこれだと確信の閃きが光る。


「エル、その剣貸してくれ」


 白磁の鞘から引き抜かれた剱は光の剣といった印象をケイに抱かせた。白色光である中心から外部にいくほど青白くグラデーションされ、蛍光灯の要領で光っている。柄の部分には豪壮な金の装飾が象嵌されており、拵えだけでもやはり高価そうな印象が感じられる代物である。エルが貴族であっても不思議でないと思わせる一品だ。


 武器が無いのなら借りればいいじゃない。彼には石という天然の凶器があるのだから。

 そう思い至り、真剣なケイはロングソードを一瞥した後憧れの目を向ける。

 そして、気怠そうに渡された剣を両手で持ち、一振り――もすることなくすぐに剣を返す。


「…………」


「?」


「無理」


「――――」


「重すぎて持ち上がらない」


「……そうか」


 嘘でしょと驚愕し呆れ果てるノルンと、ケイの真剣さを察したための配慮か無言で別の剣を取り出すエル。大きさは先程のものと比べ大差ないロングソードだが、品質がひどく劣るように思える。


 ――おい、今空中から剣が出てこなかったか? まぁ、いいか、異世界だもんな。

 などと心中で突っ込みつつ、ケイは差し出された剣を眺め入る。


 装飾なく単調な鋼色で造られたシンプルな短剣。

 エルの愛剣と比較すると圧倒的に安っぽいが、凶器としての剣呑とした異彩を物々しく放つ。


 それを無言で受け取り、そして一振り――。

 今度はブンと空を切った。


「――――」


 嬉しくなり、一振り、二振り、もう一振り。

 ズッシリとした鋼の重さを感じながら、一気に振り下ろす。

 少し刃が怖いため思いきりとはいかないが、それなりに様になっているのではと思った刹那。


「違う、手が逆だ。持ち方が違う。そんなんじゃ手首を痛めるぞ」


 エル先生の指導が入り羞恥を禁じ得ない。武器を持って強くなった気がしていたなんて子どもみたいでお恥ずかしいと、ケイは真剣に剣を振りなおす。


「剣を振り下ろしたら確実に止めろ。さもなくば自分の膝を切ることになる」


 荷台の上に立ち素振りをするケイに荷台の縁に腰かけながら口を挟むエル。その光景を見たノルンは何を思ったのか露骨に重いため息を吐き、小さく微笑んだ。





 素振りが様になってきた頃、ケイは草原を駆け回る一匹の白兎を発見した。

 その兎がただの兎でないことは一目瞭然である。なぜなら角が生えているのだから。


 ホーンラビットを知っているだろうか。異世界ものでは定番の鋭い角を額から生やした兎のようなモンスターである。食べれば美味しいとかなんとか。

 スライムはトラウマなので対手にしたくない。もし魔王がスライムだったら諦めよう。しかしどうだろう、あれならいい訓練になるのではないか。


 その思考を地で行くようにケイは叫ぶ。


「止まれ、ホーンラビットだ!」


「ほーんらび? なんですかそれ、あれはアルミラージという魔獣ですよ」


 ケイが指差す白兎はアルミラージというらしい。アルミラージといえばケイが酒場で食べたあの美味な肉の起源である。


「よく子供たちが追いかけているやつです」


 この世界の子供は強いんだなと、一瞬本気で考えてしまった自分に含羞するケイ。

 角の鋭さはレイピアのように物々しく、当たり所が悪ければ一突きで致命傷になりかねない暴力的凶器。こんなのが街中に現れたら安全が保障されまい。


「んなわけあるかぁ! まぁ、でも無理に戦う必要もないか。てかまだ着かないのかよ、その何とか村ってのは。腹減り過ぎて腹が騒いでるんだけど」


「貴方はいつも騒がしいですよ。アルミラージは龍王の縄張り付近には生息しないんですよ。村は縄張り内なんで、まだまだ先ですね。その前にどこかで昼餉にでもしますか?」


 龍王の縄張り内は危険なため遠回りし、できるだけ安全な道を選定してくれているらしいと、ケイは言葉なく感謝する。


 そして、やったー昼ご飯だ! と叫びたい気持ちを抑えつつケイは冷静になって違和感に身を向ける。

 ノルンは弁当でも持ってきているのだろうか。肩に掛けたショルダーバックに入っているとは到底思えないのだが。それともローブの中に温めているのだろうか。

 ケイが熟考していると意外にもエルが肯定した。


「いや、折角荷車を借りたんだ。角兎の焼肉で済ませよう」


 トン、と軽やかに荷台に飛び乗ったエルの両手には二匹のアルミラージが絶望を顕わにしていた。


「――獲ってきてもらって本当に悪いんだけど、俺のエゴなんだけどそれはやめようよ」


 そう呟いたケイの胸中には可哀想だとかいう綺麗事も多少あるが、単に荷台で捌くのが衛生的でなく嫌悪感を抱くために乗り気にはなれないという具合。

 大自然でのキャンプファイアーなどの状況であれば喜んで食していただろうが、今ここではやめて欲しいと嫌悪感が叫ぶ。

 この世界というより冒険者の食事なのだろうが、せめて流水と火が無ければ我慢できないのが現代人というものなのだ。


 郷に入れば郷に従え? そんなことわざはこの世界にはない。


 ケイの必死な説得により、結局エルが持っていたサンドイッチで昼を済ました。

 以外にもノルンが逃げていく兎を惜しげな目で見ていたのが気になるところではある。


 剣やサンドイッチといい、エルは何もない空中から物を出現させて見せた。ケイがディメンション・ストレージというイカした命名をしたら、エルは露骨に嫌な顔をした。


 この世界にはアイテムボックスのようなものがあるのだろうか。キラと名乗った魔法使いも同じような芸当をしていたので魔法のようなものなのかもしれない、とケイは勝手に解釈しておく。





