第4話 金級冒険者ノルン
早朝からワイバーン討伐のため町を出発したが、結局見つからずに日が暮れてしまった。
仕方ないので夜が明けるまで休息すべく彼女は洞窟に立ち寄ることにした。
中に入ると人が使用した形跡が垣間見える。例えば、大雑把な地形が記された地図がナイフで張り付けられており、また、山岳地帯であるにも拘わらず、藁と薪が充分に補充されている。
つまるところ、誰かがわざわざ持ってきているのだろう。
簡素でちょっぴり物寂しい天然の宿屋に有難みを感じる。
「有難く使わせて頂きます」
薪を組み、魔法で着火すると瞬く間に洞窟内が明るくなった。
洞窟といっても、浅く風通しが良いため火を扱っても問題あるまい。現に薪があるのだから大丈夫だろうと、彼女は薪を更に焚べていく。
炎の光は勢いを増し、外を見ると深淵の暗闇が確認できた。
やはり立ち寄って正解だったと気を緩める。夜間の移動は危険であり、借り物である大蜥蜴が怪我でもしたら弁償しなければならないのだ。
洞窟の穴を塞ぐように泊めている荷車、年季が入っているわりに大銅貨三枚とはボッタクリにもほどがあると彼女は毒づく。
しかしながら、ワイバーンの討伐が叶えば白金貨は下らない。現在の生活水準であれば数年働かなくても生活できる金額だ。
冒険者はごろつきがなることが多いため、さもしく品性に欠ける者が多い。
泥に塗れ狡っ辛い手段も上等、といういかにも冒険者らしい覚悟も悪くない。悪くないのだが、彼女はそんな野卑にはなれない。
冒険者たるもの、夢は大きくなければ名が折れる。それには賛同だが、決して高潔ぶっているわけではない。金級冒険者としての僅かながらの矜持が否定するからだ。
そして、無茶でも無謀でもない。ソロでワイバーンを討伐する覚悟と実力はあると自負しているのだから。
ベージュの髪が溢れるフードを脱ぎ払い、眼鏡を外して藁の中にダイブする。
海の如く青い瞳と頭のてっぺんから生える一対の猫耳が顕わになる。それは彼女が獣人であることの証左だ。
獣人は人間に動物の個性を持たせたような見た目をしており、主に猫や犬などが多い。
肉体的な能力は通常の人間を遥かに凌ぎ、知能は人間と大差ないというハイスペック。
人間より優れていることは明確だが、隣国の帝国では奴隷として売買されることもある。
その原因は人間の邪悪さであり、要因は住む世界の差だ。
獣人は森に生き、自然を大切にする。対し、人間は森を切り開き生活圏を社会規模と共に際限なく広げていく。
必然的に、人間と獣人は争い、敗北した獣人は奴隷へと落ちた。
それを良く思う獣人は断じていないが、人間の国家に反逆できるほどの戦力はある筈もない。一昔前に点々と存在していた獣人の里は、今は一つも残っていないのだから。
――はぁ、と彼女は溜息を吐く。
獣人であることが露呈すれば、この町にも居づらくなることは明白。このブレインド共和国に奴隷制はないが、少しでも不和の原因を隠そうとするのは種族無関係の処世術である。
目的を果たしたら他の町に渡るつもりだが、それまでの辛抱だと直近の仕事について思案する。
現状、ワイバーンの目撃情報はデマではない――と読んでいる。誤情報なら町の人々は喜ぶかもしれないが、念には念を。ワイバーンを討伐できる冒険者はこの町で彼女かもう一人くらいだろうから。
しかし、見つからなければ無駄骨なのでワイバーンがいた方が彼女にとっては嬉しい事案だ。なんなら襲ってくれればなお良いのだが。
まだ探し始めて初日なので気楽に探すつもりでいるが、討伐報酬が高そうなモンスターがいればワイバーンが見つからなくてもそちらの儲けが期待できる。冒険者は稼げる職業なのだ。
もっとも、今日はスライムしか見かけなかったのだが。
「ワイバーンに恐れたモンスターが身を隠したのでしょうか……。やはり現実味を帯びてきましたね」
この情報を一刻も早く町に知らせるべきだが、焦るのは良くない。
なんたって彼女は冒険者で此処は龍王の縄張りなのだから慎重に越したことはない。
明日こそは討伐してやると息巻き、欠伸をしながらフードを深く被り仰臥位になる。
睡眠不足は判断を鈍らせるため、冒険者にとって睡眠は仕事の一部のようなものであり、これを怠るのは命を軽んじる奴だけだ。
だから、彼女は早々に目を閉じた。
時間にして夜半。薪はとっくに役目を終え、灰へと姿を変えていた。
外の世界は静寂と暗闇によって眠り、彼女は目覚める。
ふと、故郷のことを考えてしまう。生き別れた双子の妹のことを。
村は彼女の贄となり、一夜で獣人の里は滅んだ。
もし、生き残った己に罪があるのならば、今にもあの死神が枕元に立つだろう。
そんな思考を益体もなく考えていた折、外の騒がしさに虚ろな青い瞳を向けると、荷車の隙間から人型が入り込んでくるのが見えた。
こんな真夜中に人なワケがないと思い身構えるが、大蜥蜴がキーキー騒がしいため害はないのかもしれない。この辺りのモンスターなら蜥蜴ごとき瞬殺できるので、人型のスライムだろうか。そんな話は聞いたこともないのだが。
そんな安易な思考もそれをハッキリと見た瞬間消し飛ぶ。
露出し溶解した皮膚。まるで生気が感じられない躯に、機械的に繰り出される足。そして、見開かれた瞳には獲物を狙う狂気の赤が迸る。
――――なぜ?
