やはり彼女が俺に惚れているのだろうか④



 二十四時間前の雨を忘れてしまったかのように澄み渡る快晴の下、鳩が真顔で街を散歩する様を眺めながら、俺は一人の少女がやってくるのを待っている。

 時刻は正午五分前。

 予定通りならばもうしばらくすれば姿を現すだろう。


『明日の待ち合わせ場所は駅前で、時間は正午きっかり。遅刻したらぶっとばす』


 初めての邂逅に、初めての会話に、初めての食事。

 俺はつい昨日のことなのに、まるで夢か幻かのようにフワフワとした記憶を辿る。

 昼休みにむりやり外出に付き合わされた昨日と同様に、今回もまたなぜ土曜日の昼間に呼び出されたのかはわからない。 

 スマホ自体は持っているが、連絡先は教えて貰っていないので詳細を尋ねることもできなかった。

 意味もなくスマホを見る。

 約束の時間まであと一分。

 そもそも駅前という表現も中々に曖昧だ。

 駅前で待ち合わせ場所といえばここだろう、と勝手に見当をつけしまったが、彼女とこれが共通認識になっているかどうかは怪しいところだ。

 そう考えるとこんなところでぼうっと立っていていいのか不安になってきた。

 待ち合わせ場所が違う場所だったらどうしよう。もしやすでに彼女を待たせているのではないか?

 そうだとしたら大変なことだ。

 ぶっ飛ばされるくらいで許してもらえるといいが。


「おう、ちゃんと時間通り来てるじゃねぇか、島田」


 そんな風に軽い腹痛を覚え始めていると、ふいに声がかけられる。

 俯かせていた顔をあげてみれば、そこには見覚えのない美少女がそこにいた。

 西欧の王女かと見紛うような気品溢れるブロンドの長髪。

 深紺のシャツに黒スキニーのみというシンプルかつボディバランスの良さを最も主張するシックな服装。

 陶磁器かと思うほどきめ細やかな肌は仄かに桃づいていて、鼻筋の通った顔からは神によって計算し尽くされた可憐さが窺える。

 芸能事務所に所属しているモデルか何かだろう。

 同い年ぐらいに見えるが、こういった芸能界に関係した人物は大人びてみえるので、意外に年下かもしれない。


「あの? どちら様でしょうか?」


「なんだお前? 寝ぼけてんのか? あたしだよ。昨日お前と一緒にモスバに行った西尾。だいたい待ち合わせしてんだから分かるだろ」


「は? 西尾? 西尾ってあの西尾? 俺に今日の正午、駅前に来いって言った、あの西尾?」


「だからそうだっつってんだろ。お前、あたしを待ってたんじゃねぇのかよ?」


「本当にその西尾なのか? あのサンコーでも不良として悪名高い、孤高の一匹狼西尾響なのか?」


「あ? 誰が不良だコラ? あとその孤高の一匹狼とかいうクソダセェ呼び名やめろ」


 信じられない。

 いきなり見知らぬ美人さんに話しかけられたと思ったら、なんと彼女こそが俺の待ち人である西尾響だった。

 たしかによく見れば、片耳には西尾が付けていたピアスがぶら下がっている。

 顔もマジマジと改めて眺めてみれば、それは間違いなく西尾のものだった。

 ただ化粧の仕方でも変えたのか、いつもより若干優しげな感じで、しかも明らかに可愛いレベルが上がっている。

 まさか普段学校に来ている時は化粧をしていないのか? 