 そうこうしていると陽が暮れなずみ、遠くの方に小さな家々が視認できた。

 休息無しに半日ほど走らせた大蜥蜴は今なお疲れを見せない走りをしている。


 辺りには整然とした麦畑が広がっており、ケイはその田舎風景の長閑さに圧倒される。遠目からだと分からなかったが、住居の柱は木材で屋根は藁でできているようだ。井戸らしきものもあり、数世紀前の農村が言い得て妙だろう。粗雑な家というより技術水準が低いという印象が強い。


「ザ、村だなぁ。道は舗装されていないし、畑しかないし。あのボロい小屋は藁の家か? オオカミの一吹きで飛ばされるぞ!」


 決してディスっているわけではない、アナクロな村の様式に驚きが隠せなかったのだ。

 もっとも、この世界では常識的な様式であるのかもしれないが。


「口を閉ざしてください。この村は依頼主なんですからね。村の出資で私たちが雇われているんですからね。当たり前ですが、失礼は無いようにお願いしますよ」


 そんな親みたいな台詞で釘を刺し、ノルンはひと際大きな家屋の前で荷車を停めた。

 すると、その音を聞きつけたのかタイミングよく中から不惑ほどの男性が顔を見せた。

 町の人たちと比べて極めて貧相な身なりである。表情は気分がすぐれないといった面持ちで、疲労感で気力が削がれたように緩慢な動作で彼らを仰ぎ見る。


「……あなた方は?」


 活気のない嗄れ声でそう言った男はこの村の村長であるらしく、ノルンが依頼で来た冒険者であることを伝えると三人を屋敷の中に案内した。

 屋敷内は手入れされているようだが、清潔とは言い難い古臭さがある。どうやら何世代か跨ぐ勢いで年季が入っているようだ。


 中にはこれまた年増の女性がいた。疲労困憊し、何日も寝ていないようなやつれた貌。恐らく夫婦のようで二人とも何かに憔悴しきっている様子だった。


「獣臭いな……」


 唐突に失礼なことを呟くエルにノルンじゃないが「おい」と小さな声で突っ込むケイ。

 室内の清潔さは保たれているようで、質素な空間は村人感あふれるものである。

 匂いは特には感じられないが、エルは鼻が良いのだろうか。それとも自分の鼻が悪いのだろうかとケイは自らのシャツを嗅いだ。


 そんな一見葬儀のように重々しい空気の中、ひと際嬉々とした甲高い声が屋敷内に響いた。


「君たちだーれ?」


 声の主は十歳未満ほどの茶髪の少女で、見知らぬ冒険者に疑問を抱いているようだ。その様子は純真無垢といった悪意を全く知らないような幼さを感じさせた。

 ケイは大方、重圧で陰気な空気に毒されてしまったのだろう。そんなあどけない表情がなにより場違いだと感じて息が詰まる。自分たちまでそんな風になってしまってはマズイと思い空元気で対応する。


「俺たちは悪いクマさんを退治するために来た冒険者だよー」


「「…………」」


 ――二人は調子合せろよ。

 と切に思い、ちらと一瞥するとエルの紫鮮色の双眸が殺気に満ちていた。

 ひょっとするとエルは子供を忌み嫌っているのかもしれない。などと殺気の矛先を確定させたがるケイ。


「ふーん、そーなんだ。クマさん退治したら明るいうちにお外で遊べるようになる?」


 今はデッドグリズリーで危険なため外に出られなくて退屈なのだろう。遊び盛りの子どもには少々酷な話である。


「なるよ! そしたら一緒にピクニックでも行こうか!」


「やったー約束だよー! ぜーたいだからねっ!」


 異世界でも子どもは可愛いなぁ、食べちゃいたい! などと考えながらケイが優しく少女の頭をぽんぽん撫でていると、露骨にノルンが咳払いをした。

 早く話を進めろという意志が含まれているのだろうと察し村長へ水を向ける。


「……分かってるよ。村長、話を聞かせてください。村で何があったのか」


「分かりました。その前に、お前はコトリを連れて隣の家に行きなさい」


 コトリと呼ばれた少女は村長夫人に手を引かれて外へ出ていった。

 年齢的に少女は村長の子ではないだろうとケイは予想する。そして、あることないことも無遠慮に思考してしまう。


 すると、村長は厳然と口を開く。

 一瞬にして空気が変わったかのように室内が張り詰めた。


「これは最初に言わせて頂きます。西の森には絶対に立ち入らないでください。蜃気楼に惑わされ、絶対に帰れなくなりますから」


 だが、この後語られる話が子どもにはショッキングな内容だということは事実だろう。

 なにせ依頼内容が死を齎す熊――デッドグリズリーの討伐なのだから。

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