嫌になるほど憎んだスキルが発動しない。
動揺の渦中、彼女はこれを夢だと即断した。これは己が課した罪過の具現なのだと理解してしまったから。
生を諦め生のない怪物に魂を差し出すような悪夢。それは並の勇気でも事足りないが、彼女にとっては生への開放とも捉えられた。
およそ百年前、七英雄が魔王を倒しこの世に安寧をもたらした。そして、七英雄の一人である大魔法使いは魂の救済によってアンデッドをこの世から消した。
だから、そんな世界に現れた此奴は神が遣わした悪魔なのだろう。ならば仕方ない。受け入れる他ない。それがこの世界の条理であれば彼女は無力だから。
しかし、どんなに偉い神であろうとも彼女の心を服従することはできない。己の人生の一時でも放棄するわけにはいかず、目的を果たさなければ死さえも許されない。それが罪人である私の定めなのだと、彼女は重苦しい十字架を背負う。
彼女は過去を後悔していた。故に、生き別れた妹を探しているのだ。
今更ながら人生にケリをつけようとするなど滑稽だろう? と彼女は嗤う。
一歩、一歩と距離が近づくたびにダガーを握る拳は固くなる。
一秒一秒が長く感じられ、張り詰めた空気に息が詰まる。が、それも一瞬のことだったのかもしれない。
影は洞窟の入口を逆光にして向かって来る――
一秒もあれば首を掻き切れると、それをなによりも殺伐とした意志で迎える。
深淵たる地獄へいざなう彼女の魔眼によって、悪魔は一瞬慄いた。それすなわち、死。
「――――!」
彼女は突然のことで息を吞み身構えたが、単に悪魔が力尽きただけのようで、その躯はうつ伏せに倒れたまま動かない。
すると、ぐーという呑気な腹の音が洞窟内に響いた。
「は?」
呆気にとられるが、おかげで漸く理解できた。それがただの変質者だということに。
変態を悪魔などと見間違えたのは寝ぼけていたからだろう。そんな阿呆な自分に赤面し、羞恥に苛立つ。
眼鏡を掛け、私の感情を返せと顔面に蹴りを何発か入れ、何事も無かったと早々に立ち去る彼女。
オーバーキルとはこのことだろう。
ほんの少しばかりの情けからか、バックから取り出した丸い手のひらサイズのパンを投げておく。腐っても冒険者ならば助けてやらんこともない。しかし、とにかく気色悪いので関わりたくない、というか今夜は何も見ていないんだ。少しばかりの悪夢だけ。
現実逃避で羞恥心を抹消し、平静さを取り戻す。
真夜中に荷車を走らすのは危険だが、幸い月明かりがでているためまだマシだ。
ぽっかりと夜空に空いた月の輪は相も変わらず闇だけを照らす。
大蜥蜴を走らせ詰めていた息を吐きだし、ふと先程の違和感を思い出す。
スキルの発動が遅かったのもそうだが、彼はこんな時間に何をしていたのだろうか。夜這いであれば息の根を止めるべきだった。
ことによると、スキルによって完全に命の灯を絶やしてしまったかもしれないのだが。
……やめだやめだ。どうせ考えたところで詮無いことだから。
と、殺人をなかったことにした彼女の耳朶に、なにやら呻き声らしきものの声が背後から響いた――気がした。
荷台には何も乗せてない筈、なんて考えていても埒が明かないと振り向く。
そこには、パンを喉に詰まらせて窒息しかけている変態が。
「なにやってるんですかっ変態! 今すぐ降りてください! ひゃあっ、なんかヌルヌルする⁉」
「うぐっ! うぐっぐうううっー!」
バタバタ暴れた後、ピクリとも動かなくなる変質者。きっと息絶えたのだろうが、捨てていくのも気が引ける。町まで数時間かかるため、恐らく手遅れだろう。
……仕方ない、ギルドの前で捨てるか。
そこまで思い至り、彼女は何度目かの深い溜め息を吐き颯爽と蜥蜴を進めた。
◇
遠くの方から差し込む橙色の光がレンガの屋根を更に赤く染め上げ出す頃。冒険者ギルドに一人欠伸を隠すことなく姿を現した受付嬢は今日も仕事だと張り切って大きな欠伸を再び。
ふと、彼女の瞳に一人の青年が映った。
「エルくんじゃないですか! おはようございます!」
一見、濃紺色の髪から地味目な印象を覚える青年は、こんな朝早くからギルマスに用があったらしい。よく見なくても魅力的で端整な顔に、全てを見透かすような紫鮮色の瞳をした彼は昨日冒険者になったばかりの新参だ。
その出で立ちから噂では貴族ではないのかという意見が出るほどだが、真相は謎だ。
