第44話 全員集合
「夫の伝言のためにその妻が登場するか・・」
市井に暮らす愛人の家で目を覚ましたのは昼近くになってのこと。今日は、オルヘルス伯爵邸に姪が現れて結婚の報告をする予定でいるのだ。伯爵家の次男として生まれたマルセンは、自分が顔を出す気などさらさら無かったのだが、ダンメルス子爵夫人が愛人の家までやってきて、マルセンも顔を出すようにとの伝言を伝えて来たのだ。
「挨拶後は、姪御様の夫のみ軍部へ挨拶に出向くとのことで、一人で帰宅の隙を突いて誘拐に踏み切るそうです。今日、誘拐されるというのに、祝いの場に貴方様が現れなければ痛い腹を探られることになるだろうとのことで」
「ふーん」
ダンメルス子爵は自分の嫁のことを地味だ、地味だと言っているが、なかなかの美人だとマルセンは考えた。子爵よりも十二歳も年下だと聞いていたが、子爵が嫁を捨てたら自分が貰ってやっても良いかもしれない。
「ねえ、あなた?誰が来ているの?」
「ちょっと、仕事の伝言を受け取っただけだよ」
「パパ!お昼ご飯が出来たよ!」
八歳になる愛人の子がマルセンに飛びついてきた。自分そっくりの紫水晶の瞳に栗色の髪をした女の子で、マルセンは少女の頭をグリグリと撫でながら笑みを浮かべる。
「パパはお昼を食べたら仕事に行くよ」
「すぐに帰ってくる?」
「仕事次第かな」
本当なら顔合わせに行きたくなかったのだが、誘拐を今日行うと言うのなら、顔合わせの場には出ておいた方が良いだろう。
愛人が差し出した糊の効いたシャツを羽織り、漆黒のスラックスを履いて、この家では常にボサボサの頭を綺麗にポマードで固める。
「パパ!いつも身だしなみに気をつけていたらいいのに!」
「いつもは嫌だよ〜、仕事がある時だけで十分だって〜」
「あなた、いってらっしゃい」
「マリア、エルマ、行ってくるね」
二人にキスを贈ってから外に出る。乗合馬車に乗るような格好ではないため、途中で馬車を雇って菓子折り片手に一人で馬車に乗り込んだ。
まさか、ダンメルス子爵夫人が再び愛人宅へ戻っているとも知らずに、呑気に鼻歌を歌いながらマルセンは伯爵邸に向かうことにしたのだった。
◇◇◇
平民として育って来たフローチェは、貴族の家に行くこと自体が怖いのだ。結婚が決まった日から貴族令嬢たちに呼び止められ、時には頭から紅茶をかけまわされながら、罵詈雑言を吐かれ続けたフローチェとしては、ちょっとどころではない恐怖心のようなものを抱いている。
そんなフローチェの怯えに気が付いたハールマン家の使用人たちは良くしてくれたし、ハールマン伯爵邸に住み暮らす義母や長男の嫁、時々遊びに来る義姉も、こちらが恐縮するほどざっくばらんに接してくれる。
次男となるファビアンの奥様は王都から離れた領地に住んでいるのでご挨拶は出来なかったけれど、同じように気さくな性格の人だと教えて貰えた。ハールマン伯爵邸で住み暮らす分には、フローチェには何の問題もないのだ。おそらく、ハールマン家は他の貴族とは全然違うから。
長男御一家には三人の子供がいて、とにかく可愛いし、一緒に遊ぶのも楽しいし、フローチェはバルトルトに愛されながら、のびのびと過ごす事が出来たのだ。
王都を訪れてから数日後、祖父母と顔を合わせるのは初めてのことになるフローチェは、バルトルトと共に結婚の挨拶をするためにオルヘルス伯爵邸を訪問することになったのだが、出迎えに出た執事の態度からして最悪だった。
フローチェは通りかかる使用人たちからあからさまに憎悪が滲んだ視線を向けられ、カーテンを閉め切ったままの応接室に案内され、目の前に紅茶を置かれた時にはガチャンと音がするほど乱暴に置かれたのだ。
