#9
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それでも翌日はスッキリした目覚め…と言うには遠かった。
いかんせん、昨日の疲れと言うよりはここまでの寝不足が祟っている。
それでも朝はやってくる訳で。
忘れていた、今日は休みだということを着替えそうになってから思い出した。
「…ふむ」
(どうしようかな)
向かいのベッドのアリアはまだ寝てるから刺激したくないし…多分今日は休みか遅番なんだろう。
かと言って、体はだるくても下手に目は冴えてしまっているので二度寝には向かない。
(今は…朝の五時)
ちらりと時計に目をやっても、流石に何をするにも早い時間が刻まれている。
(これは困ったな)
とりあえず顔を洗って歯を磨くことにした。
首回りに嫌な汗をかかない朝に違和感を感じつつ…寝間着もなんなのでとりあえず着替える。って言っても、ここまで眠ってたせいでまともな私服なんて、ここに来た時の服しかないけど。
久方ぶりに髪をポニーテールに纏める。慣れた髪型以外を自主的に考えるのはめんどくさい。
お給金は毎月出ているので多少お金は有るんだけど…今まで買い物に行く気力も無かったし…。
お屋敷の位置的に、街なんてすぐそこなのでいくらでも買い物する機会はあったんだけど。どちらにせよ、朝の六時前から開いてる服屋は存在しない。
かと言って私物は、相変わらず枕の下で眠る手紙と首元のネックレスだけ。本の一冊も無いのでは部屋で時間も潰せない。
アリアは休みの日に買い物に行ったりしてるようで、チェストに服は豊富なようだ。机の上に買った小箱を置いて、そこにアクセサリーなんかも仕舞っている。以前見せてくれた。
対して私はと言えば、何とも華のない生活である。過ぎた時間は戻らないので考えるだけ無駄だけど。
(暇なら庭でも散策するか)
そう決めて、アリアを起こさないよう慎重に部屋を出る。
庭は主に夫人の管轄だが、使用人にも解放されている。休憩時間に行ったりする人も居るみたいだ。私は休憩時間になると食堂で寝てるので、掃除でもない限り行った事ないけど。だるい体を引きずって仕事をしているので、少しでも寝ないとその後仕事ができない。
(だから友達も少ないんだよなぁ…)
使用人用の戸口から庭に出る。朝もやの残る庭は相変わらず綺麗に整えられていて、今は夏の花が咲いている。
しかし私は今、使用人服でも無いのに長袖。死ぬほど暑い。これは今日にでも服を買いに行かなければ。
ふらふらと庭を散策していると、遠くで呼んでいるような声が聞こえる。疑問に思って声の方に振り向くと、執務室の窓を開けたフィンが私を呼んでいた。なんでこんな時間に執務室に居るのか知らないけど、小走りで窓の前まで行く。
「おはようございます、フィン様。お呼びでしょうか?」
流石に公共の場、言葉は選ぶ。
休みだからって立場は変わらないので。
「おはよう、こんな時間に珍しいと思って…休みなんだね」
私の姿を見てそう言うと、フィンは周りをきょろきょろと覗き始めた。何か確認できたのか、小声で私に言った。
「誰もいないし、気軽に話そうよ」
「…部屋に執事さんが居るのでは?」
何か用事でもない限り男主人が居るところに執事は居る。そう言うものだ。主人の命にいち早く応えるのも仕事である。
「ルークとマデリンは事情を知ってるから」
「…そう言うことではないと思うんですが…今日だけ特別よ?」
我ながら、恋人を甘やかしてると思う。
「それで、なんでこの時間に執務室になんて居るのよ」
庭の時計に目をやると、時間は六時半。どう考えても仕事には早い。
「昨日、急に仕事放り出してしまったからね…」
彼は悲しげに視線を逸らしてそう言う。
…正直、そんなことだろうと思った。急にあんな事して、余程仕事が無い日なのかと勘繰った位だもの。
「君こそ、この季節に着るには珍しい服装だね」
(あ、露骨に話題変えたな…)
いつかこってり絞ろう。私より年上なんだからしっかりしてほしい。
「これしか服がないのよ。休みの日に起きてるなんて初めてだから。私物も限られてて時間も潰せないし」