彼が腰に差した剣は相当な値が付きそうな見栄えであり、それ相応の実力者なのだろうと予想できる。この町にはごろつきじみた冒険者が多いので、高価な物をひけらかしているだけで相当の実力者だと言っているようなものなのだ。ごろつきごときでは敵わないのだと、そう暗に示しているのだ。
嬉々と叫びたい気持ちを抑え、受付嬢は年上の女性らしく落ち着きのある態度で対面する。しかし、直視できずに顔を隠す。朝日のせいですよと言い訳しつつ。
そこに、古びた荷車を停めた凄腕冒険者兼、眼鏡美少女のノルンが現れた。フーデッドローブから零れるベージュの髪に鮮やかな青い瞳が特徴的な可愛らしい娘。年齢はエルと近しいと思われ、彼女も相当の実力者である。
高給取りなのでもう少し上等な荷車を借りればいいと思うが、散財でもしているのだろうか。否、質素な彼女のことだ、きっと貯金しているのだろうと受付嬢は勝手に解釈しておく。
ノルンという名前を知らない冒険者はこの町にはいない。金級冒険者とはそれほどの称号であり名声なのだ。
金級は冒険者の憧れであり、この町では二人という圧倒的少数。
そして、信じられないことに彼女はソロだ。この町きっての実力者と言っても過言ではない。
年齢は十五とかだろうに、年甲斐もなく難関クエストを独りで完了させる手腕は見事。
先のグリフォン討伐においては数時間で町に帰還し、ボロい荷車に似合わない積荷のギャップは彼女をこの町に強者だと知らしめた。
そして、この町で二人目の金級冒険者の誕生に町中が沸いたのもまだ記憶に新しいことだ。
「受付嬢、アルミラージと変態の買い取りをお願いします」
「変態? それは処分代がかかりそうね。うちには断頭台なんて置いてないし……。というか衛兵さんの出番ではないですか。あと、角兎とは不猟ね。やはりワイバーンが……」
アルミラージは角が生えた兎なので角兎とも言う。いわゆる業界用語というヤツだ。
そんな町の外周でしか生息できないような雑魚モンスターでも金にはなるから拾ってきたのだろうが、新人に譲ったりするという考えはなさそうだ。
角兎は龍王の縄張り圏外なら山ほどいるようなモンスターなため、価値も下の下。最低価格で取引されるのだが、手ぶらで戻るのは彼女のプライドが許さないのだろう。
ノルンはワイバーンの捜索クエストに出たが、彼女の不猟で信憑性が上がってしまった。
ワイバーンは飛竜とも呼ばれ、生態系の頂点であるドラドン種だ。それも金級レベルの強力なモンスターであり、ドラゴンの中でも知性に欠け、人間を襲いかねない狂暴性がある。
つまるところ、存在自体が人類の天敵なのだ。強力ゆえに厄介である敵。
ワイバーンに恐れたモンスターは軒並み姿を隠すため、獲物として人間の集落を襲うことがある。なんとも理不尽な話だと嘆息せざるを得ない。
空を飛ぶモンスター相手では殆どの冒険者が無力と化すため、戦闘もしづらく相性が悪い。
ことによると銀級でも足手まといなのではと受付嬢が考えるほどに。
そんなことを考えながら言いながら荷車を見やると、ゲル状の青年が積まれており、ノルンはすげない態度でそれを荷台から引きずり落とした。
ドスンと音を立てた躯はドロドロに溶かされ、絶妙にグロテスクだった。
「えっ! ちょっ、変態じゃなく死体じゃないっ! 衛兵さん呼んできましょうよ。なにかの事件かもしれないし……臭いし」
角を両手に収め、二匹のアルミラージを差し出してくるノルンに抱き着き右往左往する受付嬢。
そんな二人を他所に、エルが汚物に近寄る。
「ダメよエルくん! 彼はもうっ、うっ、うげえぇっ――!」
「離れてください、暑苦しいです」
「やめて、臭すぎて悶絶する私をそんな目で見ないでノルンちゃん!」
異臭を放つそれを見もせずに通り過ぎ、とぼとぼと歩いていくエル。
「――エルくん⁉」
我関せずと、超然と去っていく姿を唖然と見つめ、やはり後ろ姿も悪くないと入り浸る受付嬢。
その彼女に抱擁されながら真顔でエルと呼ばれる彼を見据えるノルン。あれは強いとの所感を得た後、地に伏す異様な男を見やる。
「うっ、ううう」
「ひゃーー! 生き返ったーーー‼」
朝っぱらから大声で絶叫し、仏頂面のノルンに抱き付きながら、朝くらいは静かにエルくんを堪能させて、と胸中でも叫ぶ受付嬢であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます