第31話 性悪なあの娘
ブローム会計事務所に勤めるキストとベレンセは、将来的には親族が経営する商会で働くことも視野に入れて、会計事務所に勤め始めることとなったのだ。
会計事務所に入ると、二人よりも年下となるフローチェ・キーリスが二人に仕事のイロハを教えることになった。フローチェは栗色の髪に桃色の瞳の、まるで花の妖精のような美人であり、二人が密かに盛り上がっていたのは言うまでもない。
王都から田舎町へ凱旋帰国したようなものだと考えた二人は、スマートな都会人ぶって何度もフローチェを食事に誘ったのだが、その誘いに一度としてフローチェが乗ることはなかった。
どうやら、商会に勤める男にこっぴどく振られた経験があるらしく、男性に対して警戒してしまうのだと話に聞いた二人だったけれど、きっと、フローチェは二人のどちらかに夢中になるだろうと考えた。
浮かれた気分だったキストとベレンセだったけれど、浮かれついでに仕事のミスを連発して、フローチェは二人にミスの指摘をして改善するように命じることになったわけだ。
これが二人には気に食わない。あくまで年下のフローチェは、王都帰りの自分達よりも劣っている存在で居なければならないのであって、自分達よりも上の存在で居て良いわけがないのだ。
そうした二人の高いプライドがフローチェとの間に分厚い壁を作っていくことになるのだけれど、その後、そんな二人を尊敬の眼差しで見つめる女性職員が現れる。
先輩職員であるフローチェの下で働くことになったマリータは、ピンクブロンドの髪に新緑の瞳を持つ可愛らしい女性で、いつでも、二人を頼りにしながら必死になって働いている。そんなマリータを注意して虐めるのがフローチェだった為、二人は自分たちでか弱いマリータを守ってやらなくてはと考えた。
マリータが質問することは何でも答えたし、資料集めだって協力をした。
「先輩!本当に有り難うございます!先輩、大好き!」
と言われるだけで、自分がしてきたことが報われたような気がしたのだ。
まさかそれが敵国へと流すために用意された情報だったなんて、思いもしない、思いもしなかったのだ。
「敵国へ情報を流すことになったキスト君、ベレンセ君、君たちが法で裁かれることになったら、売国奴として君たちの一族全てが捕まることになるだろう」
軍に出頭することになった二人は、即座に泣いて謝罪したのだが『売国奴』のレッテルを貼り付けられれば、後は処刑か強制収容所行きのどちらかだ。
「君たちが我々に協力をするというのなら、今回のことは不問としよう。さあ、どうする?我々に協力するか?法の裁きを受けるか?」
キストとベレンセは揃って軍への協力を申し出た。
その日のうちにティルブルクを出た二人は、泳いで隣国ザイストへと渡り、ザイスト側に残った親族の家をまわり、現在の窮状から脱するためにはゴーダ王国の支配下になった方がよっぽど良いと説得してまわることになったのだ。
国境の街トゥーンに滞在していた二人だけれど、想像以上にザイストの人々が貧困に喘いでいる現実を知った。ただでさえ生活が苦しいというのに、軍のために自分たちの食糧を提供しなければならないという事態にまで陥り、忸怩たる思いを抱くようになったのだった。
貧しい者は貧しいまま、虫ケラのように這いつくばって生きるしかなく、有力者の庇護下にある者だけが得をする。浮かばれない貧しさの中で潜伏している間に、二人は裏の仕事を請け負う人間から声をかけられることになったのだった。
「ゴーダ王国側の司令官の嫁を誘拐するっていうんだが、現地の地理に詳しい者がいた方が良いだろうって話になったんだ」
ベレンセの叔父が信用が置けるからという理由で、二人に声がかけられたのだが、その誘拐を手配しているのがマリータだということを知った二人は、再び、川を渡ってティルブルクに戻ることにしたのだった。
顔を隠して参加したベレンセは、マリータがここまで性悪な女だとは気がつきもしなかった。今まで盲目的にマリータを信じた自分を強く恥じた。今までフローチェを悪者に仕立て上げたマリータの悪辣さにも気が付かず、彼女を擁護し続けていた自分を殴り飛ばしてやりたい。
ザイスト側の人間と合流予定の空き家へとフローチェを運んだベレンセは、
「いいから!早くやっちゃって!」
というヒステリックなマリータの声を聴きながら、腰のナイフを引き抜いた。
フローチェが傷つかないように引き寄せ、喉もとにナイフを突きつけながら、
「茶番です、少しだけ付き合ってください」
と、彼女の耳元に囁くと、目を見開いたフローチェは自分を捕まえているのがベレンセだと気がついたようで、小さく頷き返したのだった。
散々、自分はフローチェを悪者にして文句を言ってきたというのに、今、こんな状況でも自分を信じてくれるフローチェに対して胸の中が熱くなる。
「マリータ!お前の裏切りはすでにバレているんだよ!」
ベレンセの言葉に周りの男たちがギョッとした様子でマリータを見下ろした。
「お前はゴーダ王国に寝返った二重スパイだ!」
「はあ?なに?意味がわかんないんだけど!」
「お前はザイストの支援を受けていながら、ゴーダの軍人に惚れてしまったんだろう?」
「えええ?なに?なに?なに?はあっ?貴方、ベレンセ?なんでベレンセがこんなところに居るの?」
今まで後に控えていたというのに、ようやっとベレンセの存在に気がついた様子のマリータが呆れたような声をあげている。
「ベレンセ・・あなた」
「お前はティルブルクの司令官、バルトルト・ハールマンに恋慕の情を抱き、だからこそ、ここで妻となる人を凌辱しようと企んだ!」
「なにを言って」
「我々が凌辱している間に時間を稼ぐつもりだったんだろう!そうして、自分はゴーダ軍を呼び込み、我々を一網打尽にした上で、陵辱された妻に愛想を尽かした司令官の心を虜にするつもりだったんだろう?」
ベレンセは仕事のレベルはどうであれ、頭の回転だけは早い男なのだ。
次から次へと嘘とでまかせを並べながらも、周りの男たちはベレンセの言葉を信じ込み、ギョッとした様子でマリータを取り囲む。
「そもそも、敵地で女を陵辱しろと言うこと事態が理解出来ないだろう!お前はここで司令官の妻を排除したい!ただそれだけの理由で俺たちに命令をしているのだからな!」
「嘘よ!嘘よ!嘘よ!全部嘘!ベレンセが言っていることは全て嘘よ!」
マリータは新緑の瞳を潤ませ涙ながらに訴えたが、いつもであれば庇護欲をそそる態度も、男たちの猜疑心を掻き立てるだけの効果しかない。
「俺たちの命令は誘拐までだった!俺は女を陵辱しろなどと命令は受けていない!そりゃそうだろう!こんないつ敵が来るか分からない場所で女なんか抱いてみろ!丸腰状態で簡単に捕まえてくれと言っているようなものじゃないか!」
最後のベレンセの言葉が決定打となって、マリータは窮地に陥ることになった。確かに、ここでフローチェを陵辱するなどという話はルドルフとの間にも出ていない。フローチェを複数の男たち襲わせるのは、マリータ単独の計画に他ならない。
マリータを糾弾するベレンセがナイフの刃先をフローチェに向けたままなので、男たちもまさかベレンセが裏切り者だとは思いもしない。そうしてベレンセが時間を稼いでいる間に、遂に外で発砲音が轟き、ドアが叩き破られることになったのだ。
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