やはり彼女が俺に惚れているのだろうか⑤


 俺は西尾響という女性が嫌いだ。

 今から約数十分前には、彼女に対して好意的な感情を抱いているとかなんとか言ったような気がするが、あれは嘘だ。

 前言撤回する。

 彼女は欺瞞に満ち溢れた魔女だ。

 サンコーでまことしやかに囁かれる悪評も、きっとそのどれもが真実に違いない。

 純粋無垢な一人の少年を騙くらかし、弄び、その憐れな道化の踊りを楽しむことを生きがいにしているのだろう。

 繰り返し断言しよう、俺は西尾響という女子生徒にこれっぽっちも親愛の情は抱いていなかった。


「あっはっはっ! そういつまでも拗ねてんなよ島田〜! ほら、メロンパンやるから元気出せって。あたしの奢りだぞ?」


「うるさいぞ西尾! 俺はべつに拗ねているわけではない! これは怒りだ! 最初から俺のことなど眼中になかったくせに、思わせぶりな態度を取った性悪女に対しての正当な怒りだ! ……すまんな、メロンパンはありがたく頂く」


「べつに眼中になかったとまでは言ってねぇだろ? お前に興味があったってのは本当だしな」


「くそったれめっ! まんまと嵌められたぞ! 何のためにお前にあの手紙を見せたと思ってる? ただ恥を晒しただけではないか! ……お、このメロンパン美味いな」


「まあまあ、ちっとは落ち着けって? お前に惚れてる奴がいるのは事実変わんねぇんだしいいじゃんか」


 俺はいま島から戻り、海が一望できる広場のようなところのベンチに腰掛け、暖かいメロンパンを頬張っているところだ。

 砂糖が塗されたサクサクの外皮と、それに包まれたフワフワのほんのり甘い生地。

 体力面、精神面共にエネルギーの削られた俺を癒してくれるのはこのメロンパンだけだった。

 同じベンチの隣りには眉目麗しい少女が一人座っているが、外見に騙されてはいけない。

 ここには青春のせの字も存在しないのだから。


「はぁ、まったく俺は今日何のためにここに来たんだろう。メロンパンを食べるためか? はぁ、そういうことにしておいた方が精神衛生上良さそうだなぁ……」


「なんだよ島田? そんなにあたしに惚れられたかったのか? 残念だったな。ちっとばかし遅かったぜ。まあ、どっち道あたしみたいな美少女がお前に惚れるかどうかは怪しいところだけどな」


「はぁ……そうだよなぁ。冷静に考えて、西尾みたいな美少女が俺に好意を持つわけないもんなぁ……驕っていたのは俺の方だなぁ……」


「お、おい突っ込めよ!? 冗談だっての! だから本当に悪かったって何度も言ってるだろ!?」


 西尾はあたふたと必死に弁解をしている。

 その頬を紅潮させ、俺の機嫌をなおそうと狼狽する様子は中々に可愛らしかったが、悲しいかな、彼女が俺に特別な感情を抱くことはない。

 なぜなら彼女にはすでに男、つまり恋人がいるからだ。

 俺に惚れているかどうかなんて次元ではなかった。

 ただまたしても前言撤回することになるが、そんなことで西尾を俺が嫌いになることはない。

 どういうわけで俺にこんな仕打ちをしたのかは謎だが、本気で彼女が俺に申し訳なかったと感じていることくらい理解できる。

 短い付き合いだが、友人として彼女と付き合っていけるだけでも、それは俺にとって大きな財産であろうことは確かだとわかっていた。


「わかったわかった。お前の謝罪は受け入れよう。たしかにお前の言う通りだ。俺に誰かが惚れているという事実に変わりはない。むしろ、こんなヤンキー女が手紙の差出人ではなくて一安心したさ」


「あ? それどういう意味だコラ?」


「ごめんなさい。冗談です」


 謝ったり恫喝したり、どうにも忙しい人だ。

 俺は咳払いして、むりやり話を変えることにする。


「ご、ごほんっ! そ、それで? 結局、どうして俺をここに連れてきたんだ? 彼氏がいるならそれこそ、その彼氏とでも来ればよかったじゃないか?」


「あー、実はな、あたしがアイツと付き合い始めて、まだ一か月くらいなんだけどよ——」


「誰も惚気話をしろなんて言ってないぞ?」


「ち、違げぇよ! 最後まで話聞けっつの!」


 どうやら西尾の口にするアイツとやらが、彼女の恋人にあたる人物のようだ。

 彼女が惚れるような男だ。それはさぞかし立派な奴なのだろう。

 そうでなかったらこの俺が認めない。


「その、あたし達、実はまだ、こうやって二人でどっかに行くとか、そういうのしたことなくてさ」


「ん? それはつまりデートをしたことがないということか? 付き合って一ヵ月も経つのに?」


「わ、悪りぃかよ!? あたし達は、その、どっちもそういうの言いだすの苦手なんだよ」


「じゃあこの一か月間どうしてたんだ?」


「そ、そりゃ、ラインしたり、電話したり……」


「あらまぁ? 若いわねぇ?」


「気色悪りぃ喋り方してんじゃねぇぞ島田!」


 どうもこのロンリーウルフは、派手な外見と威圧的な物言いとは裏腹に、シャイな一面も持ち合わせているらしい。

 俺のようなどうでもいい相手に対しては普段通り強気に接することができるが、特別な相手にはそうもいかないのだ。

 なんと奥ゆかしい乙女であろうか。

 典型的な好きな相手の前では人が変わってしまうタイプということか。


「まあまあ、そう怒るな西尾。そういったプラトニックな恋愛の形も、俺は嫌いではないぞ? むしろ好ましさすら感じる」


「うるせぇ。お前に好まれても全然嬉しくねぇし」


「そう拗ねるなって。それで、その話がどう今日のことに繋がるんだ?」


 西尾は形の良い唇を尖らせ、からかわれたことに対しての不満をアピールしているが、ただ可愛らしいだけで、むしろ普通にしている時より怖くなくなっていた。

 ついさっきまでと立場が逆転したことで、俺の彼女への怒りも十分に薄まって消えていった。


「……笑うんじゃねぇぞ?」


「笑わないさ。約束する」


「……この前、やっと二人で遊びに行く約束をしたんだ。その行き先がここなんだけどよ、その、なんつーか、二人だけで出かけるの初めてになるだろ? だから、失敗したくなかったつーか……」


「は? つまりなんだ? わざわざデートの下見に来たってわけか? しかも俺をその彼氏役に仮定しての、シミュレーション風に?」


「まあ、そういうことに、なるかな」


「ぶはははっ! おいおい勘弁してくれよ!? あの天下の西尾響がデートの下見ぃ!? 心配性過ぎるだろ。これじゃあ孤高の一匹狼ではなくて寂しがり屋のチワワだな」


「おーおーなるほど? どうも島田テメーは少し早めの海水浴がしたいらしいなぁ? いいぜぇ? あたしが手伝ってやるよ」


 西尾がこめかみをピクつかせながら拳を鳴らし始めたので、俺は慌ててベンチから立ち上がり距離をとる。

 何やら至るところで立ち止まってはメモをしていたが、あれは全てデートの予習のためだったのか。

 さすが理数の西尾。

 ずいぶんと計算高い乙女である。

 それにしても本当に今日は彼女に驚かせられる日だ。

 こんな愉快な奴が学校では浮いていることが理不尽にすら思えてくるほどに。


「だが西尾、今日俺をここに連れてきた理由はわかったが、なぜ俺なんだ? それに前から俺のことを知っていたようだが、どうしてだ?」


「あ? あー、それは、あたしのダチが前からお前のこと噂してたからな。それでお前に興味を持ったんだ」


「ダチ? 友達のことか?」


「おう。そんでもって、あんま言いたくないけど、その、あたしあんまりダチいねぇーからさ。それでお前に頼もうと思ったわけよ。まあいきなり、俺に惚れてんだろ? とかアホ抜かしてきた時は内心マジ笑ったけどな」


