遠い月まで吠えるもの - 2

 四人はぬかるみ坂を下り、自転車で仙人の家に向かった。

 すでに日は落ち始めている。仙人が普段どのようなスケジュールで暮らしているのか知らないが、偵察をするのなら明るいうちがいいだろう。暗くなってからでは、おそらく遠くからは何も見えない。

 てっつんの先導で、四人は山沿いに自転車を走らせる。公園を出て十五分ほどで、間多良山遊歩道の東口に到着した。

「たしか、この近くだったよな?」

 てっつんは、「間多良山ハイキングマップ」の看板の前で自転車を停め、きょろきょろと辺りを見回した。

 カイトもそれに倣い、山の近くの茂みに目をやると、草木に囲まれた平屋建ての小さな一軒家が視界に飛び込んできた。

「あっ、あれだ」

 カイトが指さした先にある家を見て、三人は好き勝手感想を述べ始める。

「うわあ、あんな所に住んでるのかよ」

「まさに仙人の住む家って感じだな」

「さっきの公園にある廃屋と大差ないんじゃないか?」

 容赦ない言葉の数々だが、悲しいかな的を射ているとカイトも思った。道路の向こう側には、小綺麗で瀟洒な家々が、徒党を組むように整然と並んでいる。それと比較すると、仙人の住む家はどうも小屋のように見えてしまうのだ。

 実際の生活を想像するに、仙人は独り暮らしで、五頭の犬たちは外の庭に繋がれているわけだから、スペースは十分こと足りているのだろう。あれを「仙人の家」然として見せているのは、その建物というより、おそらく野山に呑み込まれかけている土地のせいだ。

「なんだって、あんな外れたところに家を建てたんだろう……」

「さあな、なんでもいいが、俺たちの目的は犬っころの方だ。たぶん、あの庭みたいな場所に繋がれてると思うんだが……」

 カイトたちは、遊歩道の入り口付近に自転車を停めて、歩いて仙人の庭に近づいた。明らかに不審な集団だが、幸いにというべきか、周囲に人影はない。腰をかがめると、ちょうど草陰に身を隠すように近づくことができた。

「見ろよ、五頭いるぞ」

 リョータが声を潜めて言った。

 そっと頭を上げて庭を覗いてみると、五つの犬小屋がぴったりとくっついて並べられている。どこからか拾ってきたり貰ってきたりしたのか、デザインも大きさもバラバラである。それぞれの小屋の扉の近くに鎖が繋がれ、鎖の先には五頭の雑種犬がいた。

「意外と可愛らしいな」と、チハルがボソッと言った。

「もっと野性味溢れる感じを想像してたんだが」

 チハルの言う通り、目の前の五頭は周囲を警戒するでもなく、ぼんやりと晩ご飯がくるまでの時間を適当にやり過ごしているような、退屈で気だるそうな雰囲気だった。

「どれもこれも似たような奴らだな。仙人はちゃんと見分けてんのかな」

「あ、でもほら、小屋の所に名前が書いてあるみたいだ……けど、ちょっと遠いな」

 カイトが指さすと、リョータがどれどれ、と腰をあげた。

「グンタにダイトク、ゴンザレス、コンゴウ、フドウか……」

 リョータはそれぞれの小屋の屋根の近くに刻まれた文字をすらすらと読み上げると、何かに気がついたように首を傾げた。

「お前、あんな小さな字、よく読めるな……しかし、ゴンザレスに金剛だと? なんか、統一感がないネーミングだな」

 てっつんが言うと、「いや」とリョータは首を振った。

「一瞬混乱したけど、あれは仏教に出てくる五大明王から採ってるんだと思う……うん、きっとそうだ」

 リョータはひとり納得するように頷いている。

「金剛はなんとなくわかるけどよ、仏教にゴンザレスなんて出てくるか?」

「それは洒落というか、こじつけみたいなもんだと思うが、降三世明王ってのがいるんだよ。不動明王に金剛明王、それに軍荼利明王、大威徳明王だな。仏像の中でも、武器を持って怒ってるようなやつがあるだろう? あれだよ」

 カイトとてっつんとチハルは、ぽかんとして顔を見合わせる。

「お前、そういうの好きだったの?」

 カイトが訊くと、「ハハ、まさか」と笑って答えた。

「うちのお爺さんがその方面に通じていてね。ガキの頃から嫌ってほど聞かされてたんだ……だから、名前だけは頭に入ってるってだけ。それより、問題はあいつらの名前じゃなくて臭いの方だろ?」

 その一言で、ここに来た目的を思い出した。

「どうなんだ、てっつん? あの時に嗅いだ臭いと同じなのか?」

 てっつんは、鼻孔を膨らませて、肺に思い切り空気を取り込んでいる。しかし、すぐに「違うな」と言った。

「あいつらもなかなかだけど、あの時に臭ってきたのはこんなものじゃなかった。風が出ていたとはいえ、姿が見えないほど遠くからでも臭いが漂ってきたんだ」

「ふうん。じゃあこいつらは関係ないのか」

 カイトが犬たちの方をみやると、そのうちの一頭と目が合った。濃い目の茶色の体毛に、黒耳が特徴のその一頭は、こちらの存在をまるで意に介さず、「くあぁ」と欠伸をして小屋の中に引っ込んでしまった。

「あの様子じゃ番犬になるかも怪しいぞ。五頭も雁首揃えて、情けねえ」

 チハルがガハハと笑っていった。その声は犬たちの耳にも届いたはずだが、やはりほとんど反応していない。

「しかし……そうなるとますます臭いの正体が気になるな」

 いつの間にか、リョータも乗り気になっていたらしく、腕を組んで考え込んでいる。そして、ふと何かを思いついたような顔で、てっつんの方を向いた。

「そういえば、その遠吠えを聞いたとき、満月が出てたって言ったか?」

「ああ、そうだよ。山の方を見あげた時に目に入ったんだ。雲も出ていなくて、妙にくっきりはっきりと見えたから、よく覚えてる」

「オオカミは満月に向かって吠えるってのは本当なのかな……」

 リョータはぶつぶつと独り言を言いながら考え込む。

「いくら考えたって仕方ねえよ。結局はいるかいないかの二択なんだ。次の満月の時、拝み岩まで行って確かめてみようぜ」

 チハルのその軽はずみな発案に、てっつんはもちろん一も二もなく乗った。カイトはリョータと顔を見合わせ、ふたりでため息をつきながら、渋々それに従うのだった。

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