第7話 紫鮮色の瞳

 掲示板に記されている内容は解読不能なため詳しくは分からなかったが、挿絵などから比較的広い情報が張られていることが分かった。それも冒険者として役に立ちそうな情報であり、ネット記事のような自由さが感じられる。情報収集が楽そうでなによりだが、残念ながらケイは文字が読めないので詳細は不明なまま。


 女神様の加護でも識字能力は得られないのかと考えていたら、不意に腹が限界突破しそうだったことを思い出し、飯を欲して酒場を目指す。

 階段を下ると見覚えのある空間が広がり、見渡せば既に冒険者らしい人たちで賑やかだった。受付嬢が言うにはモンスターを食材としている料理だから相場より安く、かつ新鮮。そのため冒険者からの人気が高いそう。

 どんなメニューがあるかは分からないが、結局お品書きがあったとしても読めないだろうと思い、ケイは迷わず料理人に直接聞くことにした。


「大銅貨一枚? ならアルミラージのハーブ焼きが良いんじゃないか? 銅貨五枚だよ。ああ、うちで一番安いやつさ」


 一番安いものが銅貨五枚とは、吹っ掛けすぎではと疑いたくなるのも無理はない。ケイが汗水流して得た日給の半分が消えてしまうのだから、悲しくなるのももっともだろう。


 金額もさることながら知らないものを注文するのは躊躇われる。

 だが、慣れが必要だと納得するしかない。それほどまで腹の虫が限界ということだ。

 阿漕な商売しやがってと毒づくことも忘れ、ケイはカウンターに座り不承不承ながらそれを頼み暫し待つ。

 すると、注文の品らしきものがテーブルに置かれた。


 見かけ上は鶏肉の丸焼きのように思える。しかし、アルミラージという謎モンスターの肉であるため乗り気にはなれない。

 肉肉しい香りには昼間散々嗅いだハーブの香りも混じる。獣臭さを消すためだろうか、料理として上等だと思えば案外美味しそうに思えてならない。


 骨を手掴み、恐る恐る口に運んでみれば――


「うまぁいっ!」


 思えば三日ぶりの――もといこの世界に来て初めての食事だ。茸は料理でないのでノーカン。あと、摘んだ山菜も渋すぎて吐いたので論外だ。


 アルミラージがどんなモンスターかは知らないが、生きとし生けるものに感謝しケイは涙を禁じ得ない。


「大将、旨すぎるぅううううー!」


「そうかそうかって、泣くなよ!」


 対面の恰幅の良い料理人は嬉しそうにしながら他の料理を作っている。

 肉と野菜を炒めているが、ガスではなく木炭を使っている。炉端焼きという表現が正しそうだが、魔法がある世界なのだから魔法でどうにかできないのかとケイは思う。


 魔法は誰もが使えるわけではないのだろうか、と考察していると骨をしゃぶっていることに気づいた。

 あっという間とはこのことだろう。今なら早食いでトップを狙える自信がある。


 成長期の体なため到底足りないが、残り銅貨は五枚。全財産をこの場で使うのは躊躇われたため、早々に手持ち無沙汰になってしまった。

 日給が一食分だという現実にショックを受けつつ、貧乏ゆすりしながら周囲を見渡してみると涎が出てくる。

 明日の朝食代として残った金額は節約しよう。そんな理性で欲望を押し殺す。


 皆高給取りなのだろうか、それとも薬草採集クエストが安すぎるのか。言うまでもなく後者だろうが、モンスターとの戦闘であれば報酬もその分期待したい。冒険者は一歩間違えれば死というハイリスクな労働であるが故に報酬は高く設定してほしいものだと嘆息する。