 恐るべし西尾響。

 なんというポテンシャルだ。


「おお、本当に西尾なんだな……あまりにいつもと違うので認識に時間がかかったぞ」


「なんだよいつもと違うって。お前があたしのいつもを知ってんのかよ?」


「なんというか、学校で見かける時に比べて、だいぶ可愛くなっているというか……いや、もちろん普段学校で見かけるときも十分可愛いんだが、その、純粋な可愛さが大きく上昇しているというか……」


「か、カワイイカワイイ連呼すんじゃねぇ! そんな馬鹿みたいに分かりやすいお世辞であたしが喜ぶとでも思ってんのか?」


「いや、これはお世辞などではなく、本気で西尾の可愛さが一つ次元の違う領域に到達していることを説明しようとしているのだが——」


「う、うるせぇ! おら! 早く行くぞっ!」


 俺が一瞬西尾だと判別できなかったことが余程気に食わなかったのか、彼女は顔を真っ赤にして駅の中へと足早に向かってしまう。

 どうやら少し怒らせてしまったようだ。

 仮にも俺に惚れているかもしれない相手にこれはあまりよろしくない。


「それで結局、今日はどこに行くんだ?」


「うるせぇ。お前は黙って着いてくればいいんだよ」


 完全にヘソを曲げてしまった西尾は、これまで以上に秘密主義になってしまう。

 そのままICカードを使い改札を通り抜けていく彼女の横になんとか並ぶ俺も、どうやら電車でどこかに遠出するらしいことは理解する。

 ただ、まだ耳まで赤い彼女の横顔をよく観察すると、なぜか口元が若干嬉しそうに緩んでいるのがわかり、不思議だなと思った。






 一時間はかからないくらい程度電車に揺られると、目的地に辿り着いた。

 目的地とは言っても、当然俺にとってのものではなく、西尾にとってのだ。


「うぅ、少し寒いな」


「は? どこがだよ。軟弱だなテメーは。それでも男か?」


 駅から出ると潮風が勢いよく吹きつけてくる。それでも西尾は気持ち良さそうに目を細めるだけだ。

 俺のことを軽く肘で小突くくらいには機嫌が回復しているので、それはありがたいが、結局まだなぜここに連れてこられたのかは教えて貰ってはいない。


「おい島田、お前ここ来たことあるか?」


「いや、ない。一応知ってはいるがな。西尾はあるのか?」


「ねぇよ。だから来たんだろ」


「だからと言われても」


 西尾は興味津々といった様子で、その大きな目をキョロキョロとさせている。

 俺が彼女に連れてこられたのは、地元から少し離れた場所のとある港町だった。

 多島海と呼ばれるように、すぐ傍の湾には小さな島が幾つも浮かんでいて中々に面白い景色だ。

 誰かがたしかここは日本三景の一つだとかなんとか言っていたような気がしたが、よく覚えてはいない。


「それにしても結構人いるな。何しに来てんだこいつら? なんかイベントでもあんのか?」


「いや、普通に観光じゃないか? 一応ここは観光地だろう? それに今日は休日だし」


「あー、なるほどな。休日だと人が増えるか。そりゃそうか」


 西尾は長方形で薄っぺらい機種が新しそうなスマホ、しかもよくわからないバスケットボールのストラップ付き、を取り出すと、何やらペタペタと文章を打ち込む。

 さりげなく画面を盗み見してみると、『休日は邪魔くせぇヒトが増えるゾ!』、とメモアプリに書いてあった。

 どこから突っ込めばいいのかと色々気になる点はあったが、俺は見なかったことにした。


「知ってるか島田? ここにはあのアルベルトも来たことあるらしいぜ」


「アルベルト? すまない、西尾。どのアルベルトのことだ? サンコーに留学生なんていたんだったか?」


「違げぇよタコ。アルベルトって言ったら、アルベルト・アインシュタインのことに決まってんだろ。テメーの頭ん中は事象の地平線の向こう側かよ」


 アルベルトと言ったらアインシュタインのことに決まってる?

