第3話 遠い月まで吠えるもの

遠い月まで吠えるもの - 1

 深間坂の住人にも意外と知られていないのだが、間多良山の近くには小さな公園がある。

 間多良山公園という、ひねりはなくとも立派な名前を与えられたその公園だが、ブランコやすべり台といった遊具らしい遊具はとうの昔に撤去され、寒々しい空き地の中に、猫の額ほどの砂と、コンクリートでできた動物の像が並ぶばかりである。その隣には、何に使われていたのかもわからない小屋のようなものがぽつんと佇んでいるが、窓は割れ、屋根は剥がれ落ち、中は風雨に晒され続け、近づくのも危険な廃屋と化している。

 おまけに、この公園に辿りつくには、通称ぬかるみ坂という難所を越える必要がある。山が陽の光を遮るせいか、年中地面がぬかるんでいるのだ。

 そういった事情もあり、深間坂の住人がこの公園に近づくことはない。

 とはいえ、例外も存在する。人目のつかないたまり場を常に必要としている悪ガキたちがそれだ。


 放課後に暇を持て余した中学生の四人組が、間多良山公園に集っていた。そのうちのひとり、加藤徹也……通称、てっつんがボールの壁当てをしているのを、他の三人が雑談をしながら見守っている。

「なあ、間多良山のオオカミの噂、知ってっか?」

 てっつんが、球を壁に投げつけながら、唐突に切り出した。急に話を振られた三人は、ぽかんとして顔を見合わせた。

 三枝海斗……通称、カイトには聞き覚えのない話だった。他の二人も同様らしい。

「オオカミはとっくの昔に絶滅したよ、てっつん」

 こほん、と咳払いをして、吉川亮太……リョータが言う。

「ニホンオオカミのことを言ってるのならね」

 てっつんは、ぎろりとリョータを睨む。本人に敵意はないのだとわかっていても、その目つきの鋭さに、カイトはいつも萎縮してしまう。対して、当のリョータはどこ吹く風という感じだ。

「わかってるよ、んなこと。だから噂になってるんだろうが」

 てっつんはまたも球を投げる。先ほどよりも球威が強くなったように見えたのは、気のせいだろうか。

「聞いたことねえけど。どんな話なのよ?」

 地面に寝そべっていた高山道春……通称、チハルが、のっそりとその巨体を起こして言った。

 てっつんが壁に当たって返ってきたボールをミットでキャッチすると、目の前にそびえる間多良山を見上げながら話し始めた。

「あの山の中に、『拝み岩』ってのがあるだろう。あの辺でオオカミの遠吠えを聞いた奴がいるんだよ。それも、どこか山の遠くから聞こえてきたわけじゃなく、すぐ近くで……」

「ってことは、オオカミの姿も見たのか?」

 カイトが問うと、てっつんは首を横に振った。

「いや、姿は見えなかったんだと。何しろ夜だったらしいからな。それに、そいつは身の危険を感じて、すぐに拝み岩の所に隠れたそうだ。相手の姿を確かめる余裕なんてなかったんだと……」

 ふうん、とまるで気のない返事をしたのはリョータだ。

「で、それ、誰から聞いた話なんだよ」

「二組の町田だよ。町田は、高坂とかいう噂好きの図書委員から聞いたらしいが」

「又聞きの又聞きじゃねえか。やっぱりただの噂だろ」

リョータは完全に興を失ったようだが、チハルはすこし考え込んでいる素振りを見せた。

「拝み岩か……たしかに、昔から色々と噂が出てくる場所ではあるよな」

 チハルの言う通りだった。

 間多良山は、深間坂という町の北側を塞ぐように、ぐでんと寝そべっている小山である。その山中を、西側と東側を繋ぐように、一本の遊歩道が通っている。西口と東口、それぞれの入り口に「間多良山ハイキングマップ」なる立て看板も設置されており、いわゆる森林浴やウォーキングに利用される場所なのだ。ご丁寧にコンクリート舗装されている所も多く、大人の足でゆっくり歩いたとしても、四十分もあれば踏破できてしまう。山といっても、その程度の大きさの山なのだ。