「なんだって!?」
急に出た大きい声に体が跳ねる。落ち着いてフィン。
「ちょっと待ってて!」
そう言って彼は窓を閉めて部屋の中に消えていった。
「い、一体なんなのよ…」
言われた通りしばらく待っていると、再び窓が開く。
「執務室来て」
「はぁ…」
その言葉に困惑しつつ執務室に向かう。
ノックをすると、誰かと訊かれるまでもなく扉が開いた。
「失礼します…」
素直に緊張する。執務室なんて最初の挨拶以降来てないし、普段私が掃除に来ることもない。執事さんに朝の挨拶をすると、笑って返してくれた。執事さんは優しいおじいちゃんのようで癒される。
「…で、呼びつけてどうしたの?」
執務室の最奥で、正しく執務用の椅子に就き、机にラフに腕を乗せてこう言った。
「デートしよう」
「仕事終わってから言って」
すかさず顔を顰めて返す。貴方仕事増えてるからこの時間にしてるんじゃないの。
「午前中で仕事は終わらせる。だから昼からデートしよう、ランチにいい店を知ってるんだ」
「お立場を考えてください」
だから使用人を贔屓するような真似はやめてほしいと何度も言ったのに、という話だ。例え恋人であっても、そこが変わる訳じゃないんだから。
「もちろん平民の格好に変装して、帽子も被る。貴族が行くような店も避けるから」
「…」
子犬のような目で私を見るフィンを横目に、私は少し考える。
しかしここで承諾したら甘やかしすぎな気もする。
「…その条件で、本当に仕事が午前中に終わったら行っても良い」
許可するだけなのに、どうして照れ臭く視線を逸らす自分が居るのかはわからないけど、やっぱり私もそれなりにはこの関係に浮かれているし、甘いなと思った。
「よかった!ならそこのソファで待っていて!ここなら本もあるし好きに読んでいいから」
私が許可した途端目を輝かせるフィン。彼はこれから遊びに行く時の犬のようだ。
しかし行く所もないのでお言葉に甘えることにした。執務室なら執事さんがいる以上、人の出入りは激しくないはずだし。
私は執事さんに「お世話になります…」と挨拶して本を選ぶ。また執事さんは笑って「良いんですよ」と返してくれた。やっぱり癒しである。
何の気なしに最新の貴族目録を読みながら、時折彼の方を見る。
恐らく彼の左側に山積みになってる書類の山が仕事なんだろう。そこから書類を確認して判を押したり、資料のような物を読んだり、時折執事さんを呼んでなにか言伝たり。
(やっぱり仕事はちゃんとしてるんだ…)
図らずもかっこいい、と考えてしまった。
書類読む時にちょっと眉間に皺が寄るところとか、書類に目が行ってて伏せ目っぽくなってるところとか、ペンを走らせる長くて節だった指とか、執事さんと話してる時の表情の動き方とか。
ここまで話してきた感じとは全然違う、真面目な彼の姿に、少し胸が高鳴る。
(いつもこれくらい真面目なら良いのに…真面目すぎるからあぁやって感情拗らせるんだろうけど)
なんだか照れくさくなって、そこからは本に集中する事にした。
とは言っても貴族目録なんて、ドロドロした血縁関係をひたすらに読むようなものだ。家系図を見ていると、浮気者はどこにでもいると痛感する。
…彼がもし浮気したらどうするんだろう、私は。なんてふと考える。
こんなに好きなのに浮気なんてされたら、相手を殺して自分も死んだ方が話が早いかもしれない。
こっちもこっちで私が浮気したら人形にでも何にでもなってやる!なんて啖呵切っちゃったし、向こうには言質取ったって思われてそう。
(ま、考えても答えは出ないよね)
本を閉じると部屋の時計の鐘が鳴った。時刻は十一時だ。
「お、終わった…」
部屋の奥から疲れ果てた声が聞こえた。そちらに振り向くと、椅子の背もたれに全体重を預けて項垂れるフィンの姿があった。
「お疲れ様です、坊っちゃま」
「あぁ、そうだね…」
本当にあの量の仕事を終わらせたのかと、素直に感心した。文字通り山積みだったのに。
「お疲れ様」
私も声をかける、すると途端に彼は背筋を伸ばして元気を取り戻したように見えた。一体どういう原理なのか。
「ありがとうアニー、でももう少し可愛く言ってほしいな」
「調子に乗らないでくれる?」
少しは感心したのに、その気持ちを返してほしい。
「ダメか…」
明らかに落ち込んでいる。知ったことかと言いたい所だけど、流石にこの落ち込み様はちょっと心が痛む。
「…ほら、約束通り行くんでしょ、デート。早く支度してきて」
デートって言ったって、ランチ食べて服買いに行くだけなんだからさっさとして欲しい。
…別に照れてないし。
「…! 今やるよ!」
表情に光が戻ったかと思ったら、彼はいそいそと部屋を出て行った。
(あ、待ち合わせしようって言うの忘れた)
二人バラバラに屋敷を出た方がリスクが低い。だからそうしたかったのに、彼に伝え忘れてしまった。
仕方ない。執事さんに伝言を頼もう。
私は伝言を頼んで執務室を後にした。使用人用の戸口から屋敷を出て、庭を抜ける。
門の前で待ってると伝えたのでそのまま門の前で待つことにした。少しして急ぐような足音が聞こえたのでそちらに振り向く。
「ごめん、待たせたね」
「そこまででもないかな」
彼は確かに平民の様な服装で来た。
半袖のワイシャツはラフに第一ボタンを開けていて、淡い緑色のベストとそれに合わせたハリのない茶系のスラックス、被ってるハンチング帽はベストに似た淡い緑だ。
スラックスが少しくたびれてたりワイシャツが半袖だったりする辺り、抜け目がない。て言うかそんなのある貴族の家って何だ。
「街にはこうしてたまに視察に行くんだ。平民の格好の方がみんなの普段の姿が見えるから」
「そうなんだ」
そう言うことか、と納得した。近くは大きな街だから人の出入りも多いだろうし、顔も覚えられづらいだろう。
「さ、行こう?」
そう言って彼は手を差し出した。私が照れ気味に手を取ると、彼は私の歩調に合わせて街に向かってくれた。
街に出て最初に向かったのは、小さなサンドイッチのお店だった。何人かの人が対面販売の列に並んでいて、人気のお店なんだとすぐに理解する。
「…意外」
列に並んですぐ私はそう呟いた。
てっきりデートなんて言うから、高くておしゃれなカフェにでも連れてかれると思った。
「そうかい?」
彼はそう言われるのは予想がついていたと言わんばかりの顔で言う。
「ここのバゲットサンドにジンジャーエールを合わせるとうまいんだ」
嬉しそうな顔でそう言う彼と共に、列を進んでいく。
「そうなの?」
「特に生ハムとチーズのやつが最高だね」
「そうなんだ」
彼の言い振りは、何度か来たことがあるようだった。お気に入りのお店なのかもしれない。
「じゃあ、注文任せちゃっていい?」
「わかった。食べられないものは?」
「ない。けどキノコが苦手かな」
「了解、お姫様」
なぜ私を今姫扱いしたのかはわからないが、そう言って笑った顔がちょっとかっこいいのはずるいと思う。
意外と行列が進むのも早くて、すぐに私たちの順番がきた。対面のショーケースの中には、包装されたサンドイッチたちが美味しそうに並んでいる。
「生ハムとチーズのバゲットを二つ、後ジンジャーエールも二つください」
「かしこまりました〜」
彼がポケットから財布を取り出して対価を支払い、サンドイッチを受け取る。
「飲み物、受け取ってもらって良いかな?」
「あ、いいよ」
私が店員さんから飲み物を受け取ると、彼は私を誘導して小さな公園に出た。
日陰の寂れたベンチに二人で座って、間に飲み物を置く。
自分の分のサンドイッチを受け取ると、彼が言った。
「ここで食べるのが好きなんだ」
小さな公園には大した遊具もなく、ただの広い空き地のようになっていて、もうし訳程度に鉄棒が置いてあった。
でも私も好きだ、こう言う場所は。
「私も、高いお店よりずっと良い」
「それはよかった」
静かに時間が流れる公園は、段々と本格的な日差しに晒される。午前中に出てきたのに、もう日差しが強い。
「食べようか、飲み物ぬるくなるし」
「うん、そうしよ」
二人でサンドイッチの包装を外す。中にはバゲットに横から切れ込みを入れて、そこにレタスと生ハムと薄く切ったチーズが挟まったシンプルでボリュームのあるサンドイッチが入っていた。でも少し小さいかな?
