第6話 虹、虹、虹

土曜日も日曜日も晴れていたのに、月曜日になると、また朝から雨です。

五年生リーグは今日も中止です。五年三組の男子の誰もが、暗い気持ちで登校しました。

たった一つの救いは、気持ちが晴れる“お祭り”があることです。

雨の日はベランダで思いっきり叫んでスッキリする。楽しみはもうそれだけです。

クラスの男子みんながそう思っているのに、太郎は静かにゆっくりと給食を食べています。

雨の日は健太と競争するように給食を食べるのに、ゆっくりと食べているのです。

健太はとっくに食べ終わって、太郎をじっと見ています。

期待していた男子もがっかりです。

太郎の机の周りにみんなが集まりました。

「太郎、今日はやらないのかよ」

男子の中心にいつもいる健太が、クラスの男子代表として聞きました。

「うん。今日はいいや…」

全くやる気がなさそうな太郎です。

「病気か?」

「違う」

「お母さんに怒られたのか」

「違う」

会話にならなくて、健太はうーんと考え込んでしまいました。

太郎は、健太と目を合わせようともしません。

「いいよ、いいよ、じゃあ、俺らだけでやろう」

健太はみんなを連れてベランダに行きました。

「雨、大キライ。雨降るなあ」

みんなで校庭にむかって叫びました。

その校庭には誰もいません。誰もいない校庭に向かって叫んでも、やはり盛り上がりません。

太郎は、窓の向こうの雨雲をずっと見ていました。

「雨って、本当は面白いんだよな」

太郎が、今いちばん言いたいことです。

けれど、こんなことを言える雰囲気ではありませんでした。

「雨って凄いんだよ。”雨スイッチ”を見たら、みんなわかるのに」

そう思っていても、”雨スイッチ”のことは誰にも話せません。

ふー。

太郎は、大きなため息をついて、ポケットの中の”雨スイッチ”を、強く握りしめました。


火曜日も雨でした。

パラパラ、パラパラと、止んだと思ったら思い出したように降ってくる雨でした。

学校に行く途中に、何度も太郎はため息をつきました。

これまでは「雨が嫌い」のため息でしたが、今は「昼休みどうしようか」のため息です。

給食の時間がやってきました。太郎は、ゆっくり、ゆっくりと給食を食べていました。

昨日と同じように、男子たちが太郎を取り囲んできました。

つまらない雨の日なのに、雨の日のお祭りがなくなると、もっとつまらないからです。

健太が太郎の前の椅子に座って、ぐっと顔を近づけてきました。

「どうしちゃった。なあ、どうした太郎。一人で行くのが嫌なら、俺も行くから。なあ、行こう」

健太が伸ばしてきた手を、太郎は払いました。

「うるさいなあ。もう雨は嫌いじゃないんだよ」

太郎は、心の中で叫んでいました。

こんなことは絶対に言えないし、だからといって、みんなの期待に応えるために、わざわざ”普通の雨”に濡れに行くのは嫌です。

健太もイライラが抑えきれなくなりました。

椅子から立ち上がり、太郎の横にいくと「行くぞ」と太郎の手を引っ張りました。

「嫌だ」

太郎が健太の手を払います。

「いいから行くぞ」

健太がもっと強く手を引きます。

「嫌なんだよ」

太郎も、もっと強く手を払いました。


その時です。

太郎のポケットから、”雨スイッチ”が飛び出して落ちていきました。

「あっ」

太郎は”雨スイッチ”をつかもうと、手を伸ばしました。

けれど、”雨スイッチ”は床に落ちて、コロコロと健太の足の間を抜けていきました。

「なんだこれ」

振り返って健太が”雨スイッチ”を拾いました。

「返せよ」

太郎は、飛びかかってきそうな勢いです。

これは太郎にとって、何か大切なものに違いないと健太は思いました。


健太は、突然廊下に走り出しました。

何かわからないけど、太郎がとても大切にしているものを手に入れた。

これを太郎は必ず追ってくる。

やっと、校庭に太郎を連れ出すことができる。