「やめろ。その時の話を蒸し返すな。恥ずかしいだろ」


「とにかく、お前に頼んだのは消去法。他に頼める奴がいなかったんだ。だけどそこんところは、本気で感謝してる。ありがとな。今日、一日あたしに付き合ってくれて」


「いや、それはべつに構わないんだが。その友達には頼めなかったのか?」


「頼んだんだけどな、フツーに断られた。中々動かねー奴なんだよ、ソイツは」


「へえ。そうなのか」


 西尾の数少ない友人であるソイツとやらも、彼女に似て中々の堅物のようだ。

 俺の噂をしていたらしいので、もしかしたら俺の知り合いかもしれない。


「んじゃ、帰るか。だいたい見て回れたしな」


「そういえば、ここは牡蠣が有名なんじゃなかったか? 食べていかないのか? それともそれは彼氏にとっておくのか?」


「ばーか。旬じゃねぇから食べれねぇよ。でも牡蠣食いてぇな。冬にもアイツと来れたらいいな」


「なんだ惚気か? 止めて頂きたい」


「の、惚気てねぇよ! だいたいお前が言い出したんだろ!」


 そうやって馬鹿な言い合いをしながら、俺たちは帰路につくことにする。

 結局西尾響があのラブレターの差出人ではなかったが、それでもべつに構わない気がした。

 これほど話していて楽しい友人ができたのだ。

 これは素直に喜ぶべきことだ。

 今回は一応、西尾のデートのシミュレーションに付き合わされた形になったが、実際のところ俺もこの経験を活かすべきだろう。

 俺に惚れている奴がいることは確かなままだ。

 俺だって冬になったらこの街名物の牡蠣の食べ放題に、恋人と二人で来てやる。


「でもよ、昨日あたしが言ったことは本気で考えておいた方がいいぜ」


「ん? いきなり何の話だ?」


 駅に向かって歩いていると、ポツリと西尾が真面目なトーンで話し始める。

 潮の匂いの乗った風はやはり俺にとっては涼し過ぎて、自然と身体が縮こまってしまう。


「“誰が”、じゃなくて、“お前”、が誰に惚れてるのかって話だよ」


「……ああ、その話か」


 西尾が何を言いたいのかを理解し、俺は曖昧に相槌を打つ。

 実際に彼女が言ったその台詞は覚えていたし、昨日の夜はベッドの上である程度考えてはみた。

 俺は誰かに告白された。それは間違いない。

 しかし告白されたからといって、無条件でその想いに応えるのは正しいことなのかどうかという話だ。

 正直言って、答えはいまだに出せていない。

 たしかに好きでもないのに、想いに応じるのは不誠実な気がしないでもない。

 一方現実には、好きだという想いを伝えられた時点で、ある程度俺がその子に情愛を抱いてしまうのもまた事実なのだ。

 その相手に好かれたからという理由で、好きになり返す行為は、果たして誠実な不誠実なのか。

 正しいのか、正しくないのか。

 俺にはまだわからなかった。


「まあ、そこまで深く考えなくてもいいんだけどよ。あたしだって、自分の想いを自覚するのには結構時間がかかったからな」


「……カッコいいな。西尾は」


「あん? またからかってんのか?」


「いや、本気で言っている」


「お、おう。そうかよ……お前たまに、そういう顔でそういうこと言うよな。だから、なのかもな」


「なんだ? 具体的な表現が少なすぎて何が言いたいのかわからないぞ?」


「気にすんな。独り言だ」


 鼻で軽く笑うと、それっきり西尾は喋らなくなった。

 また機嫌を損ねてしまったのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。

 すっと前を向く横顔には、満足そうな色が浮かんでいる。

 不思議だな、と俺は行きと同じような思いを彼女に抱きながら、そして帰りの電車へと吸い寄せられていく。






「それじゃあな、島田。また学校で会おうーぜ」


「ああ、今日は俺も楽しかった。また会おう」


 地元に帰って来ると、簡潔な挨拶だけをして俺と西尾は別れる。

 いまやもう見慣れてきた金髪も、すぐに街角に消えていった。

 たいする俺は、ひとり静かに立ち尽くしたままぼうっとしている。

 それは残された唯一の可能性を考えるがゆえの棒立ちだった。


