第3話

 外で話を聞くわけにもいかず、マリアンナは仕方なく見知らぬ少女を中へと招き入れた。

 少女はとても風変わりで、部屋に入った途端落ち着かない様子になった。そしてなんてことない物を指差して、あれは何これは何と目を輝かせながらマリアンナに問うのだ。



「ただのマグカップよ。ほら、座ってなさい。今、お茶を淹れるから」



 マリアンナは少女をあしらいながら手慣れた様子でお茶を淹れ、テーブルに並べた。

 少女は不思議そうに見つめた後、マリアンナが口をつけるのを真似した。



「こんな素晴らしいもの初めて」



 うっとりとした顔をする少女にマリアンナは少し眉をひそめ、それからすぐに打ち消すように立て続けに質問する。



「で、あなたはどこから来たの? まさか、私が見てない間に階段を登ってきたなんて言わないでしょう? ドアはずっと閉まってたわ。はっきり言って怪しいのよ。悪い人には見えないけど、話してもらうことはたくさんあるの」


「だから、私はアーラロトで、あそこから降りて来たのよ」



 ちゃんと言ったのに、と少女は幼く頬を膨らませ、すぐに深いため息を吐いた。



「もう疲れちゃった。私がみんなの役に立ってるのはわかってるし、逃げるなんてダメなことだとは思うけど……でも、もう嫌なの」


「……なにがそんなに嫌なの?」


「一人が嫌なの。ずっと、ずっと……」



 消え入りそうな声にマリアンナは目を瞬かせ、信じられないと言いたげに口を開く。



「あなた、つまり……一人であのアーラロトにいるって言いたいわけ?」


「まあ、誰とも会わないわけじゃないけど、なんて言えばいいのかな。結局、誰も私と一緒には居てくれないから、会えば会うほど一人であることを突き付けられるみたいなの。私は未来永劫一人なのねって思うと、泣いてしまう。でもその涙を拭ってくれる人は一人もいないの」


「……まあ、一人は寂しいね」



 それはわかる、と信じる信じないは横に置いておくとして、マリアンナはひとまず同意した。少女は嬉しそうに顔を綻ばせた。



「そう、寂しいの。あなたも一人なの? そういえば、ここにはあなたしかいないみたい。どうして? 人間はたくさんいるんじゃないの?」


「……私のは仕事だから。ここに居たくているの。まあ、たまに仕事仲間がいたらどんなだろうって思うことはあるけど」


「あら、私のも仕事よ? あの星が生まれた時から決められた私の仕事」



 マリアンナはわからない、という風に首を傾げた後に考えるだけ無駄だと思ったのか小さく首を振った。少女は不安そうにマリアンナの顔を覗き込む。



「いつか帰らなきゃいけないってわかってるの。でも、少しくらい私にだって、休息があってもいいはずよ。ね、そうでしょう?」


「……そうね」


「あなたに会えてよかった。あなたはとても優しい。こんな人に最初から出会えるなんて、今まで頑張ってきた甲斐があったわ」



 マリアンナはどう答えていいか分からず曖昧に笑って話を逸らした。



「まあ、少しくらいなら、ここに置いてあげてもいいけど。ここは私の天文台ではないけど、別に誰かを泊めちゃいけないって言われてるわけじゃないし」


「本当に? 私、ここにいていいの?」


「……少しよ、少し。別にあなたの話を全部信じてるわけじゃないけど、アーラロトには古くから伝わる不思議な話がたくさんあるし……」



 全く信じられないとは言わないけど、信じろと言われてもお伽話過ぎるとマリアンナは頭を抱えたかった。

 それでも目の前にいる少女の言葉を信じてみたくもあったのだ。



「で、私はあなたをなんて呼べばいいの?」


「だから、私はアーラロトなの」


「アーラロトは星の名前じゃないの? あれ全部があなたなわけじゃないでしょう? だって、星は星で、存在していて、あなたはあなたで動けるわけだから……それなら別の名前があるのかと思ったんだけど」



 少女はしばらく言われたことをじっくり吟味するように難しい顔をした後、何度も何度も頷いてみせた。



「よくわからないけど、なんだかそれって、素敵な考えな気がする。私に名前があるのなら、どんな名前なのかしら」


「……ラロ、とか?」


「ラロ? かわいい名前……じゃあ私はラロ」



 あっけらかんと決められて、むしろマリアンナの方が戸惑う。



「ねえ、あなたの名前は?」


「……マリアンナ」


「マリアンナ、マリアンナね。かわいい。ねえ、マリアって呼んでいい?」



 付き合ってられない、とばかりに冷めてしまったお茶を飲んでいたマリアンナは驚く。



「どうして? みんな、私のことは略さずにマリアンナって呼ぶのに……」


「あなただって、私と同じように、いま私の前にいるあなたと、他の人の前のあなたとは違うはずよ。私にとってあなたはマリア。あなたにとって私はラロ。ね、特別で素敵」



 あんまり嬉しそうに言うものだから、マリアンナはつい笑って頷いてしまった。



「あなたの好きにすればいいわ。ラロ」


 名前を呼ばれた少女、ラロはこんなに幸せなのは初めてだと無邪気に笑った。

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