月の集落のエルフ達 13 —追憶②—
†
あれはヘザーから、誠司がライラを解放する為に自死を選択に入れている、と聞いてしまった夜のことだ。
莉奈は、誠司の部屋の扉を乱暴に開け、誠司の前の椅子にドカッと腰掛ける。
何事かと目を丸くする誠司に、莉奈は感情をぶつけた。
「ちょっと鎌柄さん、ヘザーさんから聞きました。ライラの為に自分が死ぬって一体どういうつもりですか!?」
莉奈の言葉に合点がいったのか、誠司は渋い顔をする。
「——そうか、聞いてしまったか。まあ、聞いての通りだ。私が死ねば、ライラはようやく普通の人生を歩けるんだ。問題ないだろう?」
「大ありです!」
莉奈はテーブルを叩き、思わず立ち上がる。何を言ってるんだこの人は、と頭の中がグルグルする。
「ライラがどれほど鎌柄さんの事を思っているのか! どれだけお父さんに会える日を楽しみにしてるのか、分かってるんですか!?」
「——掛けたまえ、菱華さん」
誠司に
何でこの人はこんな冷静でいられるんだろう?その様子が更に莉奈を苛立たせる。
「——ライラはまだ十三だ。私も、今すぐに死ぬつもりはない」
「答えになっていません」
「だが、ライラも大きくなった時、いつかは愛する人も出来るだろう。そんな時、私はきっと邪魔になる。父親としては少し寂しいがね」
「だから答えになっていません」
莉奈は苛つく。だから、死ぬって? それはライラの気持ちを無視した誠司の勝手な言い分だ。ライラの気持ちを分かった上での答えではない。
『お父さんをビックリさせるんだあ!』と頑張るライラを、常日頃から見守ってきた莉奈ならわかる。誓って言える。
もしライラの為に誠司が自死を選んだら、ライラは壊れる、壊れてしまう。
だから——と莉奈が口を開こうとした時だった。誠司の口から、莉奈の理想を打ち砕く言葉が発せられた。
「——それが親ってもんだろう」
——子の幸せを願う、何気ない親の一言。
だが、誠司のその言葉を聞き、莉奈の中で必死に抑えていたものが崩れ去った。目頭が熱くなっていくのが分かる。
「……親……親って何ですか?……子供を置いていなくなるのが親なんですか?」
その自身の言葉をきっかけに、今まで気を遣わせまいと言ってこなかった莉奈の境遇が、口をついて溢れ出す——駄目だ、止められない。
「わかりません! 親ってなんですか? 私に教えて下さい! 私には父親がいませんでした! 母親もお金だけ置いて私の事は構ってはくれませんでした! 暴力も振るわれました!——」
一度口に出したら、もう止まらない。
どんな思いで一人の家に帰っていたのか。
どれだけ他人が羨ましかったのか。
どれだけ家族というものに憧れていたのか。
——止まらない、止まらない。私は私の事を話しに来たんじゃないのに——。
誠司も、今まで莉奈が自分から話すまでは、元の世界の暮らしを聞くのを避けていた。それは莉奈が誠司の過去を
だが、今、その境遇を知り、絶句する——。
「——だから……こんな形でも幸せな家庭を築いている鎌柄さんやライラに憧れていたんです……ああ、家族ってこういうものなんだなって」
「……そうか。大変だったんだな。菱華さんさえ良ければ、これからは……これからも、ここを君の家だと思って貰って構わない。私達でよければ」
誠司が優しく声を掛ける。だが、自死を選択に入れている誠司の言葉だ、今はその優しさすら憎々しい。
「……ライラに……お姉ちゃんになって欲しいって頼まれた事があります。戸惑ったけど……嬉しかった」
「そうか……ライラはそんな事を」
莉奈は鼻をすする。もうズビズビだ。はしたないとは思いつつも、
憧れの家族——私はここにいていいんだ。莉奈は父親という存在を知らない。
でもここでなら、鎌柄さんだったら——莉奈はすがる様に誠司に聞いてみる。
「……鎌柄さんの事……お父さんって思ってもいいんですか?」
「いや、それは駄目だ」
——予想外の答えに、莉奈は一瞬固まってしまう。風が窓を揺らす音が虚しく響いた。
「なんでよ! そういう流れでしたよねっ!?」
鎮火しかけた莉奈の心に再び燃料が投下された。
莉奈は確信する。嘘でも上手い事言ってくれればいいのに、ああ、そもそもこの人は女性の扱いが下手くそなんだな、と。
「いや、待て、菱華さん! 違うんだ、もう君の事は娘のようには思っている! ただ——」
「……ただ?」