 “有栖川アスミ”。

 “西尾響”。

 “法月知恵”。


 先日の数学の補講中に渡された愛の告白綴られた一通の手紙。

 それを届けることが可能だった三人の少女たち。

 この三人の内、二人は俺への好意を否定した。

 つまり消去法的に考えて、もう俺に惚れている人物は一人しかありえない。

 ただ、疑問は残る。

 有栖川には一応動機が考えられた。

 しかし、彼女は俺に惚れていない。

 西尾は状況的に唯一俺に手紙をあの場で渡すことが可能だった。だがやはり、彼女も俺に惚れていない。

 そして残された最後の容疑者である彼女には、動機的にも、状況的にも、俺に手紙を渡すのは無理しかない。

 それでも、彼女にしか俺に惚れている可能性はもうなくなった。

 そうなのだ。

 全ては謎のままなのに、もはや彼女が俺に惚れていることは確定してしまっているのだった。


「ねぇ、君ってサンコーだよね?」


「うへぇっ!? き、君はっ!?」


 その時、ぼうっと突っ立っているだけの俺にかかる声。

 振り返ってみればそこには、今まさに頭の中で浮かべていた顔があり、俺は驚き過ぎてわき腹を軽く攣った。

 サンコーの女子バスケットボールの部員がよく来ているジャージ姿。

 赤っぽい茶髪をポニーテールにまとめた細身の美少女。

 リスのように真ん丸な目を俺にじっと注ぐ少女——法月知恵が、彼女にしては珍しく無感情な表情で俺を見つめていたのだ。


「法月さん? どうしてこんなところに——」


「さっき一緒にいたあれ、ヒビキだよね。仲良いの?」


 俺の言葉は無視して、部活帰りらしい法月は言葉を重ねてくる。

 ヒビキ? 

 一瞬何のことかわからなかったが、すぐに響、つまりは西尾響のことを指しているのだとわかった。


「は、はい、そうです」


「ヒビキ、私服だった。二人でどっか行ってたの?」


「え、あ、はい、一応」


「そうなんだ。……仲良いんだね」


 淡々と質問を続ける法月に、俺は小さな違和感を覚えていた。

 これは本当に俺の知っているあの法月だろうか?

 それは西尾に対して抱いた違和感とは正反対のものだ。

 普段学校で見かける時は、常に天真爛漫な笑顔で、誰にでも優しい活発な少女というのが法月知恵という人だった。

 だが今は感情の抜け落ちたマネキンのような顔だし、声の調子もかなり低い。

 たしかに見た目はどっからどう見ても法月なのだが、どうにも違和感が拭えなかった。


「あの、法月さんは西尾と知り合いなんですか?」


「……まあ一応、アイツとは同じ中学だったから」


「あ、そうだったんですか」


 西尾のことを下の名前で呼ぶのでもしやと思っていたが、やはり法月はあいつと友人関係にあるらしい。

 堅物扱いしていたので、あまり俺の抱く法月知恵のイメージとは合っていないが、きっとそういう面も持っているのだろう。 

 実際、今目の前にいる法月は、俺の知っている法月とはずいぶん違って見えた。


「ヒビキ、楽しそうだったね」


「そうですかね?」


「うん。楽しそうだった。あんなに楽しそうなヒビキ、久し振りに見た」


 するとここで、法月の色のない瞳に初めて感情が混じる。

 それは衝撃だった。

 そこに一瞬だが、たしかに宿った感情に、俺はこれ以上ないほどの驚きを感じる。


「……じゃ、私はこれで」


「あ、はい。さようなら」


 そしてその表上した想いを隠すように、法月は足早に去って行く。

 俺の知る彼女に比べて、やけにダークな雰囲気だったが、あの感情がここで浮かぶということは間違いない。

 西尾と俺が一緒にいるところを見て、あの感情を見せるということは、つまりそういうことだろう。


 そう、法月の瞳に見えた感情、それは“嫉妬”だった。


 どうしてそうなったのか、いったいどうやってことをなしたのか。

 それはいまだにわからないままだ。

 だが、これだけは確実にいえる。



 どうやら彼女ノリヅキが俺に惚れているらしい。




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