 そして、その遊歩道のちょうど真ん中あたりに、件の『拝み岩』なる石が存在する。

 その最大の特徴はなんと言っても、名前の由来にもなっているその形状である。高さ三メートル程の巨岩がふたつ、肩を並べるように屹立しているのだが、その組み合わさった姿が、人間が神仏に拝む際に両の掌を合わせた形にそっくりなのである。まるで、山の神に祈る人間たちの想いがそのまま巨大な岩の手として大地から顕現したようだと、昔の人は考えたようだ。そういう訳で、そのふたつの巨岩は、ひとつにまとめて「拝み岩」と名付けられたという。

 そういう背景もあってか、拝み岩の周辺には様々な都市伝説という名の与太話がつきまとうのだ。天狗やツチノコ、果てはチュパカブラまで……カイト自身も、過去にいろいろな話を耳にしてきたが、はっきり言ってどれも眉唾である。それゆえに、てっつんがオオカミの話を始めたときも、正直「またか」という気がしたのだ。

「……いや、まてよ」

 カイトの頭の中に、あるひとつの可能性がよぎった。

「なんだよ、カイト。思い当たる節でもあるのか?」

「いや、もしかしたらなんだけど……それ、仙人の犬じゃないのか?」

 カイトの言葉に、リョータとチハルは「ああ」と得心したように声をあげた。

「仙人の飼い犬どもか。ありえるな」「うんうん、たしかに……」


 この町には仙人が住んでいる。

 もちろん、仙人というのは、誰かがからかい半分に言い出した通称であり、神通力を持っているわけでも、人智を超えた術を操るわけでもない。ただの、近所にすむおじさんである。その風貌や暮らしぶりがあまりにも仙人じみているので、皆にそう呼ばれているというだけの話だ。

 本当の名前は、オノヤマというらしい。小野山なのか尾山なのか、はたまた斧山なのか。漢字表記も定かではないが、とにかく、大人たちからは「オノヤマさん」と呼ばれている。

 間多良山の近くの小さな一軒家に暮らしており、軽トラックで走っている姿をたまに見かけるが、定職に就いているのか、身寄りはあるのか、彼の生活ぶりについては、誰も知らない。

 仙人のことをもっともよく知るのは、彼の飼っている五頭の雑種犬だろう。

 その五頭は、普段は鎖につながれており、仙人の庭で大人しくしている。散歩のかわりか、仙人は、時々この犬たちを家の裏手の山に放し、遊ばせているらしい。

 もし、仙人が飼い犬たちを夜の間多良山に放していたのだとしたら……。


「バッカ野郎」と、てっつんは吐き捨てるようにその可能性を否定した。

「あんな犬ころたちと間違えるかよ。あれは絶対、普通の犬の鳴き声じゃなかった……」

 その言葉に、カイト、リョータ、チハルの三人は顔を見合わせる。

「なんだ、てっつん。もしかして人づてに聞いたって言うのは嘘か?」

「まさかの実体験? それならそうと最初から言えよ」

 リョータとチハルが言うと、てっつんは首を振った。

「さっき言った通り、拝み岩の話は町田から聞いたことだ。俺だって最初は信じられなかった。でも、その何日か後に俺も聞いたんだよ……」

 てっつんは、左手にはめたクラブにボールを叩きつけながら、独り言のようにぼそぼそと話し始めた。

「あれは満月の夜だった。家に帰るのが遅くなって、親父にまたどやされるんじゃないかと冷や冷やしながら自転車を漕いでいたら、いきなりひどい臭いが漂ってきたんだ。あんまりいきなりだったもんで、がつんと鼻を殴られたような感じがした。獣くさいっていうか……小さい頃に連れて行かれた、動物園で嗅いだような臭いだったな。俺は何事かと思って立ち止まり、辺りを見回した。でも、あたりには動物どころか人ひとりいないんだ。その夜は山の方から風が強く吹いていて、臭いはそれにのってここまで漂ってきているみたいだった。俺は、山の方に目を向けた。その時だった」