「俺も鉄級に上がれば贅沢できるのかなー。なぁ?」


 対面の料理人は気まずそうに目を逸らす。


 ふと、テーブル席で食事している受付嬢が目に入ったため、ケイは席を立ち話しかけにいく。

 どことなく料理人がほっと胸を撫で下ろしたような仕草をしたのは気のせいだろう、とケイは度外視しておく。


 目的はパンデミオンの龍王討伐クエストのお誘いだ。

 三人以上のパーティーという条件は新参のケイには少々厳しい。顔見知りすら受付嬢だけというのだから難易度ハードモードである。


「無理」


「へ?」


 まだパンデミまでしか言っていないのに、きっぱりと断られた。

 なにもそんなに嫌悪感丸出しで言わなくてもいいのに、女性の一言は破壊力が違うなぁ、としみじみ痛感していると、


「その話詳しく聞かせてくれませんか?」


 そんな声が受付嬢の対面からかけられ、そこにはフードの中に眼鏡を掛けた娘がいた。首元から漏れ出すベージュの髪はクリーミーな色合いでスイーツを連想させる。

 気のせいだ、生憎可愛らしい系の少女には会ったことがないのだから、とケイは既視感を度外視する。


 流石のケイでも蜥蜴も触れなさそうな娘を誘うのは気が引ける。娘といってもケイと同じ年代の乙女だろうが、やんわり断るべきだとささやかな配慮を敢行してみる。


「パーティーの勧誘をしていたところだが。悪いが俺にも選ぶ権利というものがあってだな、だからまたの機会ということで」


 これは彼女のためにも仕方のないことだ。ケイみたいな異世界人ならいざ知らず、か弱い少女に死地に赴けというのは酷な話だから。そんな思考で正当化してみるが、その彼なりの気遣いを、


「舐めないでください変態、こんな阿呆初めて見ました。やっぱ貴方のことなんて知りません」


 そんな暴言で返しやがった!


「おい、俺はHENTAIじゃないぞ。女神様によって異世界より召喚された勇者、ケイだ! しかと覚えよ‼」


「本当にヤバい人なんですね、彼。受付嬢、こんなの置いといて私とパーティー組みませんか?」


 ヤバい人? こんなの?

 カチンと怒り心頭に発する音、あるいは堪忍袋の緒が切れる音、または怒髪天を衝く音がした――気がした。


「おい、お嬢は俺との先約があるんでね。寂しいなら君もパーティーに入れてやらんでもない」


「ノルンちゃん、ごめーん。私はこの件には関わりたくないの。良いんじゃない? 彼、ポンコツだけど荷物持ちなら……」


「そうですか、ならまた一から探しますね」


「おいコラ、無視すんな。この俺は女神様の祝福を受けたんだからな!」


「可哀想に、相当重症ですね。女神様の祝福があらんことを……」


 わざとらしく合掌する彼女。

 ――コイツ舐めやがって! とケイは同年代と会えた喜びを抑え茶番に興じる。


「あーあ、こんなキュートな彼女でもしょうがないか。最低二人必要なんだからっ!」


「なら貴方は金魚の糞ですね、そもそも勝算もないくせに偉そうにしないでください!」


「見込みはあるんだ、女神様の太鼓判だぞ! 龍王なんて真っ二つに――」


「五月蠅い羽虫ですね。もうあっち行ってください。食事が不味くなります」


 彼女の前に置かれた食事は先程食べたものとは比べ物にならないほどの美味であった。


「あああー私のステーキ‼」


「ああっ! 思い出した君は――」


 洞窟で蹴られたぞ、と想起したケイ。その頭にフォークでガンガンと突くノルン。

 そんな中、さも思い出したかのように受付嬢は言った。


「エルくんなら……受けてくれるんじゃないでしょうか?」


 彼女が言い終った頃、ケイは眼鏡っ子の右ストレートで昏倒していた。



       ◇



 翌朝、日が昇り始める少し前。漆黒を纏ったかの如く黒い外套を着込んだ青年は冒険者ギルドから姿を現した。

 三日前から龍王について調べまわっている冒険者であり、ランクは銅級。それもその筈、彼はクエストを一回も受けたことがない新参。冒険者歴も三日というまるで龍王討伐のために冒険者になったような人物。


 事情は違えども自分たちと同じ状況で目的が合致しているように思えたため、交渉――といってもパーティーのお誘いなので請け合いなのでは、というのがケイと彼女の合意である。


 ちなみにフーデッドローブの眼鏡っ子はノルンという名前で、金級冒険者と評される一流冒険者らしい。こんな可愛い娘に務まるのかは定かでないが、受付嬢の太鼓判は信頼に値する。フードを深く被るのは顔を隠すためなのか、この町で二人しかいない実力者は流石だなとケイは感心していた。


 しかしてその面持ちは険しいものであった。


「おい、どうなってんだ、イケメンじゃないか。しかも俺と同い年かもしれん」


「どうでもいいじゃないですかそんなこと。ほら、パーティーに誘ってください」


「嫌だよ。なんで俺が声かけなきゃいけないんだよ。ほら、色仕掛けで誘ってこいよ」


「貴方最低ですね、変態で阿呆で頭おかしくてデリカシーの欠片もなくて……確かに最低ですね」


「おい、もう少し頑張れよって、早くしないとどっか行っちゃうぞ」


 エルと思しき男は薄闇の中、更に暗澹とした建物の裏路地に進んでいく。

 彼が早朝のギルドに顔を見せるという受付嬢の情報はビンゴであったが、彼の後をつけても必ず日が昇る頃には撒かれるという。

 受付嬢は不思議がっていたが、そんな彼女が怖くて二人で身震いしたのもつい先ほどのことだ。


 空に浮かぶ雲が曙光を反射しだし、それに伴い二人は焦燥感に駆られる。


「追いかけましょう」


 すぐに後を追ったが、その姿は見当たらなかった。

 ケイはそこで行き止まりの路地であることに気づき違和感を得る。

 彼は何処に行ったのか、なぜ袋小路に立ち入ったのか。

 違和感は一瞬にして不穏な危機感に変貌する。


 ケイがまさかと思った時には彼女の悪罵が放たれていた。


「本物の馬鹿ですか? 後ろですよ鈍間」


 怒気を含んだ刺すような冷たい声。

 その声の主は警戒が足りなかったと自責の念に駆られるように唇を噛んだ。


 ――最悪だ、恐らく、否、断言できる。彼は私より圧倒的に格上だ。


 と、一目で敵の実力を測った彼女は正面からの殺気を肌で感じ、裏路地に誘い込まれていたことの危機感を今更ながら認識する。

 この場所でなら何が起こっても人目に付かないという最悪な結末が予想でき、それを考慮しなかった自らを恥じる。生命の危機に瀕してからでは遅いというのに、街中であることで冒険者としての警戒心を失念していたと。


 独りでなら逃げきれるだろうが、少なくともケイと名乗る凡俗と逃げ切るのは不可能だと、ノルンは逃走の選択肢を棄却する。


 そんな中、ケイはやにわに身を翻し、エルという野郎を直視する。

 路地の入口から差し込む光をバックに、気怠そうに佇む黒衣の孤影が映される。


 紫鮮色に輝く瞳は心中を見透かすようで、対象に向けられた眼差しはまるで捕食者のように見るものを恐怖させる。


 ノルンは彼の殺気の矛先を知り一瞬安堵するが、ケイに悪いので些か自省。彼を警戒しているのだろうかとも思うが、もっと確信的な何かを彼は見ているのだと所感する。それが、もしスキルに関する事であれば相当マズイことになると付け加えて。


 腰に携えた豪奢なロングソードから、剣の国の実力者だと察しノルンは納得した。


 ケイが感じ取った眼前の――エルと呼ばれる男の第一印象は狂気だ。

 己の身すら燃え尽くすほどの劫火は如何なる目的をも遂行する毅然さと、それに反する冷酷なまでの合理的思考。そんな二律背反の要素を併せ持つ印象から、彼は狂気という表現が言い得て妙だろう。


 そんな不整合を肌で感じ取りケイは戦慄する。

 視線によって牽制されているという事実かもしれない錯覚から身動き一つとれない。敵愾心剝き出しで迫るような威圧感に狼狽させられ、一瞬でも目を離せば生の諦めと同義だという確信から息が詰まる。圧倒的強者のオーラというべきか、痛いほどの存在感を受け、脂汗が垂れる度に足が鈍重になる。

 そして、あの目をみると自分がちっぽけな存在なのだと自覚させられる。


 知らぬ間に不興を買ってしまったのか、先程から自分だけ睨まれているような気がしてならないとケイは一歩後退るが、行き止まりの路地。袋の鼠であることは火を見るより明らかだ。

 恐怖という枷ではなく、警戒の鎖によって身動きが取れずに脳内に煩いほど鳴り響く警報に緊迫する。


 結果、ケイは選択肢すら与えられず動けない。


 そんな木偶の坊と化したケイとは裏腹に、ノルンは流暢に言葉を紡ぐ。

 尾行していたという事実から第一印象は悪いが、目的を話さなければ交渉ですらないのだから。


「パンデミオンの龍王討伐クエスト、知ってますよね。この町の領主パンデミオンの下、近々冒険者が徒党を組んで龍王に喧嘩を売るんです。貴方に私たちのパーティーに入って頂きたくお声掛けしました。つけていたのは謝ります」


 虚勢を張る様子もなく、一歩前に出て言ったノルンは軽く会釈をした。

 硝子越しの瞳は海のように深く、その青さは彗星ような冷たい引力を物々しく感じさせた。


 彼女――ノルンという冒険者は普段の可愛らしさに反し、この冷徹な青い眼は威圧感を抱かせるには充分な破壊力がある。

 ケイはノルンのことをよく知らない。龍王討伐の目的すら聞いていないし、本当に強いのかと思うほど彼女に対し無知なのだ。

 そんな彼女に度胸があると知れば、ますます自分が情けなく感じてしまうケイ。


 そして、厳然とした印象を抱かせる彼女に呼応してか、エルは初めて口を開く。


「勝算は?」


「!」


「一割」


「‼」


「乗った」


 一瞬で交渉が終わり、終始吃驚していたケイは何がなにやら。


 ノルンは詰めていた息を吐きだし、首の皮が繋がったと冷や汗を拭う。

 剣の国の強者は対人戦闘の達人であるため、モンスター専門の冒険者には相性が悪く、及ぶべくもないことは道理だ。そして、絶対的な強者に恐れをなすのは当然であるが、過度な恐れは相手に嫌悪感を抱かせてしまうため宜しくない。


