第9話 諦めと不安


 その後、元々通院していた近所の眼科に戻った栗須。

 手術自体は成功したので、後は投薬治療を続けて視野を守る。なので近所の眼科で問題ありませんでした。

 ただ、緑内障の進行は続き、今現在、左は光を感じるのみ、右もどんどん視野が欠けている状況です。




「いずれ失明します」




 そう言った先生の言葉が、重く重くのしかかっています。


 自分は創作大好き人間。ならば見えなくなるまで、一作でも多くの作品を書き綴っていきたい。そう思い、毎日パソコンに向かっています。


 見えなくなってきたこと、それにコロナ不況が重なったことで、自分の中で整理がついて。

 長年続けた撮影会社を退職し、今は介護の現場で働いています。

 介護ではそこまで視力を必要とすることもないので、何とか日々の業務をこなせています。ただ、車は勿論、自転車に乗ることも出来なくなったので、そこでは少し迷惑をかけているかもしれません。





 そうこうしている内に、どんどん見えにくくなっていって。

 ある時先生に言われました。


「後発性の白内障になってますね」


「え?」


 なんですか、その病名。また何か増えたの?

 と言うか、白内障の手術はしましたよね。

 後発性って何?


 つい最近、網膜剥離って言われたばかりなのに。

 目を瞑ってもあちこちが光ったり、空を見ると何十羽も鳥が飛んでるみたいにゴミが見えたりしてて。

 なんともまあ、どれだけおかしくなっていくの? ひょっとして栗須、前世で誰かの目を潰したの?

 そう思ってしまうぐらい、この数年は目で大変な思いをしてるのに。

 ここに来てまた新たな病名って。何の冗談ですか。


「たまにあるんですよ。手術をしても、またレンズが濁ってくることが」


 そう言えばここ最近、テレビが見えにくくなってました。エンドロール、スタッフの文字が見えないなんてことはざらでした。

 単に視力が落ちていると思ってたので、また眼鏡を買い換えないといけないなと思ってたのに。

 違ったの?

 後発性白内障って何? おいしいの?

 そんな冗談が頭に湧いてきました。


「すぐにとは言わないけど、もっと酷くなっていくようなら、手術した方がいいですね」


 そう言われ、勘弁してよと苦笑いを浮かべるしかありませんでした。





 そして今年、2023年の幕が開けて。

 連続夜勤が終わった1月3日。今日から待ちに待った4連休、執筆するぞと目覚めた朝。


「……」


 見えん。何も見えん。


 何も、と言うのは言い過ぎだけど、とにかく昨日と全然世界が違う。

 例えるなら、すりガラスの眼鏡をかけてるみたいな感じ。

 世界が濁ってました。

 翌日も、そのまた翌日も改善せず。

 後発性白内障が、一気に悪化していました。

 ただでさえ視野が狭くてしんどいのに。

 その上濁ってるって、どんな罰ゲームなんですか。


 その頃から、栗須はあまり眼鏡をかけなくなりました。

 眼鏡をかければ、余計に見えてないのが分かるから。

 それがストレスになってしまうから。

 ならばもう、見えてない方がいいんじゃない?

 そう思っての行動でした。





 それから現在に至るまでの半年で、少なくとも2度、また悪化したなと自覚しました。


 どんどん見えなくなっていく世界。

 気が付けば、スマホの文字も読めなくなっていました。


 文字を大きくして、太字にして。

 でもそれも、5月に入った頃には無駄になっていました。

 時間をかけて頑張れば、何とか読める。でもそれは、とんでもないストレスでした。

 執筆だけはと思い、続けていました。Wordも画面を大きくして、一文字一文字打ち込んでいって。でも読み返すストレスに耐えられなくて、何度も投げ出しました。

 ここまで見えなくなってくると、不思議と笑えて来ました。


 一番笑ったのは。

 深夜にやっていたアニメ、「お兄ちゃんはおしまい」。

 関東から遅れること3か月、大阪でも放送が始まりました。

 結構話題になっていたので、これはチェックしとかないとと録画しました。

 そして迎えた第1話。


 爆笑。


 画面が真っ白で、ほとんど何も見えませんでした。

 どうやらこのアニメ、配色がパステル調で、色の境目が緩いようでした。

 原色に近いもの。昔の「Dr.スランプ アラレちゃん」とかなら見れるのですが。

「おにまい」は全くもって何も見えませんでした。

 本当に画面が真っ白で。コントラストの強いシーンだけが認識出来る、そんな状態でした。


 これはネタになる。いつか誰かに話して笑いを取ろう、そう思ったものでした。





 5月。

 先生から、「だいぶ進行してますね。そろそろ手術しませんか」と言われました。

 写真で見ると両眼とも、黒目の半分以上が白くなってました。


「……」




 正直悩んでました。


 理由は二つ。


 もし失敗したら。

 そう思うと、怖くて決断出来ませんでした。


 この作品の冒頭でも書きましたが、栗須は元来、あるがままを受け入れる人間です。

 今は亡き父からも、よく言われました。

「お前はすぐに諦める癖がある」と。


 もし今、余命1年ですと言われても、「ゴールがついに見えたんだ。それまでに何が出来るか考えようっと」と、受け入れるんだと思います。まあ、本当にその時が来たら、また違った反応をするのかもしれませんが。


 全てを受け入れ、全てを諦める。あるがままに、流されるがままに。


 ですから手術と言われても、「じゃあやります」と躊躇なく答える、それが栗須の本質だった筈です。

 なのに今回。手術としては至極簡単なレーザー治療に物怖じしている自分がいました。


 その理由を、今作で書いてきました。

 要はお医者さんが信用出来ないということ。

 こんな変な星の下に生まれた栗須なら、失敗する可能性の方が高いはず。

 そう思ったからでした。


 そしてもうひとつの懸念。

 成功したとして。

 でももし。

 それでも状況が改善しなかったら。

 希望が完全になくなってしまう。


 今なら「手術すればよくなる」という希望があります。

 それがもしなくなったら。その希望が幻だったら。

 どれだけ絶望するのだろう。そう思い、怖かったのです。


 ここまでの戦績は5勝4敗。

 流石に少し、怖くなっていました。

 このままでもいいんじゃないか、そう思いました。



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