第47話  私の女

執事のフランコにとって、オルヘルス伯爵夫人であるダフネは自分の全てでもあった。まだ、ダフネが自身の顔の皺など気にするような年齢では無かった頃に、フランコは二度、三度とダフネを抱いた。


 夫に相手にされないダフネの寂しさを紛らわす為でもあったし、社交界の薔薇とも呼ばれるダフネは、その清楚で可憐な容姿とは違って、性に対して奔放なところがあったのだ。


 全ては仕事にかまけて美しい自身の妻を蔑ろにする夫が悪いのであって、ダフネは何も悪くない。ダフネが自分だけを愛してくれればと思ったこともないではないが、一人だけの男の愛に満足できるような女ではない。常に、誰かしらからちやほやされて、愛の言葉を囁かれなければ満足いかないような女だったのだから。


 伯爵家の嫡男であるミハエルを産んでから十年後、ダフネは二人目の男の子を出産した。その赤子は褐色の髪に母親譲りの紫水晶の瞳を持つ子供で、その耳の形は、フランコにそっくりなように感じたのだった。


 ちょうど、ダフネが身籠った時にも男女の関係を続けていたフランコは、次の伯爵家を継ぐのは次男のマルセンになれば良いと夢想した。伯爵家の長男となるミハエルに、愛する女を救いに行くように唆したのもフランコであるし、無事に駆け落ちが成功するように馬車などの手配をしたのもフランコとなる。


 ミハエルが屋敷から居なくなってからはオルヘルス伯爵も滅多に屋敷には帰らなくなった為、伯爵夫人ダフネと自分に都合の良い使用人だけで揃えるように差配をした。


 料理長や下働きのメイドなどは、どうでも良い人間を雇ったが、ダフネの身近に仕える人間についてはフランコは厳選に厳選を重ねるようにした。


 伯爵が全ての使用人を解雇するという宣言があり、簡単な荷物しか纏められない状態で外へと放り出されることになったのだが、下働きのメイドや厨房に関わる者だけが、荷物もまとめずに、別に集められていた。


「旦那様、その者達はどうされるので?」

 エントランスホールに佇む主人に思わずフランコが声をかけると、

「最低限の人間も居ないようであれば、弟家族も困ることになる。あの者達は、これから面接をした後に、残るか残らないかを選別する予定だ」

 オルヘルス伯爵は灰色となった眉を顰めながら言い出した。


「で・・では・・執事も必要となるわけで」

「貴様は、これから牢屋に入ってもらうことになる」


「はい?」

「ダフネへのプレゼントは自費で賄うべきであったな?」


「は?」

「お前が伯爵家の費用を横領し、ダフネに使っていた証拠はすでに軍部に提出している」


「な・・な・・何故、軍部に?」

「まだわからないのか?」


 伯爵は大きなため息を吐き出すと、ゴミクズを見るような眼差しでフランコを見下ろした。


「精霊なんて御伽話のように感じるかもしれないが、実際のところ、ゴーダに精霊の加護は残っている。北ウシュヤ族との対立に終止符を打ち、南のザイストとの争いに先手を打ったのは誰だ?」


 それは、フローチェの夫となるバルトルト・ハールマンに他ならない。


「戦争では弓矢の代わりに鉄砲を使う世の中となっても、この国では精霊の加護が国を守り続けている。ハールマン家は愛と戦いの加護を持つが故に、王家の血まみれの鉾とまで言われるほどの活躍ができるのだ」


「な・・・」


「ダフネとマルセン可愛さに、フローチェを排除しようとした時点で、お前はハールマン家とオルヘルス家に対して仇なす存在となったのだ。引っ張る理由は横領であったとしても、国の統治を任される王家が果たしてお見逃しになるのかな?」


「そ・・そんな・・」


 今まで妻を寝取られた哀れな主人と、蔑みの眼差しを送っていた相手に、あからさまな侮蔑の視線を送られたフランコは、思わずその場に座り込んでしまったのだった。


 フランコが厳選に厳選を重ねた使用人達が、屋敷の外へと放り出されていく。

「やめて!私は何も悪くない!何も悪くない!」

 暴れながら外へと連れ出されていくダフネと、項垂れたまま顔を上げようともしないマルセンを見送りながら、兵士の一人がフランコの両手を拘束した。


 自分の完璧な世界がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく様を眺めながら、乱暴に、引っ立てられるようにしてフランコは歩き出したのだった。



      ◇◇◇



 ベイエル伯爵家の特徴とも言える紫水晶の瞳を持つ、可憐で美しい、多くの子息をその視線一つで夢中にさせていったダフネが自分の妻になった時、ショルスは天にも昇る心地だったのは間違いない。


 社交界の薔薇と言われた人を妻として、褥を共にし、愛を囁きながら蜜月を過ごす素晴らしさ。その幸せもたった数年で脆くも崩れ去ることになるのだが。


「ショルス!何故、私を見てくれないの?」

「ショルス!ショルス!私の話を聞いて!」

「ねえ!ショルス!今日ね!ミハエルがようやっと独りで立つことが出来たのよ!」


 急の病で父が亡くなり、当主の仕事を急遽引き継いでみれば、借金まみれだった伯爵家の内情が露呈した。


 数年前の大雨による洪水被害に多額の費用を使うことになったのが皮切りとなり、借りた金が返せぬままに、どんどんと膨らむことになったのだ。


 宮廷勤めだったショルスが仕事を辞めて、領主の仕事一本でことに当たれれば良かったのだが、今、伯爵家が借金の全額返済を迫られないのも、ショルスが王宮勤めであるからこそなのだ。


 一族で借金については話し合い、領地は弟が、王都はショルスが担当し、とにかく、事業の一つでも二つでも三つでも成功させて、早急に経済状況を改善させなければならないのだ。


「伯爵家が大変な時ですものね?わかったわ!私に出来ることなら何でも言ってね!」


と、当初は言っていたダフネも、数年も経つうちに文句しか言わなくなってくる。挙げ句の果てには、褥を共にしない自分の代わりに、どこかの男を引っ張り込むようになっていたのだ。嫡男を授かった貴族夫婦は、互いに愛人を持つものだと世間的には言われているが、ショルス自身に愛人など居ない。妻ばかりが楽しい夢の世界を漂っているのだった。


「兄さん、ダフネはダメだ。伯爵家の当主夫人としては失格だよ」


 そう弟が言い出した時には、十年ぶりにダフネは二人目を妊娠していた。


「生まれてくる子供が兄さんの子供とは限らない、不貞を理由に離縁した方が良いんじゃないかな?」

「だが・・私の子供である可能性も否定できないんだよ」


 死ぬとまで叫んだダフネを抱いたのは、ショルスなりに彼女に対しての情が残っていたから。確かに、美しい彼女を女神のように崇拝し、愛し、敬っていた時期はあったのだ。


「生まれてくる子はオルヘルス伯爵家の血を引いているかも(・・)しれないんだ」


 もしも、息子が桃色の瞳をしているのであれば、それは間違いなく自分の息子であるという証でもある。だがまれに、オルヘルスの血を確実に引いても、母方の瞳の色を持つ息子が生まれることもあるのだ。


 生まれ出た息子の紫水晶の瞳を見下ろして、忸怩たる思いをしたのは言うまでもない。マルセンの娘となるエルマの瞳の色を見るまでは、ショルスは汚泥の中をただ、がむしゃらに泳ぎ続けているような日々を過ごしていたのだから。

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