 故に、彼がその気になれば交渉どころではないとノルンは読んでいたのだが、何事も無く交渉成立したのは僥倖だった。全身全霊をもって保身に走ることになる、とまで思わされていたのだが、その終わりはあっけないものだった。


 パンデミオンの龍王討伐クエストは最低三人。条件は達せられたのだが、彼の敵愾心の本意は謎のまま時は進んでいく。

 兎にも角にもパーティーが完成してしまったのですり合わせをするべきだと彼女が言い、それに残りの二人が同意したことで自己紹介が始まる。


「私は冒険者のノルンです。どうもよろしくお願いします」


 柔和な口調でそう言い、ぺこりと頭を下げるノルン。

 どうやらパーティーとしての打ち合わせを今この薄暗い路地で行うらしい。

 ケイは精神的な疲労から木箱を椅子に見立て座り込むが、その口調は朗らかなものだった。


「俺はケイだ。昨日冒険者になったばかりだが、よろしく頼む」


「……エルだ。ああ、よろしく」


 それを皮切りに、ノルンはまず、と本題を切り出す。


「私のスキルは対象の魂を破壊する能力です。龍王の〈魔力障壁〉さえ突破できれば勝ちは揺るぎません」


「なら障壁の破壊はオレがやろう。能力は魔力障壁を貫通する斬撃とでも言っておこうか」


「障壁の貫通ですか。それって、命中率はどれくらいなんですか?」


「生憎、ドラゴンを切った経験は無くてな。だが、剱が届けば大抵のものは切れる」


 ケイはドラゴンを切った経験という部分に強い違和感を得る。人なら切ったことがあるのかと。そして、いかにも冒険者らしい会話に入りたい彼は話についていけずに黙りこくるしかない。


 スキルとは何かと疑問符が浮かぶが、〈魔力障壁〉という単語は聞いたことがある。確かキラが自分に付与した魔法だっけ、などと記憶を遡っていると。


「ケイと言いましたか、貴方は何ができますか?」


 ケイは急に水を向けられ狼狽する。

 スキルや能力でなく、何ができるのかという問であるのは彼女なりの配慮か。だが、それすら自信をもって言い返すことはできない。魔法や加護は聞きかじりだが、スキルという単語は初耳であり、会話からノルンやエルはスキルを持っていそうである。しかし、自分にあるのかは不明だ。


「えっと、なんでもやります」


 顔色を窺いながら申し訳なさそうに言ってみるが、ノルンのコイツマジかという表情を向けられかなりショック。

 面目ないため、上気した顔を両手で隠しながら指の隙間からチラチラと盗み見るケイ。

 心なしかノルンの見る目が鋭くなった気がした。


「はぁ、パーティーメンバーとして頼りないし信用できないですね。どうですか? エル。知り合いの翡翠級冒険者に頼んで交換してもらいましょうか?」


「いや、その必要はないだろう? 彼、中々やるらしいぞ」


 つい先ほどの苛辣さとは打って変わって威圧感の欠片もないエルはにやりと含みのある笑みを浮かべる。

 この顔は期待の表情だろうか。ケイの立つ瀬がますますなくなる思いだ。

 何もできないという自信があるのが実に悔しいところだが、キラに頼まれたという事実からやらなければいけないという義務感があるため、引くに引けない。女神様からの頼みというより、自身の存在意義のためにという趣旨が強いのだが。


「そう、ですか。なら、一回手頃なクエストでも受けてみましょうか。仲間の実力を知らないといざとなったとき信頼できませんから」


 パーティーにおいて信頼がどのような意味を持つのかは冒険者歴が浅いケイには分からない。しかし、龍王討伐を目指す仲間ができたのは喜ばしいことだ。この世界で絶望していない人たちが仲間になってくれる。それがこんなに頼もしいことなのだと心から思えたから。


 すると不意にエルは舌打ちをし、眉を顰めて怪訝そうに言う。

 彼はシンプルに目つきが悪い。あれは絶対人殺しの目だと、ケイは胸に秘めておく。


「チッ、厄介なのが来た。今からクエストを受けに行くぞ」


 ケイは唐突すぎて当惑するが、ノルンは戸惑う様子もなく返答した。


「今からですか、私は構いませんが」


「俺もだ!」


 取り残される寂寥感からか、ケイが出した声は敢然としたものだった。

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