第39話  社交界の薔薇

 社交界の薔薇と言われ続けたオルヘルス伯爵夫人は、歳を重ねても尚、美しい。現在も格式高いオルヘルス伯爵家の当主夫人とあって、例え格上の侯爵夫人であっても下にも置かぬ扱いをするのがダフネとなるのだった。


 その日、ダフネは、公爵夫人からのお誘いを受けてお茶会に参加していたのだが、招待客の中の一人である、アンシェリーク・アールデルス伯爵夫人の発言は耳を疑うようなものだったのだ。


「わ・・わ・・私の孫娘が見つかったというのですか?」


 あまりの話の内容に、ダフネが驚きを隠せずに居ると、色鮮やかな扇を開いたアールデルス伯爵夫人は、にこりと笑って公爵夫人の方へと体の向きを変えた。


「ご親族に許されず、愛する人と駆け落ちをしてまで一緒になったミハエル様でしたけれど、可愛らしいご令嬢を授かっていたというのです。その令嬢を辺境の街で見染めたのが、バルトルト・ハールマン司令官なのだそうで」


「まあ!まあ!まあ!それではハールマン家の男に見初められたということになるのかしら?」

「辺境の地で運命の出会いをされたのね!素敵!」


 公爵夫人はダフネと同世代となるのだが、宰相の妻となるアールデルス伯爵夫人は息子たちと同世代ということになる。更には、その伯爵夫人の娘世代までこのお茶会には集まっていた為、はしたなくもはしゃいだ声がそこかしこで湧き上がる。


「まあ!ダフネが幾ら探しても見つからなかったミハエル様の消息が知れてよかったわね!」

 駆け落ちした息子の消息が知れたのだ。公爵夫人にそう言われて仕舞えば、嬉しそうに笑みを浮かべるより仕方ない。


「それで?ミハエル様とその伴侶の方は、今はどうされているの?」


 公爵夫人の問いかけに、宰相の妻は悲しそうに瞳を揺らしながら言い出した。

「ご夫妻ともに、すでに亡くなっているそうです」

「まあ!なんということかしら!」

 

 大きなため息を吐き出した公爵夫人は、隣に座るダフネの手を握りしめると、

「ご子息様が亡くなられていたという悲しい事実が明らかとなったけれど、ご子息は娘御を貴女たちに残されたのだわ。悲しみの中にも、幸せは残されているのよ」

 励ますようにして声をかけてくれたのだが、ダフネとしてはそれどころではない。


「しばらくの間、オルヘルス伯爵家は後継者不在の状態となっていましたけれど、ダフネ様もこれで安心ですわね」


 アンシェリーク・アールデルス伯爵夫人は、美しい笑みを浮かべながら言い出した。


「ミハエル様が残された落とし胤、娘御になるそうですが、すでにバルトルト・ハールマンと婚姻の儀を行っているということなのです。今回の戦果を報告するために、一度、王都に上がるそうですから、ダフネ様も自分のお孫様とその時に顔を合わせることが出来ますわね!」


 すると、アールデルス伯爵夫人の取り巻きの夫人たちが言い出した。


「バルトルト・ハールマンと言えば、異民族との争いに終止符を打った英雄とも言われているのではないですか?今回も赴任早々、敵国の奇襲を蹴散らし、敵の領土をも自国の占領下としたため、王都でも呼び声が高いのですもの。オルヘルス伯爵家の後継者としてこれほど相応しい方もいらっしゃらないでしょうね?」


「ゴーダでは女性でも爵位が継げますもの。お孫様に女伯爵となってもらい、バルトルト様がお孫様を支える形となれば、オルヘルス伯爵家も安泰ですわね!」


「と・・と・・とんでもない!伯爵家は息子のマルセンが継ぐことで決定しているのですよ!勝手なことを言わないでくださいませ!」


 ダフネには二人の息子が居た。伯爵家の嫡男として生まれたミハエルは、男爵の娘との結婚を反対されて出奔。ミハエルの十歳年下となる息子のマルセンは、器量も良く、女性からの人気も高いのだが、なかなか結婚しないというところが問題でもあったのだ。


 仕事人間であるダフネの夫ショルスは、今も現役で働いており、息子へ爵位の継承など考えてもいない。マルセンが結婚でもすれば、夫も伯爵位を息子に譲ることを考えるのだろうが、未だに結婚していないのだから仕方がないと思っていたのだが。


「ダフネ様、私は見つかった孫娘様を見て判断するべきだと思いますわ」

 公爵夫人は慈愛に満ちた眼差しでダフネを見つめた。

「最近ではショルス様のご負担も大きくなっていることでしょう?有能な婿を迎えて少しでも楽になったほうが良いのではなくて?」

 

 ダフネの愛する息子マルセンは、良い年をして王宮に仕えることもなく、父親の仕事を手伝うでもなく、親の脛を齧って生きているような男だった。


「やろうと思えばいつでもやれるから!今はまだやるべき時じゃないんだよ!」

というのがマルセンの口癖で、

「だったら貴方!マルセンに伯爵位を継がせてみましょうよ!」

と、ダフネが言っても夫は首を縦には振らないのだった。


 爵位さえ継げば息子のやる気のスイッチも入ると思うのに、夫が爵位を手放さないから、見たこともない孫娘に爵位を継がせるだなんていう話になるのだ。


「マルセンは、やれば出来る子なんです!やる気になりさえすれば、きちんと爵位を継承出来ますし!オルヘルスに相応しい当主になれるんです!」


 思わずダフネが声を挙げると、周りの貴婦人たちは呆れた様子でダフネを見つめたのだった。一瞬、居心地の悪い空気が広がったところで、

「自分の子を溺愛する母の気持ちは分かりますのよ?」

と、宰相の妻であるアールデルス伯爵夫人が訳知り顔で言い出した。


「ダフネ様のお考えについては、察することは出来るのですが・・」

 扇で口元を隠しながら、小さく肩をすくめて、

「理解することは、わたくしには到底、出来そうにありませんわね」

 と言い出したのだった。


 アールデルス伯爵夫人の小賢しい言動に即応するように、取り巻きの夫人たちがクスクスと笑い出す。そこに注意をするつもりはないようで、公爵夫人はダフネの方へは目もくれずに紅茶のカップを手に取った。


 宰相の妻は、息子ミハエルと同世代。ミハエルと恋仲になったあの女と友人関係にあったというだけあって、賢しらげで、ダフネの神経を根底から逆撫でするようなタイプの女なのだ。


 公爵夫人主催の茶会だからこそ、ここまで大きな顔が出来るのであって、他の茶会であればオルヘルス伯爵家は格上の家となる。


 見たこともない孫娘の伴侶が、あの、変人として有名なハールマン家の男だとしても、ハールマン家なんてオルヘルス伯爵家と比べれば遥かに格下の相手ではないか。


「ダフネ様、怒らないで」

 そっとダフネの肩に手を置いた公爵夫人はダフネの耳元で囁くように言ったのだった。


「年取っても美しい貴女は私のお気に入りでもあるのよ?だからこそ、節度は弁えてね」


 はあ?節度を弁えるとはどういうことなのだろうか?

 相手は格下のアールデルス伯爵家、幾ら夫が宰相職に就いているからといって、馬鹿にされる謂れは一つもない。


「伯爵はよっぽど、貴女を甘やかして育ててしまったのね」


 公爵夫人はそう言って小さなため息を吐き出すと、侍女に用意した菓子を運んでくるように命じたのだった。この日は初夏とはいえかなり暑い日だった為、運ばれてきた鮮やかな色合いの冷菓子に、皆が喜びの声をあげたのだ。

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