そう考えたのでした。

五年三組の男子も大騒ぎで、健太のあとについていきました。

何が起こったのかはわかりませんが、いつもの「お祭り」とは違う「お祭り」が始まったのです。


“雨スイッチ”が、持っていかれてしまいました。

急な展開すぎて、太郎は立ったまま動けませんでした。

けれど、ボーと立っている場合ではありません。

「待って」

太郎も廊下に、飛び出しました。

太郎が校庭についたときには、校庭の真ん中に男子の塊ができていました。

きっとその中に、健太がいるはずです。


健太は、ずっと握りしめてきた石を見ました。

「色のついたボタン?なんだ、これ」

健太がつぶやきました。

「何、何、それ」

みんなが首を伸ばしてきます。

太郎は健太のところに行こうとしますが、男子の壁で中に入れません。

健太は赤いボタンを押しました。

何も起こりません。白いボタンを押さないと、何も始まらないからです。

「僕にも触らせて」

健太を囲んでいた男子が手を伸ばしてきて、色のボタンを好き勝手に押し始めました。

「だめだよ。そんなにいっぺんに押しちゃ。やめろよ」

太郎の声を、誰も聞いていません。

「健太、返せよ。返してよ」

太郎は一人、二人と友達をどかして、輪の中心にいる健太に近づいていきました。

太郎が近づいてきたことに、健太が気づきました

「”雨大キライ”をやらなきゃ、返してやんないから」

雨雲の間から青い空が、ちらほら見えています。

「ほら、雨やんじゃったじゃないか。”雨大キライ”できなくなったぞ。太郎のせいだ」

「いいから、それを返せよ」

太郎が健太のすぐ近くまで来た時、健太は「やだね」と言って走り出しました。

健太と一緒に、みんなも走り始めました。

走りながらリレーのバトンのように、”雨スイッチ”を次々に渡して行きます。

“雨スイッチ”を受け取るとボタンをデタラメに押して、それから大きく振って、「はい次」と言って渡していくのです。


「返せ、返せよ」と”雨スイッチ”を追いかけながら太郎は、とても不安な気持ちになってきました。

色ボタンを好き勝手に押して、そのうえに“雨スイッチ”をぐるぐる振り回しているのです。

今までこんなに乱暴に、使ったことはありませんでした。

ちょっと振るだけでも、見えないほどの“いきおい”で雨は飛んでいくのです。

”雨スイッチ”の中には、ものすごい量の“いきおい”が溜まっているに違いありません。


バトンリレーの”雨スイッチ”が、健太に戻って来ました。

健太は、思わず落としてしましました。

地面に落ちた”雨スイッチ”を、健太が拾おうとしたときです。

”雨スイッチ”が、ガタガタゆれはじめました。

健太は驚いて後ずさりしました。

やっと健太に追いついた太郎が、落ちていた”雨スイッチ”を拾いました。

けれど、あまりに大きく揺れるので、太郎も落としてしまいました。

「“雨スイッチ”が爆発する」

太郎はそう思いました。

地面でガタガタゆれていた“雨スイッチ”が、ピタリと止まりました。

勇気を出して太郎が拾うとすると、スッと“雨スイッチ”が浮き上がりました。

そして、まるで空から釣り上げられたように、“雨スイッチ”は上へ上へとあがっていきました。

ベランダの見学者から、いっせいに「おー」という歓声があがります。

”雨スイッチ”は空高く昇っていき、とうとう見えなくなりました。

校庭でも、ベランダでも、誰もが黙って空をみあげています。

すると「ゴー」という大きな音が、空から鳴り響いてきました。

学校中のベランダから、また「おー」という歓声があがります。

「ゴー」という音も「おー」という音も消えて静かになりました。

「雨だ」

誰かが叫びました。

赤い雨が、いっせいに降ってきました。

太郎も健太も、校庭にいたみんなが体中真っ赤になります。

ベランダにいた学校中の女子が、「キャー」と叫びます。

まるでその声に驚いたように、赤い色は消えていきました。