「そういえば、私バゲットサンドもジンジャーエールも初めてだ」
炭酸水なら口にしたことがあるけど、味のついた炭酸飲料は初めて飲むし、バゲットサンドなんて実物を初めて見た。
屋敷じゃ当然出るものじゃないし、孤児院でも見たことがない。
「どっちも美味しいよ。大きくかぶりつくのがコツ」
そう言って彼は大口を開けてサンドイッチを頬張る。私もそれに倣って頬張った。
「!」
レタスのシャキシャキ感と、バゲットの甘さ、ハムやチーズの香りと塩気がマッチして美味しい。パンにはマヨネーズが塗ってあるのか、その香りもよく合っている。この美味しさは初めてだ。
ただ少し食べづらい。この不便な感じを食べるのが楽しいけど。
「おいしい!」
私は飲み込んだ第一声で伝えた。
こんな美味しいものを街のみんなは食べてるんだ、ちょっと羨ましい。
「それはよかった。サンドだけだと少し甘いからジンジャーエールを合わせるんだ。やってみて」
そう言われてジンジャーエールを一口含む。
「!!」
強めの炭酸の刺激があって、生姜の香りがしっかりする、少しだけ甘くて口の中の油分が一緒に飲み込まれる感じがして、口の中がさっぱりする。
「これもおいしい!」
すごい、今日は発見がいっぱいだ。
これは楽しい。
「嬉しそうで何より。勧めた甲斐があったみたいだ。こう言うのは、街に降りないと食べられないからね」
彼は優しく微笑む。
「ありがとう、教えてくれて」
「どういたしまして」
その後は二人でサンドイッチを食べ切って、本命の服屋に向かうことになった。
それにしても。あのサンドイッチ、最初は小さいかな?って思ったけど食べたらお腹いっぱいだった。パンがもちもちでよく噛むからかな?
「服屋さんも詳しいの?」
のんびりと街道を歩きながら私は彼に訊く。
街まで視察に来てるなら、どんなお店があるとかわかるんだろうか。
「流石に女性の服はわからないかなぁ。他に恋人とか居たことないし」
「え!?そうなんですか!?」
あんなに慣れたキスをしておいて!?
驚きのあまり敬語になる。
「君が居れば良いのに作る必要無いだろう?」
舞踏会すらデビュタントしか出てないよ、と彼は確かにそう言った。
(うっそだぁ…)
キスも服脱がすのもあんなに手慣れてたじゃない。うっそだぁ。
「女遊びしてそうなのに…」
じゃなきゃ説明できない。あんなに手慣れた女の扱い。
「君は僕を何だと思ってるんだい…」
彼は呆れたように言うが、私はまだ納得してない。
「だって…服脱がすのもキスもあんなに手慣れて…それは…?」
彼に送る疑惑の視線。その言葉に彼は納得したような顔をした。
「あぁ、そんなの触ればわかるじゃないか、服の構造くらい。キスもそう、最初に抱きしめた時に君の身長を把握してたし」
「…」
予想の斜め上を行く返事に、私は素直に絶句である。
いや変態じゃないの…と。
「後は逆算するだけ。服のサンプルなんてその辺に居るし」
他の使用人をサンプルとか言うんじゃない。貴方の生活はそのサンプルが支えてるんだよ、家事的な意味で。
しかし悲しいかな、私はその回答に納得いってるしなんならちょっとよかったと思ってる。
私が初めての恋人、正直言って響きがいい。
「後は…」
「わかった、もういい!」
しかしこれ以上恋人が当たり前みたいに変態行為行ってるの聞きたくない。
「そう?君が納得するまで話せるけど」
「嫌ってぐらい納得したからもういい…」
とりあえず服屋に詳しくない理由はわかった。今はそれでいい。
ため息出そう、て言うか出てる。
眉間に皺が寄るのを感じながら、何気なく横を見る。すると、服屋のショーウィンドウが目に入った。夏をイメージした装飾と一緒に麦わら帽子に白いワンピースを身に纏ったマネキンが飾られている。
私には似合わなそう。それが最初の感想。
確かに可愛いけど、私が着るには可愛すぎる。もっと動きやすい服でいい。
「気になるの?」
フィンが私の顔を覗き込む。私はそれに首を横に降って返した。
「確かに可愛いけど…私には似合わないかな」
「…女の子って、こう言う服がみんな良いのかと思ってた」
彼は私を意外そうな顔で見る。
「私はもっと動きやすいのでいいよ。あぁいう服は汚せないし」
繊細な洋服は洗うのも大変だし、足の出る服は恥ずかしいし、似合ってなきゃそもそも意味がない。もっと可愛い女の子が着れば良い。
しかし彼は、私の手を掴んで服屋の方へ向かった。
「行こう」
「ちょ、なんで…」
「いいから」
扉を開けて店の中へ入る。入ってすぐの所にあったあのマネキンが着てたのと同じワンピースを手にとって、彼は私にそれを突き出す。
「試着してみて」
「…なんで?」
全く状況が掴めないので顔を顰める。何がどうしてそう言う思考に行き着いたのか。
「いいから、お願い」
彼が真剣な顔をするから、私は少し狼狽える。そんなに真剣は顔するとこなのだろうか。
「わ、わかった。ただ似合わなくても知らないよ」
ワンピースを受け取って試着室に入る。着ていた服を脱いで、ワンピースのかかってたハンガーにかけ直す。改めてまじまじと見てみるけど、本当に私なんかが着て良いものなのか悩んでしまう。
「…」
(ええいままよ!)