「——いずれ命を絶つ事も決意している私は、君の父親にはなれない」
莉奈の顔に絶望の表情が浮かぶ。駄目だ、この人の決意は固い、と。
「……どうしても、死ぬって言うんですね」
「ああ、それしか方法がなかったら、迷わずな」
変わらぬ誠司の決意を聞いて、莉奈は一つの事を決意した。大きく息を吸い、吐き出す。
「わかりました——」
「そうか、すまないな、菱華さん——」
「——私は今日で『菱華』の名を捨てます」
沈黙。誠司は莉奈の言葉の意味が理解出来ず、固まってしまう。
そして、ようやく「え?」という言葉を出すのが精一杯だった。その誠司に、莉奈はたたみ掛ける。
「だって鎌柄さん、私のお願い何にも聞いてくれないじゃん。ライラの気持ちも聞かずに、訳わかんない理屈ばっか
「待て、菱華さん——」
「『菱華』? 誰それ?」
先程の弱い部分を吐き出した莉奈はどこへやら、まだ目を赤くしながらも、開き直った莉奈は堂々と腕を組み誠司と
「くっ……莉奈君——」
「娘を君付け? ないない」
莉奈は、素晴らしく勝ち誇った表情をしている。
さすがの誠司も、この場は合わせた方がよさそうだと感じていた。悔しいが。
「——莉奈」
「なあに? せ・い・じ・さ・ん?」
「せっ……」
「あー、それとも『パパぁ』って呼んじゃおうかなあ。私の中じゃお父さんだもんね」
「それは……本当に止めてくれ」
「まあ、色々と誤解を招きそうだもんね。じゃあ誠司さんって呼ぶね。私もいきなり『お父さん』呼びは恥ずかしいし」
「待て、私の気持ちは……」
言いかける誠司を、莉奈は眼差しで黙らせる。
ライラの気持ちを無視して、ああだこうだ言っているのだ。これくらいはいいだろう。
そして、ある程度の
「——そしてね、いつか私を、心から娘の様に愛して貰う。私とライラを置いて死ぬ事なんて考えられないくらいに。だから誠司さん、私の中のライラをしっかりと見てちょうだいね」
「……私の考えは変わらんぞ」
「別にいいよ、今は。それにしても、お互い頑固者なんだね。今日、初めて知ったよ」
クスッと莉奈が笑う。釣られて誠司も苦笑いを浮かべた。
誠司は思う。何処となく遠慮がちだった今までの莉奈より、ずっといい。
多分、ライラにはこんな感じで接してくれているのだろうと考えると嬉しくなる。
こんなにもライラの事を考えてくれる莉奈で良かった。
「さ、誠司さん、稽古行くよ!」
莉奈は立ち上がって、くるりと身を
「待ちなさい、莉奈……ったく」
誠司の言葉を背に、莉奈は部屋を後にする。季節は冬、今夜も星が綺麗に見える事だろう。
その日を境に、『菱華 莉奈』は『莉奈』となったのだ——。
†
「ねえ……誠司さん」
思い出に浸っていた莉奈は、刀の手入れを終えた誠司に話し掛ける。
「なんだ」
「今でも……その時が来たら死のうと思ってるの?」
「ああ。方法が見つからなければ、ね」
莉奈に返事をし、誠司は立ち上がった。莉奈が失望のため息を吐く。
私なりに頑張ってきたつもりだが、私は、やっぱり誠司さんの決意を変えられないのだろうか——と。
「ただ——」
誠司が土を払いながら言葉を繋げた。
「——あの時よりかは、生きて、君とライラの並んでいる姿を見てみたいと思っているよ」
「それって……!」
莉奈の顔が晴れる。私は誠司さんをわずかでも変えられたのか。私のやってきた事は、全くの無駄ではなかったのか。
「さあ、そろそろ行こうか、莉奈。この件が片付いたら、その方法を探す旅なんてのもいいかもしれないな。君は頼りになる。君とならこの身体でも、長旅に耐えられそうだ」
「うん、オーケー、約束ね!」
莉奈は飛び跳ねる。
そんな方法が本当にあるのか分からないけど、誠司の為、ライラの為を思えば、どんなに雲を掴む様な話だろうがいくらでも付き合おう。
その為には、
暗い森の中を二つの光が突き進む。その足取りは軽やかだ。
その光に寄せられてやってくる魔物も、彼らの相手にはならない。二つの光は息を合わせ、襲いかかる魔物を粒子へと変えてゆく。
——そして何刻か経過し、東の空が
通称『迷いの森』の出口付近の空には、トレンチコートをはためかせながら遠くを眺める莉奈の姿があった。
その瞳には、サランディア王国王都、城壁に囲まれた街『サランディア』がはっきりと映し出されていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます