第四部

第一章 崩れゆく歯車

崩れゆく歯車 01 —西へ—





 大陸の最西端に位置するトロア地方。


 その地方の東部に位置するオッカトル共和国に、百頭余りの渡り火竜達が襲撃してから十日後。


 ケルワンの街の入り口には『魔女の家』へと帰宅する面々と、それを見送る『東の魔女』セレス、そして彼女の腹心マッケマッケの姿があった。




「じゃあね、セイジ。本当に、ありがとうね」


「気にするな。そのかわり、もし人類に敵対する『厄災』が現れたら、その時は力を貸してくれよ?」


「ええ、もちろん!」


 こうして最後の別れを告げた彼は馬車に乗り込み、出発の時を待つ。


 御者は莉奈だ。


「じゃあ、アオカゲ。一人で大変だけど、よろしくね。『魔女の家』まで、GO!」


「ヒヒーン!」




 ——遠ざかっていく馬車の影。それを見つめるセレスの横に立ち、マッケマッケは話しかける。


「セレス様、いいんですか? あーしはもっと、駄々をこねるかと……」


 その問いかけに、馬車から目を逸らさずにセレスは答えた。


「ええ。やらなければならない事があるから。私も、あの人も」


「……セレス様、大人になりましたね」


「……あの、マッケマッケ?」


 二人は馬車が完全に見えなくなるまで、その姿を見送り続けるのだった——。








 アオカゲは馬車を引く。


 火竜達との戦いで、相方であるクロカゲは『魔女の家』へと帰っているので、彼一人で馬車を引いていた。


 加えて、あの日、彼は駆け回った。彼が主人と認める莉奈のために。


 疲労はもう抜けたみたいだが、念のためだ。アオカゲには無理させず、家まで十日程を予定したゆったりとしたペースで馬車は進んで行く。


 荷台に乗っているのは誠司、ヘザー、グリムの三人。それに加え、ビオラも同乗している。彼女の住居、『魔女の館』へと送り届けるために。


 レザリアとカルデネはバッグを通して先に家に帰っていた。カルデネの研究と、クロカゲの世話のためだ。


 ——それにしても、暑い。もう、夏の陽気だ。


 真上から照りつける日差しの中、少し早いがアオカゲに無理をさせないよう、早々に莉奈は水辺で馬車を停めるのであった。





「ねえ、誠司さん。本当に良かったの?『203』号室を借りなくて」


 莉奈は水を飲むアオカゲを眺めながら、荷台から降りてソワソワと歩き回っている誠司に尋ねる。


「ん? ああ。セレスも忙しいしな。それに……会えたら帰りたくなくなってしまうだろう?」


 誠司とライラの再会の話だ。再会とは言っても、前回の時は会話は出来なかった。


 娘との、真っ当な状態での邂逅——その方法を聞いた時から、誠司はずっとこんな調子だ。


 グリムからその方法を聞いたとき、『魔女の集合住宅』の『203号室』を借りるという手もあった。あの部屋は、セレスの持つバッグに繋がっている。


 そう、バッグを上手いこと利用すれば、二人は会うことが可能なのだ。


 誠司はセレスの元に行き、口を開きかけては閉じていたが——結局、頭をブンブンと振って、我慢したのだった。どうせなら、自宅で気兼ねなく会いたい。


「ふふ。やっとだもんね。でもさ、その話出てから、なんかカルデネの様子おかしくなかった?」


 莉奈が見る分に、その話が出てからカルデネの元気がなくなっていた。そして、研究の為に急いで家へと帰ってしまったのだ。


 もしかしたら、グリムにあっさり解決策を提示されてしまったからなのかと思ったが——気になってレザリアに相談してみた所、どうやらそれが原因ではないらしい。


 じゃあ何かとレザリアに尋ねても、彼女も首を傾げるだけだったが——。


 誠司は歩き回りながら、莉奈に返答する。


「そうだったか? まあ、会えると言ってもあっちでだけだからな。その後はカルデネ君に期待だ」


「そうだねー。まあ、取りあえず誠司さん。少し落ち着こうか」


「いや、私は落ち着いているぞ」


「いやいや、もう私の目の前、三十回以上通り過ぎてるって」



 ため息をつく莉奈。水を飲み、満足気な表情をしたアオカゲが戻ってくる。莉奈はアオカゲを馬車に繋ぎ、未だにウロウロしている誠司に声を掛けた。


「さあ、誠司さん、乗っちゃって! 早く家に帰りたいんでしょ?」


「……う、うむ。すまない、今乗る」


 莉奈はため息をつき、誠司が慌てて馬車に乗り込む様子を見守る。


 仕方がない。何しろ念願の、二人とも意識があり、触れ合える状態での対面が訪れるのだ。


「……ふう。少しは急いであげようかな。ごめんね、アオカゲ」


「ブルッ!」


 アオカゲは振り向き、莉奈に頷く。頼もしい。


 こうして少しだけ速度を上げた馬車は、『魔女の家』目指して順調に進んで行くのだった。








 ——『魔女の家』の書庫。



 そこには真剣な眼差しで『別れ、出会う魔法』の最適化に臨むカルデネの姿があった。


 昼食を持ったレザリアが入って来る。


「——カルデネ。あまり根を詰めないで下さいね」


 レザリアはカルデネの傍らに昼食を置くが、彼女は気づかない。レザリアは息を吐き、カルデネの肩に手を置いた。


「カルデネ、聞こえてますか?」


「……あ、ごめん、レザリア」


 ようやくレザリアの存在に気づいた彼女は、手を止める。そして椅子にもたれかかり、深く息をついた。


 そんなカルデネに、レザリアは優しく話しかける。


「カルデネ。あなたが何を危惧しているのか、私にはわかりません。でも、あなたが無理しているのはわかりますよ?」


「……うん。ごめんね、レザリア。セイジ様のことも、もしかしたら私の取り越し苦労かも知れない。でも……万が一のことを考えたら……早くしないと……」


 カルデネはつぶやきながら昼食に手を伸ばす。とりあえず安心したレザリアは、カルデネの隣の椅子に腰掛けた。


「どうしたんです? そこまで焦る理由が、私には分かりませんが……万が一って何の事でしょう?」


 レザリアは不思議に思う。誠司とライラが会えるのは非常に喜ばしいことだ。カルデネもそこを目指していたはずだ。


 ただ、二人が会う方法を知られてからの彼女は『別れ、出会う魔法』を最適化する為に、寝食を疎かにして研究に没頭している。今まで以上に。


 そのレザリアの気遣いに、カルデネはポツリポツリと語り始める。


「もしセイジ様の予想が正しければ、次に現れるのは『厄災』ジョヴェディなんだ」


「……ええ。そんな話も出てましたね」


 誠司の予測。『厄災』達は元の世界で言う所の、曜日順で復活してきている。



『厄災』ジョヴェディ——土を腐らせる力を持つ者——



「彼が理性のある戦いをすれば……この地方はどうなるか分からない。『厄災』ジョヴェディ。力を求め、溺れた男——」


 そこまで言ってカルデネは息を飲み、目を伏せた。


「——彼の前身は、稀代の魔術師、世界最高峰に位置すると言われた『魔人エンケラドゥス』。そんな人物が理性のある戦いをしたら……。急がないと。もし彼が復活したら、セイジ様の力が絶対に必要になる」



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