ワンピースの前ボタンに手をかけて外していく。足元から上にあげるように着て、袖を通して、ボタンを締め直す。
鏡を見ると、サイズがぴったりだ。
(えぇ…)
話した記憶もないのに服のサイズまで把握されている。
上がブラウスのように、下は膝下程の丈のフレアスカート。生地は薄いけど、スカート部分に裏地が入っていて、下着が透ける心配もない。腰の辺りに飾られた白いリボンの様に結ばれた紐が可愛らしい。
「本当に良いのかな…」
自分ではもう考えすぎて似合うとか似合わないとかわからなくなってしまったけど、他人に見せるとなるとそれはそれで良いのかやっぱり悩む。みすぼらしかったら嫌だし。
「終わったかい?」
カーテンの向こうから聞こえる声に応えるために、私は隙間から頭だけ出す。
「終わったけど…」
「じゃあ、見せてほしい」
「…みすぼらしいかもよ?」
不安だ、好きな人に見られると思うと殊更不安だ。似合ってなかったらどうしようと、考えないわけがない。
「それは僕が決めることだよ?」
「…わかった」
私は意を決してカーテンを開けた。
こんな可愛らしい感じの服は父様と母様が生きてた時以来なので、恥ずかしいったらない。
腕で何となく胸元を隠してしまう。フィンは黙って私を見てるので、落ち着かない。
「な、なんか言ってよ…」
顔から火を吹きそうだ。これ以上の沈黙は耐えられない。
「あぁ、ごめん。見惚れてて」
「!」
そんな良いものでもないと思うけど、何を思って彼はそう言ったのか。
(み、見惚れてたなんて、冗談に決まってる!)
「靴下ぬいでこっち履いてくれないかな?」
そう言われて足元に視線をやると、ワンピースと同じ白のサンダル。
「こ、これも履くの…?」
「お願い」
「うぅ…」
これ以上問答しても仕方ないので、靴下を脱いでサンダルに足を通す。
これは何て辱めだろう。
すると彼は、何故か店員さんを呼んだ。
「お呼びですか?」
お淑やかな雰囲気の女性店員さんがこちらに来る。何をしようって言うんだ。
「これ一式ください。着て帰ります」
そう言って有無を言わさずお金を渡す。
「畏まりました〜。ただいま値札切りますね〜」
「!?」
私が驚いてる間になんか話が進んでしまった。いや待って待って。
「ちょっと!何勝手に話進めてるの!?」
「? 服を買いに来たんだろう?」
「そうだけど!」
私の服なのに私の意志はどこへ行ったのだろう。
こう言う時フィンが人の話を聞かないのはどうしてなのか。
疑問でしかない。
「そもそも私お金持ってるし!」
私の働いた対価としてあるんだから、せめて自分のお金を使わせてほしい。
「僕の方が持ってるけど?」
イラッとした。昔からだけど、この人には無自覚で嫌味言う癖がある。直せと昔言ったと思うんだけどまだ直ってないらしい。
「そう言う話じゃ無いと思うの」
私が彼の胸ぐらを掴もうとした時。
「お待たせしました〜」
店員さんがハサミを持ってやってきた。流石に大人しくする。店員さんは慣れた手つきで私の着ているワンピースとサンダルの値札を切ってくれた。
「着ていたお洋服は袋にお入れしますね〜」
「ありがとうございます…」
「お願いします。あとそこのブラウスを二枚と、あっちのスカート、最後に会計前にある黒いワンピースも一緒にください。サイズはMで。現金で払います」
「ちょ、ちょっと!」
だからそうぽんぽん買うなと言ってるのに!
全く理解していない。私の話し方が悪いの!?
