崩れゆく歯車 02 —我が家へ—







 ——『魔人エンケラドゥス』。


 稀代の魔術師として名を知られていた彼は、約二十年前、何があったのか突然『厄災』ジョヴェディとして人々の前に姿を現した。


 その本能の赴くままに行動する彼の姿を見た者から、「禁呪に手を染めた」「死後、復活する禁術を自身に掛けていた」「他の『厄災』達が現れたのも、彼の仕業に違いない」などといった、実にまことしやかな噂が広められていった。


 土を腐らせ、腐毒花ふどくばなを繁殖させ、その瘴気から逃げるように別の地へ行き、また土地を腐らせる。


 そんな彼は、エリスと誠司の手によって滅ぼされた。


 しかし、もし当時彼が理性を持ち、魔人エンケラドゥスとしてその力を振るっていたら——エリスと誠司の二人では、消滅させるのは困難だったであろう。





 ——そして現在。トロア地方中央部、かつて『厄災』ジョヴェディが滅ぼされた地。


 そこに一つの人影が現れる。


 その年老いた、魔族の耳を持つ、かつて『魔人エンケラドゥス』——いや、『厄災』ジョヴェディと呼ばれた者と同じ姿をした者が、意識を取り戻す。


 彼は辺りを見渡し、自身の身体を確認した。


 そして「フン」と鼻で息を鳴らしながら立ち上がり、まるで自身の望みが叶ったかのように、嬉しそうに口元を歪ませるのであった。



 ——そう、『厄災』はいつだって、突然目覚めるのだ。









「それじゃあ、お姉様。また何かあったら、必ず呼んでちょうだいね!」


「うん! ビオラも元気でねー!」



 ——オッカトルを発ってから七日後。『南の魔女』ビオラに別れを告げ、一行は『魔女の館』があるスドラートから西の森へと進路をとる。


 旅はいたって順調で、あと三日ほどで『魔女の家』へと帰り着くだろう。



 ——そしてその日の夕方。夜営の準備をしている莉奈の視界には、ずっと彼女の周りをソワソワと歩き続けているライラの姿があった。



「ねえ、リナぁ。やっぱり街へ寄って、お買い物しようよー」


「大丈夫だよ、ライラ。おめかしなんてしなくても可愛いから。それに誠司さん、ライラに一日でも早く会いたいんだって」


「うー」


 ——ずっとこんな調子である。


 ライラは昼型の生活に戻りつつあったため、莉奈としてはこうして一緒に過ごす時間が増えるのは嬉しい。だが彼女は、この様に少し話しては上の空で「あーうー」言っていた。


 まあ、無理もない。あと三日もすれば、初めてお父さんに会えるのだから。


 父と同じくウロウロと歩き回るライラ。そんな彼女を優しく見守る莉奈の元に、何やら難しい顔をしているグリムが近づいてきた。


「なあ、莉奈。相談に乗って欲しいことがあるのだが、少し時間いいかな?」


「どうしたの、改まっちゃって。うん、少しなら大丈夫だけど」


「すまない、助かる。カルデネのことについてなんだが……」


「……ああ」


 莉奈は思いあたる。誠司にも話した、カルデネの様子に関してだ。そういえば最近のグリムの様子も、どことなく元気がないように見えたが——。


「……数日後には家に着くので、今の内に聞いておきたい。私は何か、失敗してしまったのだろうか」


「……うーん……先にカルデネに相談すれば良かったとは思うけど、それも結果論だしねえ……」


「ああ。それにレザリアから聞く限り、彼女は私の提示した方法には気づいていたようだ。だとすれば、私の提示した方法では不十分だということになる。だが、いくら考えてもその先がわからない……出しゃばった結果がこのザマだ。なぜ私は、人の心がわからないのだろう。悔しいよ」


 そう言って珍しく肩を落とすグリム。それほどまでにカルデネの様子が気になっていたのか——莉奈はそんな彼女に、優しく声を掛けた。


「他人の心なんて誰にもわからないよ。それに、グリムはオッカトルで会った人達みんなと上手くやってたじゃん。さすがは有名配信者だなー、って私は感心してたよ」


「……いや。私はただ単に、綺麗事を並べているだけさ。人の喜びそうな言葉を学習しているからね。それに——」


 グリムは悲しそうな表情で莉奈を見つめた。


「——AI配信者というのは、失言が許される存在なんだ。『しょせんは機械の言うことだから』ってね。ともすれば、失言が喜ばれてしまう風潮もあった。だが、今の私は人間だ。失言は絶対に許されないんだ。だから——」


「『チャンネル登録を解除しました』」


 莉奈はふざけた調子で、グリムの言葉を遮った。驚く顔をするグリム。そんなおどけた調子から一転、莉奈は微笑んだ。


「うん。この世界が配信なら、フォローを外されちゃうかもね。でもね、グリム。私達人間じゃん。失敗しても挽回出来るんだよ。もし出来なかったら、私と誠司さん、お互いがお互いをブロックしてたかもしれないし」


「そうなのか?」


「そりゃ、お互い頑固者だもの。あ、そうそう。それに誠司さんとセレスさんなんか絶対に仲直り出来なかったって。だからさ、帰ったらさ、一緒にカルデネに理由を聞いてみよ? いやー、グリムが反省出来る『人間』でよかったー」


 莉奈は目を細める。グリムの表情が緩む。


「いや、反省と見せかけた、ただの学習なのかも知れないぞ?」


「そうそう、グリムはそうでなくっちゃ! ま、反省も学習の一環でしょ。思う存分、学習しなー。憧れの人間になれたんだから、さ」


「ふふ。そうさせてもらうよ」


 莉奈とグリムは、相変わらず目の前をウロウロしているライラを見つめる。


 カルデネが何を考えているのかは分からない。だが、どのような結果を迎えるにせよ、数日後には目の前の彼女が、待ち望んでいた父と逢える日が来るのは間違いないのだ。


 莉奈はグリムに話しかける。


「グリム。それでライラは私達の前、何回通り過ぎたか数えてた?」


「ああ。これで二十六回目だ——」





 ——陽は沈む、誠司が起きる、陽が昇る、ライラが起きる——。




 こうして三日後、ある者は期待を、ある者は不安を胸に抱きながら、馬車は『魔女の家』へと到着したのだった——。





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