遠い月まで吠えるもの - 8

 あの騒動からちょうど一か月が経った日、四人は「まほろば」という喫茶店に出入りするようになっていた。

 そろそろ冷え込んでくる季節で、いつまでも外でたむろしていられないというのもあるが、それ以上に「間多良山にはもう近づかない」という暗黙のルールが四人の間でできあがり、間多良山公園からもすっかり足が遠のいていたのだった。

「しかしよお……ああいう話って、もっと厳重に口止めされると思ってたぜ」

 他の三人がカフェオレやコーラで済ます中、ひとりだけオムレツをがっついていたチハルが言った。

 窓の外をぼんやりと見つめていたリョータが「ああ」とこちらを振り返る。

「そういえば、小野山さんは何も言わなかったよな。正直、俺はあの場で口封じに殺されるんじゃないかと思ってたぜ。少なくとも、他言したら殺す、くらいの脅しはあるかと覚悟してたんだが」

「そうだよな……」

 カイトはふたりのやり取りに相槌を打ちながら、当時のことを思い返していた。


 小野山は、シマワタリとかいう怪物を送り返した直後、四人を元の世界に連れ戻してくれた。シマワタリを捕縛するのに使った縄を四人に掴ませてから、何事かを唱えて錫杖を振るい、拝み岩を小突いたのだ。

 その瞬間に、またあの空間が歪むような感触が身体を走った、次の瞬間には、四人は元の世界に戻ってきていた。満天の星空も黒い月も消え失せ、ごく普通の満月が見下ろす間多良山の真ん中に立っていた。

 それから、小野山はシマワタリのこと、世界を形成する層のこと、拝み岩のことなどについて、四人に向かって簡単に説明したのだ。

 その後、四人を先導し、遊歩道を通って皆で無事に下山した。

 四人が自転車を隠していた看板の前までたどり着くと、「ほな、気をつけて帰りや」とあっさりと帰路につこうとするので、四人は驚いて顔を見あわせた。

「あ、あの」

 てっつんが、その背中に向かって叫ぶと、小野山は「何や」と振り返る。

「何って、その……今日、ここで見たことは、人に言わない方がいいんスよね」

「え? ああ……」

 小野山は何故か、困ったように首を傾げて言った。

「まあ、無理に口留めするつもりはないけど……仮に人に言ったとして、自分、信じてもらえると思うんか?」


「まあ、冷静になってみれば、小野山さんの言う通りだよ」

 カイトが言うと、他の三人も頷いた。

 少なくとも、あそこで見聞きしたことをむやみやたらに騒ぎ立てようという気は起らなかった。

 きっと、小野山がこの四人に対していろいろと講釈したのも、彼なりの意図があってのことだろう。まったく未知の事象に出くわした時、人間はそのことを周囲に吹聴したくなる。その話には尾ひれがついて町中を泳ぎまわり、根も葉もない話の種があちこちで蒔かれることになるのだ。

 それならば、目撃者にはある程度の説明を与えてやった方がよい。「あんなもんは珍しくもない、あーやこーやと騒がんでええ」というように……。


「まあ、それでも変な噂は出てくると思うけどな。それに、この町には、拝み岩以外にもいろいろと厄介な場所があるって小野山さんも言ってたし……」

 てっつんはそう言って、カフェオレを啜った。

 すると、ちょうど席の近くを通りかかったマスターが、ひょっこりと顔を出した。

「ねえ。その拝み岩って、間多良山のところにあるいわくつきの場所だよね?」

 世間話の好きなマスターは、とっておきの話があるといわんばかりに前のめりになって話し出した。

「いや、偶然だなあ。さっき来ていたお客さんから、その拝み岩にまつわる噂を聞いたんだよ……なんでも、あの岩のあたりで、夜な夜な五つの首を持った怪物みたいな犬が獲物を求めて徘徊しているんだって。おまけに、それを世話している変人があの山の近くに棲みついているんだとか……ねえ、もしかして君たち、何か知ってるんじゃない?」

 四人は、ゆっくりと顔を見あわせる。

 カイトも、てっつんも、リョータも、チハルも、おそらくは同じ人間の顔が頭の中に浮かんでいたのだが、「さあ……」と皆が口を揃えていった。

「たぶん、根も葉もない噂ですよ」


- 了 -

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