風の塔に眠る夢 - 2
翌日、月曜日の昼休み。
麻美は会社の休憩室で、いつものように文庫本を片手に、コンビニで買ったサンドイッチを漫然と頬張っていた。
味に意識が向かないことはいつものことだが、読書の方にもなんだか集中できないでいた。目線は文字列の上っ面を滑るばかりで、内容がまるで頭に入らない。進んでは戻りを繰り返し、さっきから同じ文章を何度も読んでいる。贔屓にしている作家の新刊なのだが、どうしたことか……。
その原因は明白だった。やはり、昨日の夕方の夢を引きずってしまっているのだ。
麻美はため息をつくと、栞を挟んで本を閉じた。
もそもそとサンドイッチを頬張っていると、「なんだか疲れてそうですね」と声がかかった。
後輩の柏木麗奈が、「よっこらせ」と隣の席に大仰に腰を下ろした。
「まだ月曜日ですよ、大丈夫ですか?」
麗奈は、同じくコンビニで買った弁当を開きながら、問いかけた。
「あんたこそ、何よ。よっこらせって、まだそんな年齢じゃないでしょうに」
麗奈はへへへと悪戯っぽく笑ったかと思うと、ずばり核心に切り込んできた。
「もしかして、またあの夢ですか?」
うっ、と言葉に詰まる。
「あーやっぱり。先輩、わかりやすいですね」
「そんなに顔に出てた?」
麻美が尋ねると、麗奈はなにがそんなに面白いのか、にこにこ顔で頷く。
やっぱり話すんじゃなかった、と麻美は今さらながらに後悔したが、もう遅い。この後輩、柏木麗奈の前で、以前口を滑らせてしまったのだ。
麗奈は人懐っこいというのか、懐に入るのが上手いというのか、彼女の前ではついつい話さなくていいことまで話してしまう。ともあれ、他言するなという注意は守ってくれているようなので、口の堅さはある程度信頼してもよいのかもしれないが。
「そんなにしんどいのなら、医者にでも診てもらった方がいいんじゃないですか」
麗奈は、ぱきりとペットボトルのお茶の蓋を開きながら言った。
「素人がいくら頭を悩ませても仕方ないと思いますけどね」
「いや、そこまで深刻な悩みでは……」
麻美は、言葉を濁す。
本当の所はどうなのだろう。実の所、自分でもどうするべきかよくわからないのだ。
たしかに麗奈の言う通り、ずっとひとりで抱え込んで神経をすり減らすくらいなら、専門家のアドバイスを受けた方がいいのかもしれないとも思う。
しかし一方で、何年も放置していた悩みを、今さら人に頼るなんて……という、どこか屈折した思いがあり、それが麻美を引き留めている。
「うーん……今のところはこのままでいいんじゃないかとも思うんだよね。仮に、はっきりした原因があるんだとしても、それを知る必要性はない気がする。気にした方が負けというか」
「そうは言っても、気になるんでしょう?」
「……まあね」
麗奈はやれやれといったように首をすくめた。
「先輩らしくないですよ。仕事でもなんでも、即決即断の人なのに……もしかしたら、先輩の根っこの部分に絡みついている問題なのかもしれませんね」
麻美は、後輩のその言葉に思わずぎくりとした。直感的に、麗奈のその言葉は核心をついているという気がしたのだ。不覚にも、すこし打ちのめされた感じがした。
確かに、ひとつの物事に対して、ここまで長い時間をかけて思い悩んでいたことは、これまでの人生でなかったかもしれない。
この夢の問題だけが、いつまでもほったらかしのままだ。丹念に手入れされて整地された庭に、ひとつだけ残された雑草のように。そして、その根を引き抜いてしまったら、元の自分には戻れないのではないかという恐怖を、自分は感じているのだ。
本当に、この感覚はいったい何なのだろう……。
麗奈が話題を変えてあれこれと話すのを聞き流し、休憩時間が終わるまで、麻美は呆然と自分の思考に没頭していた。
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