「畏まりました〜。こちらは袋にお入れしちゃって良いですか?」
「大丈夫です。全部値札切ってください」
また問答無用でお金を渡す。
店員さんはそれを受け取って、言われた服を取りに行った。
「何してんの!?」
私は思いっきりフィンの胸ぐらを掴んだ。
貴族の金銭感覚ってどうなってるの!?
急にこういうことするし!
「何って…服を贈ってるけど」
「そうだね…じゃなくて!」
彼は私が怒ってるのを気にも留めていない。まるでわかっていたかのように。
「私の意志は!?」
「だって君に任せたらこういう店の服着ないだろ?」
「そうよ!?」
その通り、その通りなんだけど。
て言うか解ってるなら買う意味とは。
「その着てるワンピースがこんなに似合ってるのに、他も着なかったら勿体無いと思って」
「な…!」
顔が赤くなるのを感じる。口は感情の行き場を失ってはくはくとするばかり、手の力も抜けてしまった。
胸ぐらを解放された彼が、首元を軽く正す。
店員さんから大きな紙袋を受け取ると、固まる私の手を引いて店を出た。
「人多いからそろそろ戻ってきて」
そう言って彼は私の顔を覗き込み、目の前でひらひらと手を振る。
「あ…貴方のせいなんだけど」
はくはくとしていた口を頑張って動かして言う。そしてまだ赤い頬を両手で挟む。早く冷めろ。
「何で僕のせいなんだい?当たり前のこと言っただけじゃないか」
「そういうとこ!!!!!」
(そう言うとこが良くない!)
何も解ってない顔して私を弄ばないでほしい。
好きな人におめかしした姿を“似合ってる”って言われて舞い上がらない女子とか早々居ないから!
どこも当たり前じゃないから!
「アニーは何着ても似合うと思ってたんだ。買えて良かった」
手に持った紙袋を軽く持ち上げながら、彼は嬉しそうに微笑んだ。
さらに心臓がうるさくなるのを何とかしたい。顔の赤みが引くどころか、ますます血流が良くなる感じがする。
「じゃ、次行こうか」
そう言って彼は私の手を引く。
(今更だけど、さっき初めて手繋いだ気がするのだけど…)
キスの時といい、もうちょっと情緒が欲しい。私のわがままだろうか。
「次って何…」
悲しみと呆れのあまり私は流れに身を任せることにした。もう好きにして。
その後は散々着せ替え人形にされては、彼の気に入った服を勝手に買われるのを三件繰り返した。なんなら銀細工の店にも行った。
フィンは増えていく荷物を大変嬉しそうに持っているが、買ってる服の量が最早屋根裏部屋のチェストの域を超えている。あそこには使用人服や下着も入ってるって言うのに、どこに入れろって言うんだろう。
(ていうか人の荷物を喜んで持ってる上級貴族って、なんだろ…)
しかも全部向こうの財布である。申し訳なく思うべきなのか、もうほっとくべきなのかさえわからない。
「アニー、大丈夫かい?」
心配そうに貴方は私を見てるけど、私の心労は貴方のせいで生まれてるのよ。
「大丈夫…大丈夫よ」
振り回されてる感は否めないけど。
「…少し疲れたんじゃないかい?休憩にしようか」
そういう所だけ鋭いの、なんでなの…。いやありがたいけど。疲れた頭は確かにそう感じた。
正直、屋敷にいた時は洋服屋の方がうちに来てたし、孤児院に入ってからは洋服なんて共用で選べるものでもなかったし、今みたいに賃金ももらってなかったので服屋なんて自力で行ったことがない。
慣れない場所は疲れるし、下手に悩んで時間がかかるよりは選んでもらった方が助かるけど、ここまで振り回されるとも思ってなかった。
端的に言えば疲れている。確かに休めるなら休みたい。
「こっちきて、すぐだから」
そう言う彼の後ろを追いかけて、人の多い街道を抜ける。
「すまなかった。君の買い物なのに僕の方がはしゃいでしまったね」
歩きながら彼は私を見る。
「いいのよ、楽しかったのは事実だし。初めてのものを見たり食べたりできたのは嬉しかった」
私は彼の右側を歩くのが好きだ。髪に隠れていない横顔がよく見える。
バケットサンドとジンジャーエールは美味しかったし、可愛い服を似合うって言ってくれて嬉しかった。服を買ってくれるのだって彼なりの厚意なのは解ってるつもり。
彼に悪気がない分確かに振り回されたけど、初めてのデートとしては悪い思い出じゃない。
