第8話 ミスと苛立ち


 緑内障の手術、両眼とも無事成功。

 1か月の入院生活を終えた栗須は、しばらく自宅療養することになりました。

 と言うのも、栗須の仕事はアルバムの作成。目を酷使するものです。

 退院してすぐに復帰するのは難しかったからです。


 そしてもうひとつ問題が。

 緑内障と一緒に行った、白内障の手術。

 これによって、視力が全く変わってしまったのです。





 人間の目というのは優秀な造りをしていて、見たい物に即座にピントが合うように出来てます。言ってみれば、融通がきく代物なのです。

 しかし新たに入れた人工の水晶体は、単焦点レンズと言って、一か所にしかピントが合わないのです。距離としては30センチ、1メートル、5メートルのいずれかを選ばなくてはなりません。


 保険適用外だと、多焦点レンズと言って、遠くと近くの二か所、もしくはその中間を合わせた三か所にピントが合う優れものを選ぶことも出来ます。ですがお値段もそれなりで、庶民たる栗須に手が届く筈もありません。


 栗須は老眼なので30センチの方がいいと言われ、それに従いました。ですがこの人工レンズ、本来のレンズに比べ全く融通がきかず、30センチでないとピントが合いません。爪を切るのも大変でした。

 先生は「その内慣れるから」と言ってましたが、慣れるのに1年以上かかりました。

 自分の目で見てるという感覚がない感じ。例えるなら、世界をモビルスーツのカメラで認識していると言った感じでした。歩くのも苦労しました。





 週に一度診察に赴き経過を見る、そんな生活をまたまた1か月ほど続けました。

 そしてある診察の時、それは訪れました。


 先生が、「すぐ済ませるから。ちょっとオペするね」そう言って別室に連れていかれたのです。

 先生が何をしようとしていたのか、何が気になったのか未だによく分かってませんが、その頃の栗須は先生のことを信頼していたので、特に気にしていませんでした。


 いきなり始まった3度目の手術。

 途中、パチンと言う音が聞こえた気がしました。その音と同時に目に痛みが走り、「痛っ」と声が出ました。

 先生は「ごめんね、すぐ終わるからね」と言って処置を続け。

 その日眼帯をしたまま家に戻りました。


 そこで異変に気付きました。

 視界が歪んでいる。

 地面がウオーターベッドの様に波打っている。

 何これ。

 翌日、目が覚めても症状は改善していませんでした。

 慌てて病院に向かいました。





 しかし、これが大病院あるある。

 栗須の先生はあちこちの病院を掛け持ちしていて、週に一度しかその病院にはいなかったのです。

 看護師さんに説明し、先生に連絡を取って欲しいと訴えました。しかし「先生はいませんので」の一点張り。いやいや、連絡ぐらいとってよ。

 挙句の果てに「問題ないですよ。また来週、先生のいらっしゃる日に来てください」と言われて沸点突破。


「いやいや、先生でもないのになんで分かるの?」と言ってしまいました。


 看護師さん、不満気な顔で診察室に。しばらくして出て来ると、「今日来ている先生に聞きましたが、大丈夫だとのことです」とまたまた栗須の神経を逆なで。


「だーかーらー、なんで診てもないのにそんな診断を出せるの? 適当にも程があるでしょ。とにかく昨日手術してから、視界がおかしなことになってるんです。まっすぐ歩けなくなってるんです」


「ですので、先生は問題ないって」


「だからだから、だーかーらー、執刀医でもない他の先生が、診察もしないでなんでそんな診断くだせるの? おかしいでしょ。訳が分かりませんって。先生に電話して聞いてくださいよ」


「いえその……先生の連絡先を教えることは出来ないんです」


「そうじゃなくて、あなたが電話すればいいでしょ。症状を伝えて、どうすればいいのかの指示をもらってくださいって言ってるんです」





 こんなアホみたいなやり取りをしばらく繰り返し、看護師の重鎮らしき人物まで出てきて、ようやく先生に連絡してくれることに。

 こういうのが嫌だから、栗須は病院で何も言わないことにしてるんです。

 周りからすれば、ただのクレーマーに見えたことだと思います。


 でも我慢出来ませんでした、残念ながら。


 そんなに変なことを言ってます?

 先生がいないことは分かってます。だから先生に症状を伝えて、然るべき指示をもらってくださいと言ってるだけなのに。

 歯医者の時と同じ。話だけで適当に「大丈夫ですよ」と言われ、苛立ちがマックスになってしまいました。




 しばらくしてやってきた看護師さん。


「先生に症状をお伝えしましたが、とりあえず問題ないとのことです。来週まで家で安静にしてくださいとのことです」


 まだ納得出来ませんでしたが、これ以上いても進展はないと思い、この日は帰ることにしました。





 翌週の診察日。

 結局一週間、症状は改善しませんでした。おかげで職場復帰も延期になってしまい、気分は最悪でした。


「ごめんなさいね、お待たせして」


 そう言って先生が謝罪してくれたので、無理矢理自分を納得させました。

 自分が怖かったのは、今以上に目がおかしなことにならないかということ。

 安心が欲しかっただけでした。


「ああ、なるほどね……ごめんなさい栗須さん、ちょっとやりすぎたみたいです」


 よく分からないですが、先週の手術で何か不手際があったみたいでした。先生はそう言って、その場で栗須の目に処置を施しました。


「これで問題ないはずです」


 そう言われ、診察は終了しました。





 ええっ? こんなに高いの?


 と言いたくなるぐらい高かった診療費。

 先生は自分のミスだと言ってくれた。なのに治療費は請求するんだ。

 職場復帰も延期になって、不安と戦いながらでこっちは散々な一週間だったのに。


 どういうこと?


 黙って会計を済ませ、栗須は「やっぱ信頼するの、やめよう」と改めて誓ったのでした。


 5勝4敗。貯金が一つ減りました。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る