第6話 入院


 目薬の効果で、緑内障の進行は少し緩やかになりました。

 初期の内に対処していれば、かなり進行を抑えられるそうです(先生談)。

 しかし栗須は末期。残念ながら、失明に向けた大きな流れを変えることは出来なかったようです。


 日に日に見えなくなっていく世界。

 でも本当に少しずつなので、日常の生活でそれを感じることはありません。

 3か月に一度の視野検査で、「進行してますね」と先生から聞かされるまでは。

 それが何より怖いことだと、心から思いました。

 そしてついに、先生の口から「手術」の言葉が出る日がやってきました。





 眼球の上に人工の袋をつける。

 眼球内の水分をそこで吸収し、眼圧を一定に保つ。

 聞いてる分には簡単に思えました。


「先生がしてくれるんですか?」


 脳裏をよぎる過去の悪夢。先生ガチャを外したくない、そう思いました。


「すいません、僕は手術出来ないんです。紹介状を書きますので」


 その言葉、聞きたくなかったです。失望の念にとらわれてしまいました。


「どうしても手術、必要ですか?」


 思わず出た言葉。高校野球で盛り上がっていた先生の顔が浮かぶ。


「そうですね……目薬で多少は抑えられていますが、多分限界です。前にも言いましたが、いずれ失明するのは間違いないです。ですが、失明の時期を遅らせることは出来ます。その為には手術しかありません」


「でも……どうせ失明するんですよね。流石に明日いきなり、ってことはないでしょうし。だったら別にいいかなって。先生、ぶっちゃけ、失明するのはいつぐらいになるんですか」


「それは何とも言えません。それにそういう質問をする前に、打てる手を打っておきませんか?」


 真剣な表情で説得を続ける先生。何だか悪い気がしてきました。


「手術ってことは、入院ですよね」


「そうですね。目の場合、基本片目ずつ手術することになります。両方いっぺんに、と言うことはありません。ですので1か月ぐらいになると思います」


「1か月……」


 その頃の栗須は、結婚式場で演出をしてました。その演出は式場の売りでもあった為、1か月も離れる訳にはいきませんでした。


 それともうひとつ、その頃の栗須には入院したくない理由がありました。

 栗須父が末期癌の為、自宅療養をしていたのです。症状は日に日に悪くなっていて、いつ急変するか分かりませんでした。出来るものなら身軽でありたい、そう思っていました。


「僕の師匠を紹介します。いい人ですから、栗須さんも安心出来るはずです。先生は緑内障の手術では、日本でトップクラスの人ですので」


 前にも思いましたが、医学の世界ではこういう「日本で5本の指に入る名医」みたいな言い方、よくするみたいですね。


 信頼出来ると思った先生の説得に、栗須は了承しました。




 職場でも皆さん協力してくれました。その期間中、栗須の代わりを申し出てくれたスタッフもいました。

 社長も「やっと決断したんか」と嬉しそうに言ってくれました。


 家でも妹が「父さんのことは任しとき。1か月ぐらい大丈夫やから」と言ってくれました。

 父も「そんなにはようは死なんから。しっかり治してこい」と不愛想な顔を向けてくれました。


「いやいや、これは治す手術と違うから」


 と栗須が突っ込みを入れたのは、大阪人の性かもしれません。





 総合病院でお会いした先生は、栗須と同い年の女の人でした。

 本当、眼科は女の先生ばかりです。

 いい先生で、栗須も「この人なら」と思うようになりました。


 そこは大学病院で、学生さんたちもよく出入りしてました。

 手術の前日、「手術を学生に見学させることがありますが、どうしますか」と書かれた同意書を渡されました。同意するかしないかは、患者に一任されている。本当なら、彼らに経験を積ませる為にも了承するべきだと思いました。ですが栗須は、そのせいで嫌な思いをしたことがあります。現に過去の手術で、「はじめてのしゅじゅつ」に参加した訳ですから。




 歯医者さんでもありました。

 差し歯を入れる時、主治医が席を離れインターンに処置されました。手が震えていて、何度も何度も栗須の口元を行ったり来たり。そしてついに主治医に「先生、どうやるんですか」と、その場から逃げたくなるような泣き言を。

 主治医が「こうしてこうしてこうするんや。やっとけ」と投げやりに言って、結局そのインターンが震える手で差し込んで。


 家に帰ると、差し歯がぐらぐらになってました。病院に電話。すると看護師さんが「大丈夫ですよ、問題ないですから」と見てもないのにそう言って。

 結局その歯はずっとぐらぐらのままでした。受付の人は「あんまり違和感あるようでしたら、3か月したら保険がききますから、入れ直しましょうね」と訳の分からない言葉を投げてくれて。


 いやいや、今すぐ治してよ。これってミスですよね? どうしてこっちがまた支払う前提になってるの?


 でもチキンな栗須は、「はい」と投げやりに言って帰りました。

 結局3か月も持たずに歯は割れてしまい、別の病院で根元から抜歯することとなりました。


 こういう経験が多い栗須は、今回だけは勘弁してほしいと思い、見学拒否の欄に丸をつけました。



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