「もうちょっとムードとか考えてくれれば、完璧なのになぁ…」
彼に気付かれない様に小さく呟く。
その辺はおいおい考えよう。一人の問題じゃないし。
それにしても、私はずっと彼の顔が良いと思ってたけど、もしかして気付いてなかっただけで、ずっと好きだからそう見えてただけなのかな…などと、彼の横顔をチラリと見て思う。鼻筋や眉は整ってるし、地味にうっすら二重で肌も綺麗だし、唇も厚ぼったくない、垂れてはいるけど切長の目元とか、素材はいいと思うんだけどな。
だけど少なくとも、噂話をする他の使用人達からそう言う話は聞かないので、なんか変だなと考えたんだけど…実際はどうなんだろう。
確かにどっちでも良いような話なんだけど、何だか私の趣味が特殊なのかと無性に気になってしまい…。
悶々と悩みながら歩いていると、目の前のフィンが足を止めた。
「着いたよ」
そこは落ち着いた雰囲気と、整えられた森林に包まれた隠れ家的な料理店。周りに人は感じなくて、まるで私たちだけ知らない場所に迷い込んだかのよう。
「ここは…?」
正直、近くに看板があったから料理店って判ったけど、それも無かったら小さなお屋敷にしか見えない。
「母上が経営してる店の一つ。完全予約制だけど、僕なら顔が効くから」
そう言って彼は建物の方へと進んでいく。私もそれに少し遅れて歩き出す。
「少し待ってて」
建物の前まで辿り着くと、彼はそう言って扉の向こうに消えていった。あの量の荷物を持ったままで。申し訳ないけどシュールな絵面だ。
次に彼が扉から顔を出すと、私も中に入るように招かれる。
中に入ると、丁寧な仕立ての燕尾服を着た若い男性が、右手を胸に当ててお辞儀をしていた。ここの従業員だろう。
「ようこそお越しくださいました」
平然としてるフィンに対して、私はこんなお店一人で来たことないので緊張する。
内装は落ち着いたワインレッドの壁紙に、淡くて温かな雰囲気の照明で少し暗い。
二階に上がる大きな螺旋階段があって、美しく整えられたテーブル達。いかにも高そうなお店だ。
「個室をご用意させて頂きましたので、ご案内いたします」
「頼むよ」
従業員の人に二人で付いていくと、二階に上がって少し奥に行った所の扉を開けた。
「不死鳥の間でございます。ごゆるりとお過ごしください。何かあればベルを鳴らしていただければご対応させて頂きます」
そう残して従業員の人は一礼の後去っていった。
開かれた扉から中を覗いただけで、ただ料理を頂くだけの空間でないことがわかる。
(ひぇ…)
流石に個室なんて経験がない。
(私場違いにも程がある…)
内心震えている。足もめちゃくちゃすくんでいる。どう考えたってメイド風情が客として来るところではない。
「さ、入ろう」
震える私のことを解ってるのかそうでないのか、彼は私に手を差し伸べてくれた。私はそれをとって中に進んでいく。
「わぁ…」
中はやっぱり、というか、ただテーブルと椅子が有って終わりって感じではない。
大きな窓の側に置かれてるのは美しく整えられたテーブルと二つの椅子。少し離れた所にはローテーブルと高級そうな皮のソファ、ローテーブルの上には磨かれた金属の容器に、氷と一緒に入れられた高そうなシャンパンと鏡のように磨かれたグラス、高そうな装飾品の剣が飾られ、蓄音機からは雰囲気のいい音楽が流れ…人が一人満足に住めそうなほど広いその部屋は、正しく最高級と言っていいと思う。
これは紛れもなく高いお部屋だ…その中でもこの部屋はきっと一番高い気がする。
なにこれお金の暴力怖すぎる。そもそも一階もそうだけど、絶対ドレスコードがあるお店だこれ…そう考えると気が遠くなりそうだ。
「一先ず座ろう。ソファにする?」
「任せる…」
被っていた帽子を外しながら彼は私に問う。私はと言えば、この高級を固めたような空間に呆気に取られてしまい、正直言って考えるどころではない。
(いきなり出来事のカロリー高くなりすぎじゃない?胃もたれ起こしそう)
「じゃあソファに行こうか、疲れてるだろうし」
そう言って彼は私の手を引いたままソファに向かう。私を先に座らせると、彼も隣にそっと腰掛けた。癖なのか、ソファにいる彼は足を組んでいることが多い。
