彼女が俺に惚れている①



 茜色に空が染まる夕暮れ。

 法月のせいで昼食を食べ損ねたことがひびき、腹がぐうぐうとなっているがそんなことはお構いなしに放課後の校内を歩く。

 目指す場所はたった一つ、ミステリ同好会の部室だ。

 むしろ俺が行くところなど二年A組の教室以外にはそこくらいしかない。

 あれほど積極的にコンタクトをはかってきた法月が、俺に惚れていないことはすでに確定した。 

 自宅に招かれたのも、俺に好意ある素振りを見せたのも全ては演技で、それは俺と付き合っていると勘違いした西尾の気を引きたいというのが理由だったという。

 俺からすればいい迷惑でしかないが、いまやそんなことは些細な問題に過ぎない

 もっと重大な問題がある。

 それはこれでついに、数学の補講中を一緒に受けていた三人が、全員俺に手紙を渡した人物ではないと明らかになったことだ。


 もちろん誰かが嘘を吐いている可能性もなくはないが、あまり期待はできないだろう。

 なぜならラブレターというのは元々、想いを伝えるためのものだ。

 出してない振りをする意味がわからない。

 たしかにこの告白がただの自己満足で、返事を求めていないことだって考え得る。

 しかし実際に有栖川アスミ、西尾響、法月知恵の三人に会って話したが、そのような雰囲気の人物はたったの一人もいなかった。


 まず有栖川はそんな器用な真似ができる人間ではない。

 演技していたという線もあるが、彼女に関しては俺より遥かに洞察力に優れる守屋と一緒に会っている。

 あいつでも見抜けない演技をするのは難しい。


 次に西尾だが、こいつは論外だ。

 案外単純な性格をしているし、何より彼氏持ち。

 もう一度言う。論外だ。


 最後に法月になるが、彼女が告白などしていないと演技をしたとするのも不自然に思える。

 彼女に関しては中々の演技力は持っているようなので、その気になれば俺を騙せるだろうが、手紙に関しては本当に知らないように思える。

 おそらく彼女はただの熱心な西尾ファンだろう。

 

