第43話 パパの圧力
頸動脈を一瞬で圧迫されたのだろう。意識を失うのは一瞬のことで、しばらくすると浮上するように意識を取り戻していくことになる。
馬車の床に転がされていたらしい子爵は、自分の目の前に鮮やかな深紅のドレスが広がっていることに気がついた。
パトロンのうちの誰か一人が悋気を起こして、子爵の誘拐に手を出したのだろうか?そう思いながら顔を上げると、そこには、先ほど顔を合わしたばかりの妻の姿があったわけだ。
「なるほど、貴方は妻に送ったプレゼントにすら気が付くことがないのですね」
先ほど、庭園で拾ったブローチを指の中で弄びながら妻はため息まじりに言い出した。
「閣下、確かに私はこの男と離縁をし、この男の身柄は閣下へお渡しすることに致しましょう」
「いいのか?身柄の引き渡しには思うところがあったようだが?」
「いいのですよ、年増の女のところをふらふら歩いているだけで、大した仕事もしない男だったのですから」
どうやら自分は手と足を縄で縛り上げられているらしい、無理やり床から顔を上げてみると、妻の向かい側の席には、軍部に所属するハールマン伯爵がどかりと座りこんでいたのだ。
「は・・伯爵?これは一体どういうことでしょうか?」
「うん?こうなっても分からないか?」
伯爵が狭い馬車の中で足を組むと、伯爵の靴底が子爵の目の前までやってくる。
「ダンメルス子爵、我が国では家の乗っ取り行為は重罪だと言うのは知ってのことだと思うのだが?」
伯爵が靴底を子爵の額に押し当てているのはわざとに違いない。
「うちの嫁の祖父にあたる人の家がさる伯爵家でな。そこで軍部を利用して調査をしたところ、子爵がお家乗っ取りを企んでいることが判明したのだよ」
「はい?」
子爵の心臓はもはや口から飛び出すのではないかと思うほどの早鐘を打っている。
「それ以外にも、ポロポロポロポロ、悪巧みの証拠が出てきているものでね。子爵は婿入りであろう?であるからして、夫人に相談させて頂いたのだ」
「夫とは結婚をし、子供も一人授かりましたが、以降、居ても居なくても同じでしたの。空気みたいな人だったんですけど、そのまま放置していたのが間違いだったのかもしれません」
「き・・き・・貴様!誰のおかげで商会が大きくなったと思っているんだ!」
「最先端の流行を探し出して輸入しているのは私、貴方はそのご自慢の顔を使って馴染みの夫人に売り飛ばしているだけのこと。こちらも利益があるので見逃してきたのが、そもそもの間違いだったのでしょう」
「誰の商会だと思っているんだ!」
「男爵が経営する潰れかけた商会をうちの子爵家で買い取る際に、おまけとしてついて来たのが貴方だったというだけのこと。今となっては、不良品以外の何ものでもないけれど」
「ダンメルス子爵、ああ、離縁の手続きは進めているので、もうすぐ子爵ではなくなるのか。貴方が犯した罪が大きすぎる故に、生家である男爵家の没落は決定している」
伯爵の無情の言葉に、
「はあああああ?」
子爵は驚嘆の声を上げた。
「子爵夫人は夫が犯罪に手を染めていることに気がついて、自ら証拠を掻き集めて我々へ提供してくれた。情状酌量をつけることが出来るだろうと私は判断する。まだお子も小さいことと思うため、こちらも出来る限りの手は打とう」
「伯爵様の御温情、決して忘れは致しません」
頭を下げる妻を見上げながら、待て!待て!待て!待て!と子爵は心の中で雄叫びを上げた。
「ちょっと待ってくれ!さっきお前は!私の身柄引き渡しに思うところがあると言っていたじゃないか!私はお前の夫だぞ!助けてやろうとは思わないのか!」
「いいえ、全然」
妻は子爵の顔を踏みつけながら言い出した。
「子の父親となるため、その先処刑ともなれば、哀れにも思ったのですが」
「処刑!」
「記念のプレゼントすら忘れ果て、どこかに売り飛ばそうと算段する姿を見るにつけ、何を同情する必要があったのだろうかと反省することにしたのですよ」
妻にぐりぐりと踏みつけられながら子爵は涙を流した。
「わ・・私は・・お前に与えたプレゼントを忘れたりはしない!妻のブローチが何故ここにあるのか疑問に思い!拾い上げただけのこと!」
「それにしては、宝石の原石を見つけて、何処の店に卸そうかと考えている時と同じような表情を浮かべているように見えたのだが?」
伯爵が太い両腕を自分の胸の前で組むと、
「田舎から出て来た垢抜けない令嬢に声をかけ、借金まみれにした挙句に売り飛ばすということをやっている子爵だから、何かを金にすることについては一つの才能があるのだろうが」
顔を踏みつけていた足を上げて、子爵の胸板を踏み潰す勢いで足を下ろす。
「その悪巧みの一つに、我が家に嫁いだ嫁の誘拐、および転売が計画されているのはどういったことなのであろうな?」
「ぐええええ」
肋骨がボキボキと音を立てながら折れる音を聴きながら、子爵は絶望し、頬を涙がこぼれ落ちた。全てが伯爵にばれている、子爵の未来は暗闇の中へと堕ちたのだ。
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