 オオオーーーーーーン……

 ウオオーーーーーーン……


「それを聞いたとき、どこかで警報が鳴ったんだと思った。これが生き物の鳴き声だなんて、これっぽっちも思わなかった。きっと、どこかの施設で危険なガスが漏れてしまったから、それを町の人に知らせているんだと……でも、どうやら違うらしいと気がついた。危険を知らせるようなアナウンスもないし、流れてくる音の長さも不規則だ。何かおかしいと思ったその時に、町田から聞いたオオカミの話を思い出したんだ……」

「はあ……これはサイレンなんかじゃなく、オオカミの遠吠えだと? そんでもって、オオカミの体臭が山から吹く風に乗ってここまできたって言いたいのか」

 リョータは首をすくめながら言った。

「そうだよ。筋は通ってるだろうが」

 てっつんはまたもリョータを睨む。

「それと……不気味だったのは、町中に響き渡るようなあんな大きな声に、町の誰も反応しなかったことだ。家の中にいたとはいえ、絶対に聞こえていたはずなんだ。でも、周りの家の奴らは誰も顔を出さなかった」

「それって、いつの話?」

 カイトが尋ねると、てっつんは即答する。

「今から二週間前のことだ。覚えてないか?」

「結構前だな……でも、そんな音を聞いてたら絶対覚えてるし、学校でも話題になってるよ」

「ああ、だから話すかどうか迷ってた。きっとあの声に気がついたのは俺だけなんだろうと思ってな。まあ、案の定だったわけだ」

 はあ、とため息をついて、てっつんは再び球を壁に投げつけた。バン、と破裂するような音を立てて、球が戻ってくる。

 それを見つめながら、チハルがぽつりと言った。

「なら、確かめてみるか」

 それを聞いたリョータは、「は?」と、素っ頓狂な声を出した。

「いや、だからさ。俺らで真相を確かめてみようっつってんの。正直、俺もオオカミなんて信じられねえけどさ。てっつんも、こんな意味のない嘘をつくような奴じゃないだろ。オオカミがいるのかいないのか、仙人の犬や拝み岩が関係あるのかも気になるしよ……白黒ハッキリさせねえと気持ち悪りいんだよ」

 チハルはそう言ってガハハと笑った。

 てっつんもそれを見て、にやりと笑う。

「さすがチハル、そうこなくちゃな」

「おいおい、マジ?」

 リョータは、ちらりとカイトの顔を見てくる。カイトは、諦めろ、と首を振った。小学校からの付き合いだからわかる。これまでも同じようなことが何度かあった。いつだって言い出しっぺはこのふたりのどちらかで、ふたりともも言い出すと聞かないのだ。

 こちらの思うことは伝わったようで、リョータも諦めたように天を仰いだ。

「ほんじゃま、手始めに仙人の家を覗いてみるか」

「仙人の所に? なんで?」

 カイトが言うと、チハルはやれやれと言わんばかりに首をすくめる。

「てっつんが遠吠えを聞いたとき、もの凄い獣の臭いがしたんだよな? 仙人の庭にいる犬に近づいて、同じ臭いがするのかどうか、確かめてみればいいじゃないか。そうすりゃ、噂のオオカミの正体が、仙人の犬なのかどうかは判断できるだろ」

「あ、ああ。なるほど」

 カイトは得心した。チハルは、人の話を聞いているのかどうかも怪しいくらい鈍い男だが、時々、こういう妙なところでやる気を出すのだ。

 リョータも渋々ながら、「まあ、それはそうだな」と話に乗ってきている。

「で、仙人ってどの辺に住んでんだっけ?」

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