 つまりはお手上げ。

 全面的に降参というわけだ。

 このラブレターを誰が届けたのか、どうやって届けたのか、なぜ届けたのか。

 フーダニット、ハウダニット、ワイダニット。

 数ある謎の内たったの一つも解けていない。

 こうなればもう、あとは守屋に頼むしか残された道はなかった。

 今回はそれなりに手こずっているようだが、そろそろ何らかの光明を導き出しているに違いない。


「むしろもうお前だけが頼りなんだ……頼むぞチャチャ」


 閑古鳥が鳴きそうな部室棟の廊下を進んでいき、奥に突き当たればそこがミステリ同好会の部室だ。

 表札の文字は何度見ても笑えるくらい下手糞で、今度文字だけは無駄に上手い俺が書き直してやろうと思った。

 相変わらず灯りのついていないその部屋の中に、俺はろくにノックもせず入っていく。


「入るぞ、チャチャ」


 澱んだ空気をしばらく抜いた後、俺は扉を閉めいつものように灯りのスイッチを押す。

 本に塗れた部室の奥では、守屋が赤古の本を片手に椅子に座っていた。

 癖のない黒髪の向こう側で瞬きされる瞳こちらに向けられておらず、モノクロの文字の羅列に注がれたままだ。


「……やあやあ、シャーロッくん。どうしたんだい? ずいぶんと疲れた顔をしているけれど」


「大変なことになったんだ、チャチャ」


「へえ? たしか昨日は法月に会いに行ったんだよね。まさか本当に告白でもされたのかい?」


「いや、法月は俺に惚れていなかった」


「ふーん。そっか。それで? 大変なことって?」


「今言ったことだ。法月が俺に惚れていなかったことを大変だと言っている」


「はあはあ。なるほどね」


 この前会った時よりはだいぶ元気になったようだが、どこか守屋の様子がおかしかった。

 むろん、元々守屋には他人と変わったところがある。

 しかしそうではなく、何というべきか、そう、何かふて腐れているような、自嘲しているような、そんな印象を受けるのだ。


「どうしたんだ、チャチャ? あまり機嫌が良くなさそうだが?」


「そうかい? 僕にはそんなつもりはないけれど」


 そっけなくそう言う守屋は、いまだに本を読み続けていて、俺の方へ目を向けようとはしない。

 思えば、今日の守屋は考え事をしている時のように上の空でもなかった。

 ということは手紙の件に関して何かしら答えが出たのかもしれない。

 もっとも、それがなぜ彼女の不機嫌に繋がるのかはわからないが。


「それでチャチャ、どう思う?」


「何がだい、シャーロッくん?」


「決まってるだろう。俺に渡されたラブレターのことだ」


「ああ、そのことか。さあてね。僕には皆目見当もつかないよ。誰が君に手紙を渡したのかさっぱりだ」


「なんだって?」


 いざ最後の希望である守屋に意見を訊いてみれば、そっけないを通り越して投げやりな答えが返ってくる。

 まさかの白旗宣言。

 あの守屋でさえ思考を停止させ、推理を放棄してしまっていた。


「本気で言っているのか? お前が答えを出せないまま考えるのやめるなんて信じられない。なあ、チャチャ? 本当は誰が犯人なのかわかったんじゃないのか?」


「いいや。僕に答えは出せない。だいたい僕は助手だ。事件を解決する探偵は君の方だろう?」


 いつも椅子にふんぞり返ってああだこうだと探偵役よろしく推理を展開させているくせに、都合の良い時だけ助手役を主張してくる。

 どうやら本気で守屋は推理を諦めてしまったらしい。 

 だがこうもいきなり態度が急変するとは、いったい何があったのだろう。


「なあ、頼むよ。そうヘソを曲げないでくれチャチャ。俺はもうお前しか頼れないんだ」


「そう言われてもね。わからないものはわからない。どうしようもないよ」


 守屋のご立腹はいっこうに収まる気配がない。

 これはいよいよ俺は追い詰められてきた。

 やはり俺如きでは春を掴めないのだろうか。

 ラブレターを受け取ったのに、結局その差出人すらわからないまま終わってしまうのか。


「そういえばチャチャ、お前は有栖川を疑っていたんだよな? 答えは出たのか?」


「……ああ、有栖川ね。彼女は君に惚れていないよ。少なくとも、今は」


「今は? その言い方だとまるで——」


「おそらく君の考えている通りだよ。なに。簡単なことさ。中学時代から“去年まで”はたしかに有栖川アスミは君に好意を持っていて、そして“今は”その好意がなくなってしまっただけ。恥ずかしいね。こんな単純な可能性を見落としていたなんて」


「そんな! 有栖川が俺に惚れていたこと自体は事実だったのか!?」


 さらりと明かされる衝撃の事実。

 なんと有栖川はかつては俺に惚れていたという。

 ではあの手紙もやはり有栖川からのものだったのだろうか。


「なら手紙は? 有栖川じゃないのか?」


「いいや、それは違うよ。実は昨日、君が法月に会いに行った後、僕も有栖川に会いに行ったんだ。どうしてもやっぱり彼女が君に惚れているとしか考えられなかったから、確かめに行ったのさ。今の話も、本人に直接訊いたことだよ……もっとも、僕の推理は肝心なところで大間違いで、僕の考えたことは全て無駄だったみたいだけどね」


 守屋は面白くなさそうに笑う。

 有栖川にやたらと拘っていた守屋は、俺の知らない間にまた会いに行っていたらしい。

 やたらと有栖川に対しては行動的だ。

 しかし実際、半分ほどは正解だったので、さすがというところだろう。

 それにしても有栖川が俺に惚れていたなんて。

 嬉し過ぎて顔がにやけてくる。

 ただその分、なぜ俺から興味を失ってしまったのかが気になった。


「まさかあの有栖川がなぁ……だが結局手紙の届け主はわからないままか。本当に有栖川ではないのか? ほら、また惚れ直したとか」


「ないね。僕の話が信じられないなら、本人に直接訊いてみればいい」


「い、いや、信じられないとは言わないが」


 どうやら守屋の機嫌がやたらと悪いのは、二度も推理を外してしまったからのようだ。

 しかもまったく同じ推理を連続で。

 これは自分の頭脳に自信を持つ守屋が拗ねるのも無理はない。


「しかし、そうなると本当にいったい誰が俺に手紙を渡したんだ?」


「……シャーロッくん。他に君に手紙を渡せた、あるいは渡す可能性のある人物はいないのかい?」


 そしてここでやっと本を閉じた守屋が、澄んだ瞳で俺に問い掛けてくる。

 他に俺に手紙を渡せた人物?

 それはつまり、有栖川、西尾、法月以外に、という意味だろうか。


 俺は考えてみる。


 部外者の犯行だとすれば、どんな方法、容疑者が思い浮かぶのか。

 部屋の外から俺の席を把握し、トイレに向かう正確なタイミングを掴む方法。

 俺と最低限の面識がある人物。


「……本当は君の傍に、手紙を渡せた人物がいたんじゃないかい?」


 守屋が静かな声で語りかけてくる。

 俺の傍に?

 彼女は何を言っているのだろう。部外者ならば、俺の傍にいるわけはない——、


「はっ! まさかっ!?」


 ——轟音鳴り響き、雷が脳天を直撃したかのようなフラッシュ。

 刹那の間、白に埋め尽くされた俺の脳内に色が戻ると、同時に“四人目”の容疑者が湧き上がる。


 なんということだ。

 なんということだ!


 なぜもっと早くに気づかなかった。

 いや、気づいてはいた。

 気づいてはいたが、その存在があまりに自然過ぎて、意識できていなかったのだ。

 たった一人だけいた。

 俺に手紙を、想いを伝えることができた人物が、あの教室の中に。


「犯人がわかったのかい? シャーロッくん?」


 どこか期待するような、守屋の声がやけに遠くに聞こえる。

 周囲の目を掻い潜る方法。

 そんなものは考える必要すらなかった。


 “彼女”なら、堂々と俺の席に近づくことができたのだ。


 誰の目も気にせずに。

 俺は期待と憂いに潤んだ守屋の瞳を見つめ返し、はっきりと宣言する。

 予想外過ぎる俺に惚れている人物の名を、俺は自信をもって言葉に変えた。



「……先生だ。先生なら、あの十分の間に俺の机に手紙を届けることができた」



 綾辻涼子。

 我らが二年A組の担任であり、俺にとっては一年生の頃から世話になっている、三十代独身の女教師。

 間違いない。

 他にはもうありえない。


 彼女センセイが俺に惚れている。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る