やはり彼女が俺に惚れているのだろうか③



 雨の勢い増す街の中を、俺は足早に急いでいる。

 少し離れた前方では西尾が自慢の金髪を揺らしていて、その堂々たる大股の歩行速度に付いて行くので俺は精一杯となっていた。


 いったいなにがどうしてこうなったのだろう。


 時刻はまだ昼の一時を回った辺りで、本来ならば高校で授業を受けているはずの時間帯。

 鞄などの荷物は全て教室に置きっぱなしにしたままで、なぜか俺は昼下がりのどんよりとした街を歩いていた。

 当然クラス担任である綾辻女史にも何も知らせていないので、これは俗にいうサボリという奴に当てはまってしまうだろう。

 次学校に行く日が怖くて仕方がない。


「おい、島田。ここにすんぞ」


「は、はい」


 このような望まざる非行に俺を引き込んだ張本人はというと、やけにご機嫌な様子で整った相貌を笑わせていた。


『あたしに着いてこい』


 短いそのたった一言。

 それがここに俺がいる全ての理由であり、決して拒否することのできない圧力を持った言葉だった。

 特に反抗することなく連れてこられたのは、ミートソースを使ったハンバーガーが売りの、他よりやや割高なファストフード店。

 ドアを開き中に入っていく西尾に、俺も遅れないようにして続く。


「お前、財布は持ってきてんだろうな?」


「え? あ、ああ、一応」


「ならいい」


 レジのところまで来たところで、西尾はそんなことを訊いてくる。

 まさかたかってくるつもりだろうか。

 だがそこまで考えて、よく考えればもう彼女は半分くらい俺の恋人みたいなものなので、男である俺が驕るのが当然なような気もしてくる。

 家族以外の異性と二人っきりで飲食店に入るなんて初めての経験なので、何が常識、マナーなのかさっぱり分からなかった。


「あー、これとこれと、これで」


「かしこまりました。ドリンクはどれになさいますか?」


「んー、じゃあ、これで」


「かしこまりました」


 しかし俺の心配はよそに、西尾は自分の注文だけをテキパキとこなし代金を払うと、さっさと店の奥へ行ってしまう。

 どうやら俺に財布の有無を確認したのは、単に俺が自分の分の代金を払えるかどうかを気にしただけだったようだ。

 なんとなく西尾を待たせることに忌避を覚えた俺も素早くオーダーをこなし、番号のかかれた札を持って彼女の座っている席へと急いだ。


「ちっ、にしても雨うぜぇな」


「え、あ、そ、そうですね」


「は? なに勝手に同意してんだよ。気持ち悪りぃな」


「ごめんなさい」


 対面の席に座り適応な相槌を打つと、服の水滴を払っていた西尾に怪訝な表情をされる。

 いまだに彼女の性格がいまいちよく掴めない。

 このような状態でこれから先、上手く付き合っていけるのか不安だ。


「そ、それで、いったいなぜ俺をここに……?」


「話は飯食った後だ」


「そうですか。わ、わかりました」


 ほぼ初対面にも関わらずいきなり食事に誘うほどの積極的な態度。

 すでに西尾が俺に惚れていることは確定的に明らかだ。

 ただそれでも、やはり本人の口から肯定の言葉を聞かなければ安心はできない。

 そのため早く本題に入りたいのだが、どうにも彼女は空腹状態では他人と会話ができないタイプのようだ。


「お待たせいたしました」


 しばらく待っていると、注文した品がきちんと二人分届けられる。

 霧雨によって普段より色気を増している、女子高生にしては発育が幾分か良すぎる西尾のボディラインを眺めていたので、料理が運ばれてくる間暇はしない。

 暖かくもある香りは食欲を誘うのには十分で、それなりの出費をした分の価値はありそうだった。


「やっぱりバーガー食うならモスバだよな」


 横暴な口振りとは裏腹に、西尾は意外にも上品な所作で綺麗にハンバーガーを食べていく。

 昼食を取る機会を逃していた俺も、とりあえず冷めてしまう前にとセットのポテトに手を伸ばす。

 カロリーの衣に包まれた芋はホクホクと肉厚で、ちょうど良い塩気に旨味が引き立てられている。

 ポテトと同じようにフライされたオニオンを口に放り込んでみれば、サクサクとした幸せな食感と共に確かな甘味を感じることができる。

 美味い。

 これほど俺は腹が減っていたのかと自分でも驚くほどの速度で、一気にポテトとオニオンを平らげてしまう。

 炭酸飲料で一度口の中をリセットし、次にメインであるハンバーガーへと手を付ける。


「……美味い。久し振りに食べたが、こんなに美味かったか?」