フローチェが驚き慌てて体を強張らせると、隣に座るバルトルトがフローチェの頬にキスを落とし、握った手を指先で優しく撫で始めた。
紅茶と茶菓子を目の前に置いて立ち去ろうとした侍女の一人が、ちょっと見惚れた様子で色気たっぷりのバルトルトに視線を送ったことには気がついたが、フローチェはそのまま無視することにした。
そうして、誰も訪れないまま三十分ほど経過したところで、開かれた扉から年取った婦人と、その息子らしき男性が入って来たのだった。
二人がフローチェとバルトルトが座る向かい側のソファに腰を下ろすと、使用人たちが恭しく紅茶を注ぎ、流行の菓子を並べていく。
菓子が乗せられた皿が、フローチェからやたらと離れた場所に置かれたことからも分かるとおり、使用人たちの悪意はフローチェに向かってまっすぐ伸びている。
今日もまた、頭から紅茶をかけられることになるのだろうか。フローチェの中では、何かの飲み物を頭からかけるのがお約束となっているし、熱いままの紅茶じゃなければ良いけれど、と、そんなことまで考えている。
そんな暴挙をハールマン家の男(バルトルト)が許すわけがないのだが、そこのところの理解がまだ浅いフローチェなのだ。
「こんな暑い日にわざわざやって来てご苦労なこと」
伯爵夫人は挨拶もせずに開口一番にそう言うと、
「貴女なんかに伯爵家は譲りませんから、伯爵家はこのマルセンが継ぐことで決定していますのよ」
憎々しげにフローチェを睨みながら言い出した。
伯爵夫人の隣に座るのは、昔は色男だったのだろうけれど・・と、想像できるような、酒太りをしたおじさんだった。顔立ちは、年老いても美しい伯爵夫人によく似ている。髪の毛の色だけが父とちょっと似ているのかもしれない。
「母上、ようやっと兄上の娘御と再会出来たのだから、出会い頭から喧嘩口調なのはどうかと思いますよ」
マルセンは母を宥めるように言いながらも、まるで値踏みするような視線をフローチェに向けてくる。まるで服の下にあるフローチェの体を想像しているような、いやらしい目つきだった為、フローチェが体を強張らせると、
「今日は、オルヘルス伯爵はご在宅だとお聞きしていたのですが?」
バルトルトが失礼にならない程度に問いかける。
すると、伯爵夫人はパチンと鳴らして扇子を閉じながら、
「ハールマンの三男に何かを話して良いと許した覚えはないのだけれど?」
と、居丈高に言い出した。
ああ、このお婆さん、私は大嫌い。
そういえば、いつもは温和な死んだお母さんが、嫌悪感を躊躇なく露わにするのが、このタイプの女性だったかも。
「それでは、今すぐオルヘルス伯爵を呼んでくれませんか?貴女では話にならないので」
バルトルトが肩をすくめながら言うと、
「なんて無礼なんでしょう!フランコ!フランコ!早く来てちょうだい!」
目の前のお婆さんが大声を上げ始める。
すると、すぐに現れた執事に向かって、
「この無礼な二人を追い出してちょうだい!」
と、言い出したのだが、その執事の後ろから老齢の男性が現れたため、執事は困り果てた様子で右往左往している。
この伯爵邸の使用人は夫人に仕えることに心血を注いでいるように見えるけれど、やはり、夫人よりも地位が上なのは伯爵本人になるわけだ。
フローチェとバルトルトが立ち上がると、伯爵はバルトルトとまずは握手をすると、
「ショルス・オルヘルス伯爵だ、フローチェ、君とは初めましてということになるな」
そう言ってフローチェとハグを交わしたのだった。
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