第10話

「母子家庭なんだ、私の家。」



俺はただ、耳を傾ける。



「お父さんはいるんだけど、1ヶ月もしないうちに、変わってくの。せっかく仲良くなったお父さんも、すぐ出ていっちゃうから、すっごく寂しくて。」



彼女のすすり泣きが、頭をつんざく。



「その度に、お母さんに気づかれないように泣いてたんだ。もうお父さんと仲良くなるのはやめようって思った。」



それでも彼女は話し続ける。



「でも、それが裏目に出ちゃったみたいで。私がお父さんと仲良くしてないと、『そのせいでお父さんが家を出てくんだよ』って怒られて、酷い時には殴られるんだ。」



俺も、彼女のことばを受け止める。



「そんなわけないのにね。お父さんが出てくのは、きっとお母さんのその性格のせいだよねって、思ってたけど口には出せなかった。」



彼女の苦悩が、痛いほど伝わってくる。



「ほんとに殺されるって思った。死にたくなかったわけじゃないんだけど、死ぬときは自分で決めたかったんだ。」



受け止めてやりたい。

ただそう思った。



「そっから、とうとうお母さんも出ていっちゃって、私一人になったんだ。お小遣いなんてくれなかったから、親戚の人から毎年貰ってたお年玉切り詰めて、なんとか生活してたんだ。でも、もうお金が底を尽きちゃって、学校にも行けなくなって...」



............



「ごめんなさい、上手くまとまらなくて。本当はもっと話したいこと、言いたいこと沢山あるはずなんだけど...」



大丈夫、だ、大丈夫。

俺は、ただ黙って彼女の話を聞いていた。


まだ泣き止まない彼女の背中を、優しく撫でた。



まるで、いつか失われた、俺の子供を慰めるかのように。



「それでね。もう、頃合かなって思って。この屋上に来たんだ。飛び降りようって思って。もう終わらせようって思って。」



「そうしたら、斉原さんがいたんだ。私さ、小さい頃からお母さんが厳しくて、誰にも悩みを話せなくて、でも、なぜかこの人には話せるんだって、直感で思ったの。」



「そこからはすごく楽しかったよ。幸せだった。斉原さんは声出せないけど、それでも優しさが伝わってきて、私が助けるつもりが、私が助かってて......」



「でも......不思議だよね、幸せな時間を過ごしちゃうと、つらい時間が、もっと辛くなっちゃうんだ......」



そこまで言って、葉月は黙り込んだ。


この子は......俺と同じだ。


俺も、家族に捨てられた。

まだ家族と言っていいような規模ではないが、

たしかにそこには、いや、この子も同じ。


俺たちの「永遠とも思えた日々」は、いとも簡単に奪われたんだ。


はは、すごいよな......

俺なんて、一人の人間に捨てられただけで、声がなくとも前向きに生きようとした自分を裏切るように、後ろ向きになり始めるんだ。



でも、この子は違う。それ以上だ。

俺は虐待なんか受けたことないし、金銭的に生活難に陥ったこともない。


彼女の表情を見ると、その痛みが伝わってくる。



......不思議だな。彼女も俺のことを、出会ったその時から「この人なら信頼できる」だなんて思ってくれていたのか。


彼女、も......



どうしてだろうか...



「...ねぇ、斉原さん。」



「私さ、ひとつだけ、大事なこと隠してるんだ。」


「でも、これを言っちゃったら、斉原さんともう話せなくなるような気がして、ずっと秘密にしてたんだけど、もう.......私の方が耐えられない。」




「......」





沈黙が続く。






「私の名前。葉月翠って、嘘なんです。」




........え?




「一ノ瀬 翠。私の本当の名前です。」




.........!?


顔が引きるのを隠せない。

呼吸が止まる。



『一ノ瀬 翠。私の本当の名前です。』



聞き間違えるはずがなかった。

何度も何度も、頭の中で彼女の言葉が反芻はんすうされた。



一ノ瀬。その姓は間違いなく......
































.......俺を捨てた、あの女のものだ。

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