 俺は決まっていないと思う。

 だが特に反論もせず、俺はとりあえず謝っておいた。

 というか事象の地平線って何だ。


「ここで月を見たアルベルトはこう言ったんだ。どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない、ってな。マジクールだよな?」


「あ、ああ、まじくーる、だと思うぞ」


「だろ? わかってんじゃねぇか、島田」


 こんな地球の東端の、しかもド田舎にあの人類史級に有名な理論物理学者が来たことがあるとは驚きだ。

 まじくーる、かどうかは人の感性によるとは思うが、面白いことを聞いたとは思う。

 ここからの景色を見るだけで、少しだけ物理の偏差値が上がったような気分になった。


「ならそのアインシュタインが感動したという月とやらを、俺もここで見てみたいものだな。時間的には難しそうだが」


「あー、なるほど。アルベルトの見た月見、か。それもアリ、だな」


「何がアリなんだ?」


「気にすんな。独り言だ」


 西尾は一度立ち止まるとスマホをまた取り出し、『アルベルトイチオシの月見! 超ロマンチック! 絶対イイ!』、とメモをする。ちなみに絶対イイ! の後ろには何かキャピキャピした絵文字が付いていた。


「……よし。あっち行ってみようぜ」


 スマホをしまい込むと、西尾は海沿いに歩いて行く。

 地名のそのままに、風情ある街並みのいたるところに松の木が生えていて、少し奇妙で面白い。

 元々この地域に生えていたのだろうか、それとも見た目に拘った昔の町民がえっこらせっこらと一本ずつ植えて育て上げたのだろうか。

 風のわりには海面は穏やかで、波の音は心地良い程度に収まっている。


「島に渡れるみたいだな。一応行ってみるか、島田」


「島田だけにか?」


「つまらねぇこと言ってんじゃねぇ。ぶっ飛ばすぞ」


「ごめんなさい」


 しばらく涼し気な道沿いに進んでいくと、何やら中規模な橋のようなものが見えてくる。どうやら海に浮かんでいる小島の一つに繋がっているようだ。

 幾らかの小銭を払い、島へと乗り込んでいく。

 橋の向こう側にもそれなりに観光客がいて、何か珍しいものでもあるのか、しきりにカメラのシャッターを切っていた。


「ここには何があるんだ?」


「べつになんもないんじゃね? あれだろ。雰囲気だよ、雰囲気」


 雰囲気にこそ価値があると言っておきながら、西尾はろくに景色もろくに見ていない。

 時折り足を止めると、スマホを取り出し、何かをメモするだけだ。


「写真とかは取らなくていいのか?」


「は? 写真? お前と?」


「ち、違う違う! ほら、他の観光客みたいに、景色の写真をだよ」


「あー、べつにいいや。景色だけ撮っても面白くねぇしな」


 わざわざ休日を使ってやって来たというのに、べつにこの場所で観光をしたいわけではないようだ。

 本当に俺は何のためにここに連れてこられたのだろう。

 今のところ俺がここにいる意味をあまり感じられない。

 ただワールドクラスの美少女と二人っきりということで俺が興奮するだけで、彼女が特をしているとは思えなかった。


「……おい、島田」


「な、なんだ?」


 すると、俺より少し先を行っていた西尾が、妙に真剣な面持ちでこちらを睨みつけていた。

 急いで彼女の方まで駆け寄り、その疑念の理由を確認する。


「あたしの歩く速さ、速いか?」


「は? なんだって?」


 しかしその理由はあまりに予想の斜め上で、きちんと聞こえているのに思わず訊きなおしてしまうほどだった。


「だから、あたしの歩く速さが速いかどうかを訊いてんだよ」


「そ、そうだな。べつに普通だと思うが——」


「おい。テメーお得意のお世辞はいらねぇ。正直に言え。速いか?」


 西尾は俺に顔を近づけ、やけにドスの効いた声で問う。

 眼前に迫った美貌と、鼻腔を撫でる甘くて良い香りも合わさって、心臓が血液を全身に送るペースを無意味に上げる。


