第48話  祖父の後悔

「ああ・・孫との初対面でこの体たらく、本当に心の奥底から恥ずかしいし、嘆かわしい」


 一通りの使用人を解雇したオルヘルス伯爵家は、祖父の弟一家が移動してくるまでの間は、ハールマン家の家令が面倒をみることになっている。


 足りない使用人は、ハールマン家から貸し出そうかという話も出たそうなのだが、

「私は自分のことは自分で出来るので、弟一家が移動した時に、屋敷に問題がなければそれで良い」

 と、伯爵は断言したらしい。


 客間で項垂れる祖父を見つめたフローチェは、首を傾げながら言い出した。

「私、お祖父様とは初対面ではないと思いますよ?」

 驚き慌てて顔を上げる祖父の顔を見つめながら、フローチェはニコリと笑った。


「ブローム会計事務所をあそこまで大きく出来たのは、ショーンさんのお陰だと、常々ドミニクス所長は申しておりました。私も何度も、お茶をお出ししたことがあるのですが、忘れてしまいましたか?」


 むぐっと口をへの字に曲げる伯爵を眺めたバルトルトは、容赦無く言い出した。


「伯爵の変装は、常々、変装とは言えないものだなと思っておりました」

「むぐぐ」

「メガネをかけて鬘を被ればそれで完璧と思うのも、それもそれでどうかと・・」

「むぐぐぐぐ」


 顔を俯かせる祖父を見つめたフローチェが、くすくすと楽しそうに笑い出す。


「薄桃色の瞳の色が私のお父様と同じ色なので、お客様としてお茶を出しながらいつでも心に残っていたのです。もしかして、お父様とお母様が亡くなった後、今まで住んでいたアパートに格安の値段で住むことができたのも、すぐに会計事務所に勤められることになったのも、お祖父様のお手配によるものだったのではないですか?」


「私は・・何も出来ていないよ・・」

 両手を握りしめる祖父の皺だらけの手が小刻みに震え出す。


「ハールマン家が羨ましいよ、嫁を理由にすれば何だって出来る一族なんだから。我が一族は花や草木を育てる加護があるだけで、誰かを守るための力があまりに弱い」


 次男のマルセンが伯爵家の血を引かないという事実が判明した時、長男のミハエルとその妻にこのことを相談し、今後について話し合おうと思っていた。

 次の日には息子夫婦が戻ってくる、胸を弾ませていたショルスの元へ届いた訃報。


 フローチェの存在を秘密とするため、葬儀に行くことも出来なかったが、ダフネは実の息子ミハエルが王都を訪れないことを知っても、顔色ひとつ変えやしなかった。


 即座に排除できれば良かったが、ダフネは公爵夫人のお気に入り。


 ミハエルを殺した犯人を見つけ出し、ダフネやマルセンに繋がる証拠を探し出そうとしてもなかなか上手くいかないまま月日だけが経過した。フローチェの夫がハールマン家の男ではなかったら、オルヘルス伯爵家は食い物にされるだけされて終わっていたかもしれない。


「お祖父様、そうは言っても領地では薔薇の品種改良に成功をして、多額の資金を得ているとバルトさんから聞きました」

「弟が成功させたというだけであって、私は薔薇が嫌いだ」


 確かに、社交界の薔薇と言われた妻がアレなので、薔薇に対して良い思い出がないのかもしれない。


「フローチェ、君の両親が亡くなった時に、すぐに引き取ることが出来なくて申し訳なかった。年頃の君を我が家に引き取るのは、かなり危ないのではないかと私なりに判断したのだが・・」


 恐らく、マルセンは自分が伯爵家の血を引いていないことに気が付いていたのだろう。だからこそ、良い年をしても王宮に勤めるでもなく、伯爵家の仕事を手伝うでもなく、自堕落に過ごし続けることを選択したのだ。


 そこに、伯爵家の血を引く未婚のフローチェがやってきたら、マルセンはフローチェに自分の子供を産ませるだろう。フローチェの子供は確実にオルヘルス伯爵家の血をひく子供になるのだから、ダフネは良いように言いくるめることにして、フローチェの子供を自分の養子として引き取ることにする。


