#2

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 小鳥達が囀る朝、自分の耳にコツコツと靴の音が響く。

 黒髪のポニーテールが小さく揺れる中、小さな鞄を携えて私はあるお屋敷に向かっている。

 屋敷の主人はハボック・スペンサー公爵。レンネット王国の剣術指南役として従事する由緒正しい貴族であり、国の中では二番目に広い中規模領地であるホエー領を同時に治める。家族は妻と息子。

 私はそのスペンサー家が運営する孤児院出身で、今日からスペンサー家のメイド見習いになる小娘。

 スペンサー家は、使用人を自らが運営する孤児院の子供から取る風変わりな家で知られている。

 子供達は、成人する十八歳で孤児院を出なければならない。そこでスペンサー家は、孤児院を出る者達を集めて使用人として一定期間使うことで人件費を浮かせつつ子供達が社会に出る手助けをしている。

 もちろん孤児院も屋敷もホエー領の中にあるけど、比較的街中にある屋敷から孤児院は離れたところにある。当然そこまでの馬車を雇うお金もないので、歩いていかなくてはならない。

 のどかで牧歌的な景色を超えて、石畳に整地された中心地に足を踏み入れる。

 渡された地図を頼りに、馬車や馬に気をつけながら通りを抜けると、大きな門が視界を埋める。

 半分開けられた門の向こうには、綺麗に整えられた庭で花々が生き生きと咲いていた。

「…」

 少しだけど、中に入るのに物怖じする。

 綺麗に整えられた庭は苦手だ。

 しかし怖がっていても始まらない、一度深く息を吸って、吐く、それから門の中へ足を踏み入れた。

 整えられた生垣、水の絶えない噴水、緑の鮮やかな木々達、色とりどりに春を告げる花々。ここの庭師はとても腕が良いんだろうな…と、ぼうっと歩きながら見渡す視界で考える。

 庭を抜けると、赤いレンガで作られた大きな屋敷が見える。私がいた孤児院よりも大きい、三階建ての建物には数えるのが大変なほどの窓が見えた。

 建物の一番下、庭に正面から続く両開きの大きな扉…ではなく、その少し左にある小さな扉にノックをする。

 正面の扉は来客や主人、その家族が使うもの。私は使用人になる身分なので使うことはできない。

 呼びかけても答えの来ない扉に何度かノックを繰り返すと、パタパタと忙しそうな足音と共に扉は開いた。

「はいはいどなた様?」

 扉を開けたのは、私より少し年上に見えるメイドだった。明るそうな目元、結い上げた髪はキャップに仕舞い、至って普通のメイドに見える。髪色以外は。

 彼女の髪は白髪とも違う…そう銀のように、色素は感じないのに根本や毛先に影を感じる。

 勝手な印象だけど、おそらく彼女は孤児だろう。

 孤児なんて、何かしら事情を抱えていてもおかしくはない。あえて聞いたり大袈裟に驚いたりしても無意味なのでそのまま接する。

 こんな髪の色の子が孤児院にいたら気づきそうなものだけれど、印象が無いのはどうしてだろう。

「本日よりお世話になります、アニーです」

 そう告げると、目の前の彼女は少し考えるような仕草を取った。

「アニー、アニー…あ、思い出した!」

 閃いたと言わんばかりに両掌を合わせると、彼女は改めて私を見る。

「あなたが新人の子ね!中に入って」

 誘われるがままに扉の向こうへ足を踏み入れる。

 中は庭を掃除するための箒などが雑多に壁にかけられた小部屋のようだった。奥にまた扉が見える。

「こっちよ。まずは家政婦長のマデリンさんのところに案内するわ」

「ありがとうございます」

「私はアリア。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 奥の扉を開けると、本で見るようなカーペットの轢かれた廊下に出る。慣れた足どりで屋敷の中を歩くアリアについていくと、何か調理をしているのか、良い香りがしてきた。

 やがてたどり着いたドアを彼女が開けると、そこは使用人達の食堂のようだった。レンガを壁にした空間に、長い机をベンチのような椅子で挟んだ席が四つほど並んでいる。厨房が近いのか、廊下にいた時よりも濃い香りが漂ってきた。

 食堂の奥で、一つの机を囲む三人の男女が見える。

 アリアはそれを確認すると、私に入り口で待つように言って男女の元へ向かった。私がその言葉に頷いて様子を伺っていると、アリアが三人に何か話しているのが見える。

 短いやりとりの後、アリアの手招きで私を呼んだ。

(良いのだろうか…何やら話し合いをしていた所に入り込んだりして)

 しかし呼ばれたからには良いのだろう、私は疑問の気持ちが少し残ったような、そんな緊張した気持ちで四人の元に向かった。

「紹介するわね。家政婦長のマデリンさんと執事のルークさん、シェフのエリオットさんよ」

 マデリンと呼ばれた人はふくよかな女性で、アリアの黒とは違う紺色のメイド服を着ている。

 ルークと呼ばれた人は初老を感じさせる男性で、細身の燕尾服を身に纏っている。

 エリオットと呼ばれた人は見たままシェフの服装の三十代くらいの男性だけど、やたらガタイがいいように見えた。

 どの人もここでは管理や指揮を執る立場だ。私はさっきとは違った緊張感に包まれる。

「き、今日からお世話になります。アニーです、よろしくお願いします」

 私が挨拶をすると、アリアがそんなに緊張しなくても大丈夫よ、と背中を軽くさすってくれた。

「アリアの言う通りだよ。そんなに緊張しなくても、取って食ったりはしないさね」

「ほほほ、マデリンさんの言う通りです。楽にしてください」

「そんなに肩に力入れてたら、緊張で倒れちまうぜ」

 三人は朗らかに笑って受け入れてくれた。私はその空気に安心して、少し肩の力が抜けるのを感じる。

「ありがとうございます」

 自分で思うより緊張してたのか、普段は出ないようなへらりとした笑いが小さく溢れ、何か肩の荷が降りたような気分になった。

「私たちはメイドだから、主にマデリンさんの指示に従って動くよ」

「わかりました」

「あたしゃ厳しいよ。しっかりついてきな!」

「は、はい!」

 マデリンさんの言葉に、背筋の正された思いになる。

「アリア、あんた暇だったら坊ちゃんにお伺いを立ててきてくれないかい?新人と会わせておきたい」

「わかりました」

 マデリンさんの言葉にアリアは頷いて食堂を出る。するとマデリンさんが立ち上がってルークさんに声をかける。

「夕食の配膳にはシトリとナイアを向かわせる、あたしから伝えておくから後は頼んだよ」

「わかりました。いつもの時間にここに来るよう伝えてください」

「了解さね」

 ルークさんとの短いやりとりを終えると、マデリンさんは私を見た。

「さて、アニーはあたしと来な」

「わ、わかりました」

 マデリンさんは気のいい人のようだけど、時折迫力がある。それに気圧されながら彼女について食堂を出ると、彼女は屋敷の三階へ向かった。

「この屋敷も使ってない部屋が多くてね。使いづらい部屋はいくつか物置になってるのさ」

 そう言いながらマデリンさんは三階右側の一番奥の部屋のドアを開けた。

 まだ日も高いと言うのに、薄暗い部屋の中にはいくつも箱が積まれていて所々布のようなものが見える。

「ここは使用人用の衣装部屋さ。あんたみたいな孤児院から来た使用人の服はここからみんな選んでる」

「いいんですか?」

 なるほど、箱の所々から見える布は服を探して漁った痕跡という事なのか。

「むしろ孤児院から来た子達は自分の物が無いだろう?ここで揃えてもらわないと困るのさ」

 確かに孤児院では玩具、食器や服はおろか下着さえ共用だ。基本的に孤児院に来る以前から持っていたような物でも無い限り、個人の物は存在しない。今着てる服だって元はその一枚だ。

 しかし他のお屋敷ではこうは行かないかもしれない。まず孤児院を出たような人間をただでを雇ってくれる様な場所も少ないけど、彼女の言い分から考えると、下着も個人の物を用意できると言うことに聞こえる。

「下着もですか?」

「そうだよ。但し自分のものは各自で洗うこと」

 マデリンさんがそう言って優しく微笑む。

 私はその言葉に嬉しくなったのと同時に、自分の下着なんていつぶりだろうと考えた。

「さ、わかったらサイズの合うドレスとエプロン、ブラウス、取り外しの効くカフス、キャップ、靴下とあと下着を三つずつ探しておいで」

「わかりました」

「着替えの仕方はわかるかい?わからないなら誰か声をかけておくよ」

「お願いしていいですか?」

 見ればわかる服だとは思うけど万が一があったら良くない。

「わかった、さっき案内したのはアリアだったね。アリアに声をかけておくから、あの子が来るまでに着替えを探しておきな」

「わかりました」

「じゃあまたね。着替えた後のことはアリアに聞きな」

「はい」

 マデリンさんは忙しそうに部屋を去っていった。

 とりあえず部屋に灯りがないか確認して、スイッチを押してからドアを閉める。

「えっと…」

 探さないといけないものはいくつかあれど、まずは何を探すか。

 部屋を見回して、部屋中に積まれて散らばった箱の中から探してるものが集まってそうな場所を探す。

 部屋の奥の方にブラウスやエプロンが飛び出している箱を見つけた。恐らくあの辺りだろう。

 部屋の奥まで歩いて箱の中身を見る。方やエプロンが、方やブラウスが入った箱がそのまま見つかった。この辺の箱をいくつか漁れば見つかりそうだ。

「まずエプロン…いやドレスからか」

 エプロン、ドレス、ブラウス、カフス、キャップ、靴下、下着を三つずつだったな…順番忘れちゃったけど。

 あちこち積まれた箱を漁ってはおろし、漁ってはおろし、まずはドレスを探す。

「あ、あった!」

 乱雑に置かれた箱の中には入っておらず、一瞬困惑しつつ横を見ると、丁寧にハンガー掛けされたドレスを見つけた。一枚取って体に当ててみる。

 …袖が余る。これではないようだ。

 いくつか当ててみてサイズの合うものを見つけた。カフスとキャップは恐らくサイズというものがそもそもないとして、他は同じことの繰り返しだ。

 

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