この光景が当たり前と言わんばかりのんフィンに、改めて私は住む世界が違うと感じた。
「すごいね…なんかその、これだけの部屋にも慣れてるっていうか」
私は恥ずかしいほど動揺しっぱなしである。
しかし彼は私の言葉に少しの間だけ、理解できないような顔をした。その後で、くつくつと笑い始める。
「な、なによ。馬鹿にしてんの?」
私が怒ると、彼は腹を抱えて私を見た。
「いや、馬鹿にしてるんじゃなくて…君と僕が本当に結婚できたら、これが当たり前になるのに、君ったら他人事みたいに言うじゃないか」
「!」
「本当に現実味が無いんだなって思ったら、可愛くて」
そんなこと、考えてもみなかった。
確かに人生結婚したらそこで終わりじゃない。私自身貴族に復帰したとしたら、覚えないといけない事も、慣れないといけない場所も、きっとたくさん出てくる。そう考えたら、確かに他人事では居られないけど。
「やっぱり馬鹿にしてる!」
かといって、“可愛い”は、馬鹿にしてると思う。フィンも大概他人事じゃないか。
私が怒るとフィンは軽い調子で謝った。本当に反省してるのかあやしい。
「シャンパンは飲んだことある?」
「無いよ、お酒でしょ?」
私の返事に、彼は「まあね」と言いつつシャンパンの封を開けた。
私は少し前に十八になったばかりである。お酒を飲む機会もない。
破裂するような音を立てて瓶の封が開くと、磨かれたグラスに注ぎ始める。炭酸特有の弾けるような音を立てながら、グラスの中で淡い黄金の液体が揺れる。
「飲んでみる?」
シャンパンが注がれたグラスは二つ。その片方を、彼は私に差し出した。私はそれを恐る恐る受け取る。確かに年齢的には飲めるし。
「お酒なんて初めて」
グラスの中で揺れるその煌めきは、まるで綺麗な劇薬のようだ。飲んだらすぐ酔ってしまうかもしれないし、そうなったら私は自分がどうなるのかもわからない。
新聞にはよく、酒に酔った際の暴行事件が載っていた。そうなるのは避けたい。
「大丈夫、そんなに酔ったりするようなものじゃないから。空気を楽しめばいい」
「…貴方がそう言うなら」
やっぱりどこか怖くて、ほんの少しだけ口に含む。
「!」
強めの炭酸と爽やかな風味が鼻に抜ける。後味の独特な香りが、アルコールの香りだろうか。
「…美味しい」
横を見ると、彼はグラスを揺らしながら慣れた様子で楽しんでいた。案外お酒好きなのかもしれない。
「つまめるものでも頼もうか。その方が飲みやすい」
「そうなの?」
「お酒は単体で楽しむだけが全部じゃ無いから」
「ふぅん…」
彼がベルを鳴らす。するとすぐ従業員の人がきて、何やら話している。私はついもう一口…とちびちびお酒を飲んで楽しんでいた。
少し待つと、何やら料理が部屋に運ばれてくる。
「クロミエ領産のモッツァレラを使用したカプレーゼと、ホエー領産の豚を使ったソーセージのグリルでございます」
良く磨かれた白い皿に盛られた美しい料理達に私は感嘆とする。
さすが高級料理店というか…お屋敷で出る夫人用の料理のようだ。
「ありがとう」
フィンがそう言うと、従業員の人が頭を下げて部屋を去る。
「お好きにどうぞ?」
そう言って彼は私にフォークの柄を差し出す。それを受け取って、私はカプレーゼに手を出した。
赤と白と、添えられたソースの緑が美しい一皿。トマトとチーズを一緒にフォークで刺して、口に運ぶ。
「!!!!」
フレッシュなトマトが口の中で弾ける。酸味が広がって、後を追うようにモッツァレラのまろやかなミルク感が酸味を程よく和らげて、最後にソースのバジルが後味を爽やかにしてくれる。
なんて美味しいんだろう。貴族ってこんないいもの食べてるのか…。
「そのままシャンパンで流してごらん」
飲み込んでからシャンパンで喉を流す。炭酸が弾ける気持ちよさと、白葡萄の爽やかな香りが鼻を抜け、アルコールの尖りがまろやかに感じる。
「あぁ、これおいしい!」
「だろう?」
もっとシャンパンを飲みたくなる。美味しい料理は、お酒を華やかにしてくれるものなんだなぁ。
お酒が進むって、こういうことを言うのかな、なんて私は月並みなことを考えながら、もう一口に手を伸ばした。
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