第45話 伯爵家の行方
伯爵はフローチェの前に置かれたティーカップから飛び散った紅茶がテーブルを濡らしていることに気がつくと、
「フランコ、今すぐ孫の前のテーブルをまともな状態にしてくれ」
と、後に控える執事に伝える。
扉の前に控えていた侍女が慌てた様子で駆け寄って来ると、
「君はクビだ」
と、伯爵は言い出した。
「まともに客の歓待もできない使用人は必要ない、クビだ、出て行ってくれ」
「そ・・そんな・・」
ガチャンとフローチェの目の前に音を立てながら紅茶を置いた侍女は、顔を真っ青にして泣きそうになると、
「待ってください!その娘は有能な使用人なのです、辞められたら私が困りますわ!」
と、伯爵夫人が言い出した。
「まともに茶器も置けない使用人が有能だというのか?頭がおかしいんじゃないのか?」
夫の辛辣な言葉に夫人があんぐりと口を開けると、その場の空気を察した執事が、すぐさま侍女を外に追い出し、他の使用人に紅茶を用意するように命じた。
今度は音を立てることもなく紅茶が置かれたけれど、手を出す気が起きない。
砂糖を入れる前から、そこに透明な粉が沈んでいる。今度は塩とか入れられているのかも。
「伯爵、フローチェの紅茶に異物が混入されているようですね。とても彼女には飲ませられないですよ」
隣から紅茶のカップを覗き込んでいたバルトルトが、茶器を伯爵の方へ渡すと、その中身に残る粒の残留を認めた伯爵が、トレイを持って立ち尽くすメイドに向かって投げつけた。
「きゃあっ!」
距離があったため、まともに紅茶をかぶった訳ではないけれど、飛び散った雫が熱かったのか悲鳴が上がる。
「はああ、フランコ、私が居ない間にこんなことになっているとは思いもしなかったな」
「も・・も・・申し訳ありません!」
「もういい!出て行ってくれ!」
震え上がる執事とメイドを追い出した伯爵は大きなため息を吐き出すと、
「フローチェ、我が家の使用人が申し訳なかったな」
と言って、伯爵が頭を下げたのだ。
すると夫人が、ヒステリックを起こすように叫び出した。
「何故!貴方が頭を下げるの!この娘は私の息子を奪い取ったあの女が産んだ娘なのよ!恨みこそすれ、頭を下げる必要はないでしょう!」
プッと噴き出したバルトルトが言い出した。
「社交会の薔薇と言われた夫人も、歳を取ればただの人。いや、過去に美しかっただけに、醜悪な怪物となってしまったのですね」
「母を侮辱するのはやめていただきたい!」
フローチェの叔父にあたる人なのだろうか?挨拶も自己紹介もされていないので、誰なのか理解できていないのだが、大きな声とともに吐き出される酒臭い息で鼻が曲がりそうになる。
フローチェが思わず息を止めて自分の背中をソファに押し付けると、笑いを堪えられないといった様子で、
「マルセン殿、貴殿は毎日、どれほど酒を食らうのだろうか?息が臭すぎてフローチェがまともに息をすることも出来ない。席を移動して部屋の奥の方で立って居てくれないだろうか?」
バルトルトがアクアマリンの瞳をギラギラ光らせながら言い出した。
バルトさん!何故、喧嘩腰!初っ端から喧嘩腰過ぎますよー!
「まあ!うちの息子の息が臭いですって!甘ったるいフローラルの香りじゃない!」
「夫人は耳鼻科に行った方がいいですよ、貴方の息子の息の臭さは相当です」
「ふざけたことを言わないで!」
「マルセン、とにかくお前は水を飲め」
伯爵自らコップに水を注いでマルセンに渡したため、マルセンも目の前の水を飲まなければならなくなった。
伯爵は息子が水を飲み干すのを確認すると言い出した。
「確かにお前の息は酒臭い。席を移動し、ダフネの後に控えるようにして立ちなさい」
「ええ?そこまで臭いかな?」
自分の口元に両手を当てて息を吐き出して、匂いを嗅ごうとしているけれど、本当に臭いです。胃が悪いんじゃないんでしょうか?そんなことを考えながらフローチェが移動する叔父を眺めていると、夫人が伯爵を睨みつけながら言い出した。
「貴方、息子のミハエルが駆け落ちをした時点で、ミハエルは伯爵家から籍を外したも同じこと。そのミハエルの娘がポッと現れたからって、この娘は貴族の娘ではありませんわ!」
夫人の言葉に答えもせずに、無言のまま伯爵が足を組むと、夫人の怒りに火がついた。
「貴方っていっつもそう!自分の都合が悪くなると黙り込む!そんなだから、子供達についてもまともに話し合うことすら出来ない!いつでも私をほったらかして!そうして私が決めたことには何でも難癖をつける!」
怒りの形相となった夫人は、自分の肩に置かれた息子の手の上に自分の手を重ねながら言い出した。
「私は!自分の子供であるマルセンに伯爵家を継がせます!誰が何と言おうと継がせます!こんな、教育の一つも受けて来ていない小娘と、下位の伯爵家のしかも三男!三男よ!そんな男に伯爵家を譲り渡しはしません!」
ソファに座る夫人の手を、後に立つフローチェの叔父は握っているのだが、まるでバルトルトがフローチェにするように、指の腹で夫人の手を撫で回しているのが気持ち悪い。
目の前の伯爵夫人が、男爵家の娘だった母を追い出し、二十歳も年上の男性に嫁がせようとしたというけれど、父から母を排除するために、この夫人だったら即座に決行するだろうとフローチェは考えた。
夫人は母を追いかけた父が自分の言う通りに動かなかったから、今度は父の弟となる叔父をコントロールするつもりでいるのだろうか。いやいや、この目の前の叔父こそが、この年老いた夫人をコントロールしているのだろうか?
何としても関わりたくない。
父の実家はハールマン家とは別の意味ですごすぎる。
ため息を思わず吐き出すフローチェの方を、鬼の形相で夫人が睨みつけて来た為、今度はどんな罵詈雑言が自分に向かって投げかけられるのだろうかと、思わず体を強張らせながら待ち構える。すると、
「あの、すみません、一言いいですか?」
と、小さく挙手をしながら、にこやかにバルトルトが言い出した。
「そこの、夫人の後ろにいるマルセンさん、確かに彼は夫人の実の子供ですけど、父親は伯爵ではないですよね?」
「「はあ?」」
空気が凍りつくとはこのことだろう。
ぎゅっとバルトルトがフローチェの手を握ってくれたから、なんとかこの場に留まることが出来たのだけれど・・
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