赤色が消えたとたんに、次は青い雨がドッと降ってきました。

校庭にいた誰もが、青くなりました。

そして、青い色もすぐに消えました。

次に何が降ってくるのか、みんなじっと待っていました。

何も起こりません。

みんな空を見上げています。

「“雨スイッチ”、もうこれで終わりなの?」

太郎がつぶやくように言ったとき、校舎に向かって黒、赤、黄、青、緑、茶、紫が並んだ雨が降ってきました。

空からどんどん降ってくる雨は、屋上まで来ると次々に消えていきました。

「虹の雨だ」

健太が叫びました。

ベランダのあちらこちらで「虹の雨」「虹の雨」と言っている声がします。

空から屋上まで降り続いた”虹の雨”が、回転し始めました。

縦縞の大きな板が、ぐるぐると回っているようにみえます。

大きな板の回転は、どんどん早くなっていき、早くなればなるほど、板はだんだんと細く長くなっていきました。

そして、板は棒になりました。

屋上から空まで真っ直ぐに伸びていく、黒、赤、黄、青、緑、茶、紫の“虹の棒”です。

“虹の棒”の先が、空まで伸びていって雲の中に入ったとたん、“虹の棒”も消えてしまいました。

学校中の音も消えて、また静かになりました。

けれど、これで終わりではなくて、まだ何かがある。

みんな待っていました。

その期待に応えるように、空に消えた“虹の棒”が降りてきました。

しかし、それは棒ではありませんでした。

“虹の棒“がクネクネと、波打つように降りてきたのです。

「龍だ、虹の龍だ」

健太が、また叫びました。

学校中のあちらこちらから「龍だ、龍だ、虹の龍だ」と繰り返す言葉が聞こえます。

“虹の龍”は太郎たちを襲うように、急降下してきました。

思わずみんなは、頭を抱えてしゃがみこみました。

“虹の龍”は、太郎たち上を滑るように通り抜け、校舎に向かっていきました。

そして、二階でぐるりと校舎をひと回りし、それから三階、四階と、同じようにひと回りしながら屋上へと上がっていきました。

まるで、ベランダにいる生徒たちに、あいさつをしているようでした。

ベランダの生徒たちは、自分達の前を”虹の龍”が通ると「わー」や「きゃー」と、大歓声をあげました。

屋上まで上がっていた”虹の龍”は、渦を巻く速度をどんどん上げながら空に昇っていき、雲の向こうに消えていってしまいました。


太郎はポカーンと空を見上げていました。

ヘンテコな石だと思って拾った“雨スイッチ”が、龍にまでなってしまったのです。

空を見上げていた太郎に、誰かが話しかけてきました。

「太郎くーん、太郎くーん」

「誰?」

周りも見ても、みんな空をじっと見上げているだけです。

「太郎君、太郎君、雨は嫌いかーい」

とても優しい声です。空から聞こえてくるようでした。

「太郎君、雨は綺麗だろ、凄いだろう」

太郎はうなずきました。

また、声が聞こえてきました。

「太郎君、雨は好きかーい」

「うん、雨が好き」

誰にも聞こえないくらい、小さな声で太郎は言いました。

「そうか、太郎君は、雨が好になったんだね」

また、聞こえきました。

もう一度、小さな声で、「うん。雨が好き」と言いました。

太郎はそう言って、自分の言った言葉にビクッとしました。

この言葉は、今まで言えなくて我慢してきた言葉です。

「雨が好き」

もっと、もっと、大きな声で言いたくなりました。

これまで我慢してきた言葉を、思いっきり言いたくなったのです。

もう太郎は我慢できませんでした。

「雨はすごい。すごいんだ。雨が好きだ。雨が大好きだあ」


五年三組の小さなお祭りが戻ってきました。

今度は「雨、大キライ」ではありません。    

健太もみんなも太郎と一緒に叫びます。

「そうだ、そうだ。雨すごいぞ。雨大好き。雨大好きだあ」


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