「うっ、ま、まあ、世間一般の女子高生に比べると若干速いかもしれないが、特に気になるレベルではないぞ?」


「本当か? 本当に気にならないか?」


「き、気にならない、と思う」


「本当の本当の本当か?」


「ああもう! 気にならないって!」


「……そっか。ならいい」


 どんどん西尾が距離を詰めてくるので、俺はとうとう我慢できずに顔をそむけてしまう。

 どうして突然自らの歩行速度に疑問を抱いたのか。

 賢い奴の思考回路はよくわからない。


「なあ、島田」


「はあ、今度はなんだ?」


 すると西尾はこれまでとはまた違った表情と声をする。

 手すりに身体を預け、どこか儚げな眼差しで、島々が思い思いの場所に浮かぶ多島海独特の眺望を見つめる彼女は、そのまま絵画にできそうだった。


「お前は、あたしのことを好きになれると思うか?」


「……え?」


 刹那の間、人の話す声も、風が木の葉を揺らす音も、さざ波が岩にぶつかる音も、何も聞こえなくなった。

 西尾は目鼻の整った横顔を俺に見せるだけで、その視線は空の青を映す広い海原に注がれたまま。

 これまでのように、いっそ彼女らしさを感じさせるほどに、唐突な質問。

 戸惑う俺に、彼女はそれでも優しく笑いかけた、


「お前も知ってると思うけどよ、あたしは学校じゃ腫れ物扱いだし、実際そんな風に扱われるのが当然なくらいには自己中で面倒くさい奴だ。そんなあたしとこの先もこうやって一緒に過ごす未来が、お前には見えるか?」


 優しかった微笑みが、寂しそうに変わる。

 俺がまだ西尾と知り合ってから、それほど時間は経っていない。

 だから実際のところ彼女がどんな人物なのかは、わかっていないことの方が多いし、この先も理解できるとは限らない。

 しかし、一つだけわかっていることがある。

 彼女が俺に惚れているのかどうか、そんな事は関係なく、断言できることがある。

 そしてそれは、言い換えれば、先ほどの彼女の問いへの答えでもあった。


「……ああ、見えるぞ。友人としてなのか、それ以外のものかはわからないが、お前が拒絶しない限り、俺はお前とこの先も一緒に過ごして行けると思う。少なくとも、ひとりの人間としてなら、俺は“西尾響”という女の子に好意的な感情を抱いている。それはきっとこの先も変わらない。断言できる」


 熱を帯びた言葉を、俺は一気に吐き出してしまう。

 変な汗が出てくる。

 自らの感情を素直に言葉に変えるという作業は、思っていたよりむず痒いものだった。


「へえ? お前も言うときゃ言うんだな。見直した、というよりは安心したぜ。やっぱりあたしの思ってた通りいい男じゃんか、島田紗勒。……それと、サンキューな。あたしのことをそんな風に思ってくれて」


 しばしの沈黙の後、西尾は嬉しそうな笑みを零しながらそう言う。

 合致する目と目、なんとなしに気恥ずかしくて逸らすのはきっと二人同時。

 というかなんだこれは。

 めちゃくちゃ青春っぽいぞ。

 この雰囲気、この流れ、やはり彼女が俺に惚れているのだろうか?

 いやもうこれ絶対惚れてるだろう。

 むしろそうとしか思えない。


「じゃあ、今度はあたしが質問に答える番だな。あの手紙の差出人、そんでもってお前に惚れてるのがあたしかどうか、だったな?」


「え? あ、ああ、そうだ。それを教えて欲しい」


 ここでついに、核心をつく話題に西尾が触れる。

 元々、その問いに答えて貰う約束で、休日の呼び出しを受け入れたのだ。


 ごくりと、生唾を飲み込む。


 俺の推理とこの状況的に、九割九分答えは決まっているようなものだが緊張はしてしまう。

 そして彼女は、初めて会った時と同じような、悪戯っ子特有の光を宿した瞳ではっきりとこう告げるのだった。



「……悪りぃな。あの手紙の差出人はあたしじゃない。残念ながらお前に惚れてる奴はあたしじゃなくて別の誰かだよ。一応言っとくけど、今伝えた言葉に嘘は一つもねぇ。つかあたし彼氏いるし」




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