 子供を産んだ後のフローチェは、誰の子とも分からない子供を産んだ身持ちの悪い娘だとして、飼い殺しにするもよし、高額で売り払ってもよし。


フローチェが被害を受けるのは目に見えたこと。そのため、フローチェを辺境の街で隠し続けることにしたのだった。


「伯爵の判断には感謝するより他ありません!」

 バルトルトはフローチェを抱きしめながら、

「フローチェは僕が幸せにしますので、何も伯爵は心配しないで大丈夫です!」

 と、断言する。


 その姿を見つめた伯爵は大きなため息を吐き出すと、

「だけどね、フローチェ、バルトルト君から聞いてはいるけど、君は本当に、伯爵家を継がなくても良いのかい?」

 と、気遣わしげに尋ねたのだった。


 オルヘルス伯爵家の嫡男であるミハエルの娘なのだ、伯爵位継承に名乗りを上げる権利は十分にあるのだ。


「私、こう言ったら失礼かもしれないんですが、バルトさんと結婚する前までフローチェ・キーリスと名乗っていたんです。私の名前の中に、オルヘルスという姓はないんです。それに、生前、一言でも伯爵家の名前を両親が言わなかったということは、すでに両親は伯爵家と決別を済ませていたからだと思うんです」


 どんどんと悲しげな表情を浮かべる祖父の顔を見つめながら、フローチェは慌てたように言い出した。


「継ぎたくないっていうよりも!継ぐ必要がないと言った方が良いのでしょうか?そもそも、バルトさんたら、陛下の要望で辺境伯に任じられるかもしれないっていうんです。私が住んでいたティルブルクをひっくるめて、お隣の国のヌーシャテル領までぐるっと統治だなんて凄く大変そうだなって思うんですけど、そうなったら、私を育ててくれたティルブルクの街に恩返しが出来るかもって思って!」


 フローチェは身を乗り出すようにして祖父の両手を掴むと言い出した。


「ゴーダと隣国ザイストとの間にはスヘルデ川が流れているんですけど、この川から眺める夕陽がとっても綺麗なんです!よく、両親と眺めていたんですけど、その夕日をお祖父様にも見せてあげたい!だからね、お祖父様、弟さん一家が伯爵位を継ぐというのなら、私と一緒にティルブルクに行きませんか?」


 バルトルトがフローチェの腰を抱いて後に引っ張るため、フローチェの体は後に傾きかけたけれど、伯爵がガッチリとフローチェの手を握っているため、上半身は前屈みになったまま。


 たとえ祖父との会話だとしても、気に食わないオーラを出すのはやめてほしい。『全くもう!ハールマン家の男ときたら!』と、そこまで考えたところで、フローチェは、私も立派なハールマン家の女になったのね!と一人で喜びの声を心の中であげていた。


「いやいや、伯爵も爵位の引き継ぎで忙しいですし、奥様とお子様も軍部の拘束を受けて心配でしょうし」

「妻との離縁手続きは済んでいる」


 過去に一度、酔っ払ったダフネに離婚手続きの書類へサインをさせていたショルスは、ひと月以上も前に宮廷へ提出しているのだった。


「巻き込まれることを恐れて、ダフネの生家でもあるベイエル伯爵家も、絶縁の手続きを済ませている。我々の件にハールマンが関わると知った時点で、全ての手続きは終えているのだよ」


 もちろん、マルセルの身分も両伯爵家とは関わりのない平民身分となっており、実の父と思われるダンメルス子爵も妻との離縁が成立して平民身分。

 ダンメルス子爵の生家となる男爵家は、違法な人身売買が明るみとなって爵位は剥奪のうえ取り潰しの処分となっている。


「血の偽証についても、書類は全て宮廷に提出済みだし、平民向けの裁判に私は出席するつもりもさらさらない」


 いつでも移動可能です。といった祖父の様子を見て、フローチェが花開くように笑うと、

「君が嬉しいことは僕も嬉しい、確かに僕も嬉しいんだけど・・」

 フローチェの背中に自分の額を押し付けながら、ぐちぐちといつまで言い続けているのだった。

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