「だろ? たまんねぇよな」


 新鮮なトマトの舌触りと、ビーフパティから溢れ出る旨味が凝縮された肉汁。

 絶妙に味を際立たせるソースとそれらが絡み合い、奇跡的な調和を生み出している。

 視線を前に向けてみれば、西尾も嬉しそうな顔をしている。

 どうやら食事の趣味は合いそうだ。


「学校バックレて食うモスバに勝るものはないね。無駄な部分が一切ない。ハンバーガーの最小二乗解さ」


 一口一口がやけに小さいので、食べる速度自体はあまり早くないが、それでもこれで西尾的にはがっついて食べているらしい。

 俺の方はというとあっという間にハンバーガーも食べ終わってしまった。

 袋の底にこぼれたソースが溜まっていたが、さすがにこれを啜るほど意地汚くはない。


「お前、食べるの早いな。つか、先にポテト食べちまったのか? ちっ、素人だな。ポテトってのはこぼれたソースを掬って食べるためにあるんだぞ?」


「なるほど。そうだったのか」


「まあ、あたしくらいになると、ソースもほとんどこぼさずに食べれるようになるけどな」


 西尾は自慢げにその立派な胸を突き出し、ブルンと揺らす。

 こちらのビーフパティも中々に食べ応えがありそうだ。


「んじゃ、さっきの質問に答えてやるよ。なんでここに連れてきたか、だったな?」


「え? あ、ああ、そうです。差し支えなければ教えてください」


「つかお前あたしと同い年だよな? なんで敬語なワケ? 気持ち悪りぃからタメで話せよ」


「そ、そうか。わかった。そうさせて貰おう」


「タメ語でもなんかキモイ喋り方すんのな。まあいいけど」


 ハンバーガーを半分ほど食べ終えたところで、西尾はやっと本題に入ってくれるようだ。

 ちなみに彼女の食べるペースは幾分か落ちてきていた。

 案外小食らしい。


「理由は二つだ、フツーに腹が減ってたのと、島田、お前と少し喋りたかった」


 その言葉を聞いた瞬間、キタコレ、そんなどこかで覚えたフレーズが頭をよぎった。

 西尾響という女子生徒はまさに孤高の一匹狼といった表現がピッタリで、他者との関わりを持たない人物で有名だった。

 人嫌いというよりは無関心に近く、どこか同年代より大人びていて、鋭い雰囲気を漂わせる彼女にとって、サンコーのようにレベル低い高校には興味を惹かせる相手がいなかったのだろう。

 改めて考えると、そういう意味では守屋に少し似ているかもしれない。

 あいつもどこかクラスメイト達から一歩引いたような態度を取っていた。

 優秀な者同士、やはり似通る所もあるのだろう。

 そんな守屋と友人関係に至り、西尾からは少なくとも興味を抱かれているのに、なぜ俺はこれほど頭が悪いのだろうか。

 世の中不思議なものだ。


「そ、その、俺と喋りたかった、というのはどういう意味だ?」


「さあてね、どういう意味だと思う?」


 さらに一歩踏み込んだこと訊こうとすると、西尾は面妖な微笑を浮かべてそれを躱す。

 彼女はハンバーガーをまた一口齧り、桃色の唇についた紅いソースをペーパーで拭き取る。

 駆け引きのような問答、俺は試されているのだろうか?

 聡明な彼女相手に舌戦を挑んでも、おそらく埒が明かない。

 俺は早々に見切りをつけ、切り札をあっさりと使うことにした。


「……この前の数学の補講の時、俺はこんなものを受け取った。そして俺はこう思っている。これを俺に渡したのは君で、君が、その、自分で言うのも少し変だが、俺に惚れているんではないか、と」


 ブレザーの内側に大事にしまい込んでいたのは、もちろん例のラブレターだ。

 俺がその手紙を西尾に渡そうとすると、彼女は一度綺麗に手を拭いたあと、静かに受け取った。

 中身を開き、切れ長の瞳がその視線の先で綴られている俺への想いをなぞる。

 すぐにその鋭い視線は俺の方へ向き直され、やがて挑戦的な光がそこに宿った。


「……ふーん、なるほどな。それで? もしそうだったらどうするんだよ?」


「えぇっ!? そうだったらどうすると言われても」


「あたしと付き合うのか?」


「そ、それは……」


 畳みかけるような口勢に、防御力の低い俺はボコボコに嬲られる。

 どうにも俺が想定していた状況とは、ズレが生じている気がしてならない。

 薄笑いを浮かべて、俺の返答を待つ西尾からは、どうにも羞恥や、照れといった感情は見て取れない。

 これが差出人である自分の名を書くことすらできなかった、俺に一目惚れか何かをした少女の取る態度だろうか?

