第27話 渡し守

 今日は予備校の講義がない日だ。穣が別の予備校に移ることを聞きつけた大悟の発案で、穣と礼央を含めて合格祈願のお参りをすることにした。せっかくの休日に雁首揃えて行く場所が神社というのも渋いものだが、ある意味で浪人生らしいとも言える。地下鉄の改札を待ち合わせ場所に設定されたので、礼央はいくつかの乗り継ぎを経て待ち合わせ場所に到着した。穣は改札の外の柱にもたれて待っていて、礼央の姿を認めると手を振った。

「副島は?」

「まだ来てないみたい。着いたよって連絡は入れたんだけど」

 穣はスマートフォンのメッセージアプリの画面を礼央に見せた。デフォルトの水色の背景に、「了解」の文字を添えたスタンプが押されている。待ち合わせ時間まではあと数分あるのでそのまま待っていると、時間ぴったりになってから大悟は出口側からやってきた。

「お待たせ」

「あれ、地下鉄で来ると思ってたんだけど」

 礼央が言うと、大悟はロゴの入ったキャップを脱いでぱたぱたと顔を仰いだ。日焼けした額に汗が浮かんでいる。

「話したことなかったっけ。俺んち、この近くなんだ」

 大悟が二人を先導して階段を上り切ると、夏の日差しと蝉の声が降り注いだ。あちい、と大悟は呟いてキャップを被り直す。交通量の多い国道から県道側に移り、北に進む。昼近いこともあり太陽は高く上り、頭上から容赦なく三人を照りつけた。やがて左手は立ち並ぶコンクリートのビル群から緑豊かな森へと変わり、その中へ続く道が開けた。

「やっぱ名古屋でお参りって言ったらここっしょ」

「さすがに空いてるな、真夏だし」

 名鉄神宮前駅と熱田神宮を隔てる県道、通称大津通は、正月ともなれば初詣の人々でごった返す。その混雑の中には、荒御魂の鎮座する目と鼻の先で西洋の神への帰依を声高に喧伝する人も含まれるのだが、その是非はさておくとして、名古屋近辺で育つ人間にとってはそれも含めて正月の風物詩である。大津通もかなり交通量の多い道路だが、熱田神宮の本宮へ続く鳥居の下の道へ踏み込めば、無数のタイヤがアスファルトを切り付ける音が嘘のように聞こえなくなる。代わりに鎮守の森の葉が風にざわめく音と、幹に止まった蝉たちの合唱だけが三人を包みこんだ。道路からの輻射熱と直射日光が遮られただけでも体感温度はかなり涼しくなり、三人はようやく一息と各々持参したペットボトルの飲料を口にした。

「でも本宿クンいないと寂しくなるなー。英語とか結構頼ってたし」

「頼る相手がいなくなって困る、の間違いだろ。副島は」

 大悟は英語がすこぶる苦手で、礼央も決して得意とは言えないが大悟よりはましだった。当初から薄々感じていたことだったが、穣は地頭の良さという点で、同じ講習を受ける生徒たちの中ではそれなりに上位層にいた。それなのになぜ二浪してしまったのかとも思えたが、音楽という全く異なる土俵で挑戦し続けていたのだから、技術面などの学力だけでは測れない場所での不運があったのだろう。

 砂利を靴底で鳴らしながら歩いていると、それなりの頻度で参拝客にすれ違った。休日だからというのもあるだろうが、特に何かの行事――七五三や初詣といった――がなくても参拝をしたい客がいる場所なのだ。

 本宮の前では木立が途切れて視界が開けた。青空に木造の本宮の屋根がよく映えている。賽銭箱の前まで来ると、本宮の浄められた白い玉砂利が日光を照り返して光っているのが見えた。賽銭箱に各々小銭を入れて、三人揃って柏手を打つ。礼央は自分の合格もだが、横に並ぶ二人の分もよろしくと願った。他人への願いも聞き入れてくれるのかは分からないが、せっかくここまで来て自分のことだけを願うのも勿体無いだろう。

 参拝後は授与所で絵馬を購入し、揃って大学合格と書き記して奉納した。似たような願い事の絵馬は他にもたくさんかかっていたので、三人の絵馬はさして目立ちはしなかったが、なんとなく幸先が良いような気がした。「お帰りはこちらから」と示された看板に従って道を下り始めたとき、大悟が言った。

「きしめん食べて行かね?」

「賛成」

「賛成」

 間髪入れずに礼央と穣も返事をした。ちょうど昼時で空腹だったのもあるし、暑さにやられていてしょうゆの塩味が恋しくなっていたところだったのだ。

 熱田神宮の敷地内にあるきしめんの店は、昼時ということもありそれなりに人が入っていた。レストランのような建物になっているわけではなく、キッチン部分の小屋の前にベンチとテーブルが設られており、いわば露店のようなものだ。冷房がきいた室内に比べれば当然暑いが、冷風扇があちこちで回っており、何より冷やしたきしめんののどごしが気持ちよく感じられた。出汁のきいたつゆにたっぷりの薬味、幅広くコシのある麺を味わう。名古屋近辺に住んでいても、いわゆる名古屋めしと言われるきしめんを味わう機会は意外と少ないものだ。あっという間に食べ終わり、腹を落ち着かせるためにセルフサービスの水を飲んでいると、穣が大悟に尋ねた。

「副島くんはこの辺に住んでるって言ってたけど、やっぱよく食べに来たりするの?」

「いや、そうでもないよ。そんなこと言ったら、あつた蓬莱軒に日常的に行かなきゃいけねーし。流石に無理だわ」

「あ、この辺なんだ。名前はよく聞くけど、場所知らなかったんだよね」

「すぐそこだよ。ここの参道出たところが支店で、県道の橋渡る手前が本店」

「橋?」

 礼央が聞き返すと、大悟はああ、と思い出したように付け足した。

「伝馬町からちょっと行ったところに、堀川の合流地点みたいなのがあってさ。一応史跡かなんかで、昔は船の渡し守みたいなんがいたんだってさ。今はめっちゃきつい坂道の橋になってるけど」

「へえ」

 熱田神宮はかなり昔からあるものだし、交通の要所であり目印でもあったのかもしれない。手元の水をまた口にしようとしたら、コップが空になっていることに気づいた。そして、水を取りに行くついでにと礼央は言った。

「提案なんだけど、クリームぜんざいも食べて行かない? 俺、さっきから気になってたんだけど」

「俺も」

「僕も」

 三人は揃って、「熱田神宮限定」のポップが踊るクリームぜんざいを追加注文し、しっかり堪能して帰ったのだった。

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