第4話

「適当に座ってよ」

 久方ぶりの喫茶マイソンは、埃避けの布がかぶせられていた。

 白いカバーがかぶせられたその姿は、まるで幽霊のようだ。いや、ぼんやりとたたずんだ私の方が、幽鬼じみているかもしれない。

 知らない店のようで落ち着かず、私は外が見える椅子に腰かける。

「なにも知らせられなくて悪いね。秘密だったからさ」

 口元で人差し指を立て、片山オーナーはいたずらに笑む。

 理由は察しがついた。先日の件もあり、改まって挨拶をされても、という感情もあるだろう。

「いえ、こちらこそ。味香さんのこともあったというのに」

「気にするなって」

 ティーバッグの入ったカップが二つ、テーブルに並ぶ。

「かわいいだろ?青春ってやつさ」

 片山オーナーはいたずらに笑った。

「しかし、この店もたたむことになってしまい……」

「それは元からの予定だよ」

「そうなのですか?」

 ちゃぽんちゃぽん、と片山オーナーは角砂糖を入れる。

「味香も若いしね。いつまでもこんなひなびた店にいさせられるかって話だ」

「では、どこか別の場所で」

「ああ、フランスに行くんだ」

「……え?!」

 私は目を丸くした。まさか外国の名が出てくるとは思っていなかったからだ。

「国内でもいいが、向こうは料理も礼儀も語学も学べるし、なにより箔がつく。行って損はないだろうね」

 カラカラと笑う片山オーナー。

 私はティーバッグの沈んだまま、濃くなってゆく紅茶を見つめ、動けなかった。

 フランスということにも驚いたが、驚いた私自身にも、驚いた。

 冷静に考えれば、味香さんは18歳。今後進学や就職だっておかしくない。それこそ、広い世界というもので活躍するはずなのだ。

 だというのに私が思い浮かべる味香さんは、この喫茶マイソンで料理と笑顔を振るまう姿しかなかった。

 私は、味香さんの好意を否定したというのに、その実、距離の取り方を悩み、広い世界や誰かと添い遂げる味香さんの姿を具体的に考えることはなかった。

 いや、自ら考えることを辞めていたのだ。

 なぜならば、私自身が求めていたのは、私が好きな味香さんだったから。


 私は、私が好きな味香さんを、好きだったのだ。


 なんて情けのない男なのだろう。

 自分すら偽って、好きな女性の好意を無下にするとは。

 私は私のことを殴りたかった。

 しかし今すべきは、そのようなことではない。


「味香さんと」

「ん?」

「彼女と一度、話がしたいのですが……オーナー、どうか取り計らっていただけませんか」

 私のできることならばどのような代償でも払う。ただ一度でもいいので、味香さんに謝罪するために。

「いいけどさ」

 片山オーナーは時計をみやる。

「あの子、今夜、フランスに飛ぶけど?」

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