風の塔に眠る夢 -11

 古賀雅治と須藤麻美は、そのあたりに転がっていた岩に並んで腰かけ、ふたりの間を通り抜ける静かな風を感じながら、しばし沈黙していた。お互いに、いったい何から問えばいいのか、何から話せばよいのか迷っていたのだった。

「生きていたんですね」

 麻美はぽつりと言った。

「深間坂の人々は、あなたが十年程前に行方をくらましたといっていました。町の人々の話を聞いて、どこかでトラブルに巻き込まれて、ひっそりと亡くなったのではないかと思ってました」

 麻美の率直な言葉に、古賀は心底可笑しそうに呵々と笑った。

「まあ、あの世界の人間から見れば死んだも同然だわな……それに、古賀雅治という名はもう捨てた。俺はこの世界に住む、『風の民』とともに暮らし、皆からはシロムという名で呼ばれている。そういう意味でも、古賀雅治はすでに過去の人間だ」

「そうですか……ではシロムさん、あなたもこの世界の夢を見て、ここに辿り着いたのですか?」

「夢……?」

 古賀……もといシロムは、麻美の言ったことの意味がわからないというように首を傾げた。

「ええ。わたしは、この世界のことを何度も夢に見てきたのです。夢の中のわたしは幼い少女の姿をしています。何気なく石の塔に近づくと、その扉が突然に壊れ、その中の暗闇に吸い込まれてしまうという夢を……。この夢の正体がいったい何なのか理解できないまま、わたしは悶々と日々を過ごしていました。でもある日、あなたの残した『風の通い路』の絵が偶然、わたしの目に入ったんです。それで、わたしは……」

「いてもたってもいられずに俺の足取りを追い、拝み岩まで辿り着いたというわけか。なるほど、面白い」

 腕を組み、頷くシロムに向かって、麻美は問いかける。

「シロムさんは違うのですか? あなたも夢を追いかけて、この世界を見つけ出したのでは……」

 シロムは首を振った。

「創作者、あるいは表現者としての探求心が、俺をあそこに導いたんだ。深間坂に腰を落ち着けて創作活動に勤しむなかで、拝み岩といういわくありげなものが近くにあると耳にした。いわく、その周辺では天狗が出るだの狂犬が棲みついてるだの、珍妙な噂ばかりつきまとっていたからな。だいたい、そういうものの中心には常識を破るようなエネルギーが渦巻いている。そういうものに触れることが創作者には必要だったからな……俺は単身、拝み岩に向かい、結界のように組まれていた周囲の石を地面から引っこ抜いて、中を確かめてみた」

「ちょ、ちょっと待ってください。あの石を持ち去ったのはあなただったんですか?」

「ああ。俺のような侵入者を阻む存在だとひと目でわかったからな。邪魔だと思ったんで除けておいたんだ」

 シロムはこともなげに言ってのけた。

 麻美は頭を抱えて嘆息した。恐れ知らずというか、罰当たりというか、厚顔無恥というか……。町の人々の彼に対する評判は的を射ていたのだと、本人を目の前にして思った。

「そして、拝み岩の間に苦労して身体をねじ込むと、暗闇の中に落ちていくような感覚を覚えた。そうして気がつくと、ここに辿りついていたってわけだ。そりゃ、驚いたさ……あんな陰鬱とした町の人気のほとんどない場所に、こんな広大な世界に繋がる抜け穴があるなんて……なあ、いったい誰が想像する!?」

 シロムは吹き抜ける風に手をかざすように、天に向かって思い切り両腕を伸ばした。まるでこの地に初めて降り立った時を思わせるような、歓喜に満ちた表情だった。

「それで、この光景を絵に残すことにしたんですね」

「ああ。だが、この風景は俺にとってもはや単なる絵のモチーフ以上の意味を持っていた。天啓を俺にもたらしたんだ。俺は『風の通い路』を描きあげたら、俺は一切の創作活動から足を洗うと心に決めた」

「……それは、どうしてまた?」

 麻美が問うと、シロムは、ふっと口の端を歪めて笑った。語っているうちに、彼はかつて「古賀雅治」であった時の感情を取り戻しているようにも見えた。

「いい加減、自分の才能というものに限界を感じていたんだな。生まれ育った家庭が資産家なうえに放任主義で、好き勝手やらせてもらっていたおかげか、自分は俗な世間から一線を引いて、芸術の道で生きていくべき人間だと思い込んでいたのだ。結局は、自分の志したその道も浮世と地続きなのだと気がついたのは、うっすらと不惑の年になった自分の姿を意識し始める頃合いだった……まあ、ひとことで言えば、自分で選び取ったはずの道からも逃げ出したかったのかもしれない……他人が聞いてもつまらない、独りよがりな戯言だな」

 ふう、とため息をつき、シロムは空を泳ぐ白鯨の群れのような雲を見あげた。

「自分の納得のいく絵を描きあげた後、その画題と同じ『風の通い路』という作品集を作ったが、それは俺にとっての遺言みたいなものだった。利益を出したり宣伝したりというつもりは毛頭なかったよ。本当に限られた部数しか刷っていないんだ。よくそんなものに巡りあったな」

 麻美は、深間坂から遠く離れた町の古本市でそれを見つけたことをシロムに伝えた。

「本来は市場に流通していないものなんだがな……」

 シロムは不思議そうに唸った。

 麻美は、先ほどから気になっていたことをシロムに尋ねた。

「さっき、この世界には『風の民』という人が暮らしているといいましたね。彼らはここにはいないのですか」

 麻美はきょろきょろと辺りを見回してみると、遠くから何かが疾駆してくるのが見えた。

「ちょうどいいタイミングだな。見てみろ、あれが風の民だ」

 一瞬、麻美の目には緑の海を泳ぐ、巨大魚の背びれのように見えた。その背びれにひとりの人間が掴まり、風に服をなびかせながら、こちらに向かって手を振っている。よく見てみると、それは魚ではなく、風を受けて地を駆ける、ヨットに車輪のついた乗り物のようだった。



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