遠い月まで吠えるもの - 7

「あれはな、シマワタリっちゅう生き物や」

 仙人……もとい、小野山と名乗るその男は、拝み岩に身体を預けながら言った。

「その名前通りでな。今日みたいな満月の晩に、シマからシマを渡ってきよるんや……ええと、どう説明したらええんかな」

 小野山は頭を掻いた。

「つまり、この町の『別の階層』から出てきたわけや。お前さんらが知っている深間坂にはあんなもんはおらん。だから、この町の誰にもシマワタリの存在は知られてない……俺みたいな一部の人間を除いてな。俺はこいつらにも手伝ってもらいながら、ああいう生物を元の世界に帰したりする仕事を請け負ってる。トラブルバスターってところか」

 小野山はそう言って、足元に控えている飼い犬たちの頭を順に撫でた。

 五大明王の名を冠し、その名に恥じぬ活躍を見せた犬たちだったが、その勇ましさはすっかり鳴りを潜めている。大人しく腰を落ち着けているその姿は、散歩の途中に早く家に帰りたいと主人に催促する出不精な犬にしか見えない。

「仙に……いえ、小野山さんにいろいろ訊きたいことはあるんですが……」

 リョータが頭を抱えながら、恐る恐る口を開いた。

「さっき、あのオオカ……シマワタリの爪が、この犬たちに届かなかったのは?」

「簡単なことや。あの時、こいつらには、俺たちとは別の階層におったんや。別の階層にいるものには、触れることはできんからな」

「それ、おかしいだろ」とチハルが突っ込んだ。「じゃあなんで、俺たちから姿が見えたり、あの化け物を捕まえたりできるんだ?」

 小野山は、すこし驚いたような顔でチハルを見た。

「見かけより頭が回るな。それはな、この縄のおかげや。シマワタリの体毛で編み込んで、特殊な薬液で染め上げたものや。これで繋がってさえいれば、別の階層間で多少の干渉が可能なんや」

 そう言って、自身の錫杖に幾重にも巻き付けてある、紫色の縄を見せた。

「微妙な太さの調整が必要でな。太すぎると奴の爪が俺の犬に届いてしまうし、細すぎるとこいつらの首輪から外れてしまう。この塩梅が難しくてな」

 小野山は錫杖を地面に突き立て、月に向かって吠えるように呵々と笑った。

「とにかく、この縄とこの犬たちの連携で、奴を元の世界に送り返したっちゅうこっちゃ。殺したわけではないで。あんな怪物を殺生したら、こっちにどんな災厄が降りかかるかわからんからな。できるだけ穏便に波風立てず、や。縄も外してやったし、今ごろは別の階層の間多良山で元気に走り回っとるやろ」

 四人はしばらく沈黙し、その場に立ち尽くした。目の前で繰り広げられた光景と、与えられた情報を整理する時間が必要だった。

 やがて、てっつんがぽつりと言った。

「つまり……俺たちは別の次元に迷い込んでいたってことですか」

「ああ? まあ、そうやなあ……別次元か……その言葉が的を得ているのかは俺にもわからんが、あたらずとも遠からずってとこちゃうか。これは俺自身の勘と経験による見解やが、この世界全体は、似ているけどすこしずつ違う世界の層がいくつも重なって出来ていると思うんや」

 小野山は、錫杖で拝み岩をこんこんと小突く。

「厄介なのはこういう存在やな。この拝み岩は、層と層の間の境界を歪めてやがる。 この山にシマワタリみたいな化け物が入ってくるのは、確実にこの岩の影響やと俺は睨んどる。そして、この深間坂にはこういう難物がやたらと多い……なんでか知らんがな」

 小野山は、はるか遠くの宙に浮かぶ月に目をやって呟いた。

 カイトも、それにつられて月を見る。もちろん、そこにあるのは漆黒の月ではない。淡く白い光を夜の町に注ぐ、よく見知った月だった。

 それを見た時にようやく、「元の世界に戻って来れたのだ」という安堵の気持ちがカイトたちの胸中にわき起こり、じんわりと広がっていった。

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