 ここに来て迷いを覚えた俺は、何と答えるのが正解なのか、まったくわからなくなる。


「お前、今、好きな奴とかいねぇのかよ?」


「好きな奴、というのは、その、異性として意識している人物という意味か?」


「ああ、そうだよ。いねぇのか?」


「うーむ、そうだな……」


 俺からの返答を待たずに、西尾はまた別の問いを投げかけてくる。

 これが彼女の言う、興味がある、ということなのだろうか。

 今のところ好意、というよりは純粋な好奇心しか俺に抱いていないように思える。

 それとも、この飄々とした調子が彼女そのもので、明確な好意は表に出さないタイプというだけなのか。

 結局質問攻めになっているのは俺の方で、俺からの質問には答えて貰えていない。


「もしあたしがお前に惚れているとして、そんでもってお前がナアナアでその気持ちに応えたとして、その事に傷つく奴がいるんじゃねぇか?」


「傷つく奴?」


 再び問いの種類を西尾は変化させる。

 気づけばその表情は先ほどまでの薄ら笑いではなく、どこか厳しさすら感じる真剣なものになっていた。

 だが俺は彼女の問いに答えることはおろか、その意図すらよく把握することができない。

 俺が西尾の想いに答えた時に、傷つく人物だって?

 そんな奴はひとりも思いつかないぞ。

 家族なら、小楠はもちろん、両親ともに、ありえない! 奇跡だ! 今すぐ家に連れてこい! などとお祭り騒ぎになること間違いなしだ。


 家族以外となると、俺の知り合いは限られる。

 一応中学時代からの知り合いである有栖川、彼女は優しい人だ。

 たとえそこまで俺と親交がなくとも祝福してくれることだろう。

 高校入学以来の友人の守屋、彼女も掴みどころのない性格ではあったが、有栖川のところに一緒に行く際の行動を思い出す限り、応援してくれているようだった。

 後は誰だろう。法月か?

 彼女に関しては、面識が完全にゼロというわけではないが、ほぼ皆無と言っていいので、傷つくも何もない。

 ついでに一応知り合いにカウントするならば、綾辻女史も思いつく。

 ただ彼女は俺の担任の教師だ。

 しかも二年連続で。

 可愛い生徒の慶事を喜んでくれないはずはない。


 やはりわからない。

 西尾が言うような相手は、まるで思いつかなかった。


「……まあいいや。島田、明日一日、あたしに付き合えよ」


「へ?」


 するとまたもや西尾は自らの問いを勝手に切り捨て、唐突に話の方向性を変えてしまう。

 俺が考え込んでいた間に食べ尽くしたのか、彼女の分のハンバーガーも見えなくなっていた。

 ポテトとオニオンの先にソースを付け、それを口の中に放り込み、ドリンクを音なく啜る彼女は実に満足そうだ。


「あたしがお前に惚れているかどうか、それなら明日答えてやるよ。……だからお前はそれまでに、その先の事を考えてみろ」


「先の事? すまない、少し言っている意味がわからないのだが?」


「お前に想いを伝えてきた奴がいて、そいつはお前に心底惚れていたとする。だけどそれだけじゃ、お前がその想いに応えるためには理由が足りねぇだろ? 告白してきた相手が抱く想いだけじゃ条件不足だ。“お前”が抱く想い、それが不足してる」


 西尾はストローから唇をそっと放し、口元をペーパーで丁寧に拭う。

 彼女から向けられるのはどこか情愛の籠った眼差し。

 優しく笑うその表情には、学校中から畏れられる不良の面影はなく、初めて西尾響という少女の本当の顔を見たような気がした。


「御馳走でした。……明日の待ち合わせ場所は駅前で、時間は正午きっかり。遅刻したらぶっ飛ばす。わかったな?」


「りょ、了解した」


「よし、ならいい。それじゃあな、島田。また明日」


 食事を終えた西尾は時間と場所を一方的に言いつけると、トレイを片付け、そのまま店の外へと消えていった。

 窓の外の方に顔を向けると、知らぬ間に霧雨が豪雨へと猛威を上げているのが見て取れた。


 彼女が俺に惚れているのかどうかは、いまだにわからない。


 ただ、想像していたよりはいい女だなと、とりあえずそんな風には思うことはできた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る