風の塔に眠る夢 - 12
ヨットのような乗り物を操舵していたのは、シロムと同じような白い衣装に身を包んだ年若い少女だった。
少女は「おおい」とこちらに呼びかけながら、こちらに近づいてくる。彼女はふたりの近くに乗り物を止めると、ひらりと大地に飛び降りた。
「よう、ヒナタ。ずいぶんと操縦が上手くなったな……」
彼女に話しかけながら、シロムはこちらに耳打ちするように言った。
「この世界には、今の彼女がやっていたように、風を自由に操る人間が住んでいるんだ……無論、他所から来た俺にはそんな芸当はできないが……」
ヒナタと呼ばれた少女は、こちらに向かって気さくに話しかけてきた。
「うん、かなりコツも掴んできたからね……それでも後から来たシロムの方が上手に乗りこなすのは癪に障るけど……というか、ここの塔は危ないから近づかないでって前も言ったでしょう。こんなところで何してるの? それに、この方は誰?」
ヒナタは、シロムに対して小言をぶつけながら、麻美の顔をまじまじと見た。
「ああ、彼女は今、俺と同じ世界から来たらしいんだ。名前は……」
「……ヨナ?」
シロムの言葉を遮るように、ヒナタが呟いた。ヒナタはまっすぐに麻美の顔を見つめ、その瞳が驚いたようにどんどん見開かれていく。
麻美とシロムは、彼女の反応が理解できず、互いに顔を見あわせた。
「えっと……君ら、知り合いなのか? そんなわけないよな」
シロムが困惑気味に言った途端、ヒナタは弾かれたようにこちらに飛びかかってきた。見知らぬ少女に強く抱きしめられ、思わずうめき声を漏らす。
「やっぱり、ヨナだ! 生きていたのね、ずっと会いたかったんだから……!」
彼女は嗚咽を漏らしながら、麻美の腹に頭を埋めてくぐもった声を上げる。
いったい何が起こっているのかとシロムに目を向けるが、彼も何が何やらというように肩をすくめている。
「と、とにかく落ち着いてくれる? わかるように説明してくれるかな?」
麻美は自分の身体から離れようとしない少女に言い聞かせるように、優しく声を掛けた。
ふたりの説得で、ヒナタはようやく落ち着きをみせた。
三人は大岩の近くに腰かけて、ヒナタはぽつぽつと語り始める。
「ヨナは、わたしの大切な友達……って、本人に向かってそんなこと説明するのは変な感じだけど……とにかく、そうなの」
ヒナタは興奮冷めやらぬ様子で、事のあらましを話し始めた。
彼女の話を要約すると、こういうことだ。
この大地に立つ石の塔には、様々な世界と繋がる門のような役割を果たしている。
それは人間の手によって生み出されたものではなく、古来よりこの大地に点在する自然物だとされている。
塔の根本にある門は、この地に住む人間が後から作ったものらしい。世界ごとの秩序が保たれるべきであり、安易に人の往来を許すべきではないという考えからだそうだ。そのため、余程のことでもなければ門は開かれることはない。
だが、数ある塔の中に、稀に、妙な挙動を起こすものがあった。
突然、門がはじけ飛んで、他の世界の人間が運ばれてきたり、あるいはその逆で、こちら側の人間が扉ごと塔の中へと吸い込まれたり……。
その話を聞いた時、麻美はハッとして顔を上げた。
麻美は、何度も夢に見たあの光景を思い出していた。目の前で突如として音を立てて砕ける扉。錠がはじけ飛び、扉もろともに中へと吸い込まれていく、悪夢のような感覚……。
「まさか、わたしは……」
麻美は、とてもその言葉を続けることができなかった。
その言葉を引き継ぐように、ヒナタはこっくりと頷いた。
「ヨナは、突然暴走を始めた塔の中に吸いこまれてしまったの。そして、この『風の通い路』から姿を消した。あなたには、その時の記憶が残っているんでしょう。ヨナはきっと、自分でも気がつかない心の奥底で、この世界に戻りたいってずっと願っていたんだ……だって、歳をとってはいるけど、あなたの顔はヨナにそっくりだもの」
そういって、ヒナタは再びヨナの……麻美の身体に抱き着こうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
麻美は、彼女の身体を抱き留めながら言う。
「たしかに、わたしにも思い当たる節はあるんだけど……いろいろとおかしくない? その、わたしが……ヨナって子が塔に吸いこまれたのはいつの話なの?」
「えっと……今から、二年とすこし前のことよ」
ヒナタは応える。
「わたしは、もっとずっと前、二十年近くこの夢を見ているのよ。仮にわたしがヨナの記憶を引き継いでいるのだとしても、つじつまがあわない」
「いや……そのことだが、ひとつ言い忘れていたことがあった」
そう応えたのは、隣で話を聞いていたシロムだった。
「君の世界とこの世界では、時間の流れ方が違うんだ。『風の通い路』の絵を描いていた時に何度もここに通い詰めていた時に気がついた。ここでの二時間を過ごすと、君の元の世界では一日が経過している。つまり、おおよそ十二倍の速さの違いなんだ。わかるか……」
シロムの言葉に、麻美は絶句した。
それならば、たしかにつじつまがあってしまうのだ。この世界の一年前に起きたことは、こちらの世界の十二年前に起きたこと、二年前ならば二十四年前に起きたことなのだから……。
同時に、シロムと出会った時に、ふと感じた違和感の正体に思い至った。
古賀雅治が深間坂から姿を消したのは十年も前……なのに、目の前の男の容貌は、その年月の流れをまったく感じさせなかったのだ。
その思いを読んだのか、シロムは付け加えるように言った。
「そうそう、そっちから見れば、俺がこっちに来たのははるか十年も前のことなんだろうが……俺は実のところ、ここに来てまだ一年も経っていない新顔なんだ」
あまりの現実に言葉を失う麻美の腕に触れて、ヒナタは言った。
「ねえ、ヨナ……こっちの世界に戻ってくるよね? 突然のことで、今は考えが追い付かないかもしれないけど……ヨナは、そっちの世界よりもずっと長い時間をここで過ごしていたんだよ。ヨナの魂は、ずっとここに戻ってくることを願っていたんだよ。だから……」
ヒナタは、麻美の身体を離すまいと強く抱きしめた。
「年齢は離れちゃったけどさ……今からでも遅くないよ。ヨナはずっとあの塔の中で長い夢を見ていたんだよ。ねえ、ヨナ。戻ってきてよ、お願いだから、ねえ……」
自分の胸の内で声を震わせる少女の身体を、麻美は呆然と見下ろした。
彼女の肩を優しく抱きとめたつもりだったが、その自分の両腕が須藤麻美のものなのか、ヨナのものなのか、わからないままだった。
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