第29話  思い通りにいかない

発砲音がした方へと駆けて行くと、女性兵士を拘束したカルラが、

「フローチェ様が誘拐されました!」

 泣きそうな顔で言い出した。


「一瞬の隙を突かれました、誘拐犯は5名、手引きしたのは第十二部隊所属エスメル・マウエンです!今すぐの尋問をお許しください!」


 腕を捻り上げたカルラが骨を折りにかかった為、悲鳴をあげたエスメルが、

「痛い!痛い!痛い!私は司令官をお助けしたかっただけだって!あばずれの悪女から司令官を助けるために!良いことをしただけだから!」

と、言い出した為、バルトルトは腰から拳銃を引き抜き、その銃口をエスメルの額に押し付けた。


「誰が言った?誰がフローチェがあばずれの悪女だと言ったんだ?」


 撃鉄を起こしたバルトルトが銃を握る手に力を込めた為、

「マリータが!マリータが言っていたんです!」

 エスメルが叫ぶのと同時に、カルラがエスメルの腕を折った。


 激痛に泣き叫ぶエスメルを押さえつける、

「殺したら情報が引き出せません!」

 カルラの言葉にバルトルトは眉を顰めた。


 フローチェが誘拐された、その誘拐にはマリータ・スラウスが絡んでいる。

「この女、確か男爵家の娘だったはずです」

 後から追いかけてきたアダムはそう言ってライフルをバルトルトに投げると、

「これを理由に貴族どもを拘束します!貴方は行ってください!」

と、言い出した。


 本来ならば司令官がこの場を離れるなどあってはならないことだけれど、フローチェの為なら簡単に軍など辞めてしまうのは目に見えているため、アダムは先手を打ってバルトルトをこの場から解放することにしたのだった。


「マリータには人を付けているので、外に出れば案内があると思います!」

「すまん!後は頼んだ!」


 走り出すバルトルトを見送りながら、

「骨を折るなんて酷すぎる!酷すぎる!」

と、泣き叫ぶエスメルに対して、

「命拾いをしたのがまだ分からないか!」

と叫んだカルラが殴りつける。


 エスメルは男爵家の四女、これでフォンティドルフ領の貴族たちは破滅の道を進むことが決定したも同じこと。


「お前、本当にバカだな」


 司令官との恋まで妄想してしまうようなエスメルは、敵にとっては都合の良い駒であっただろう。このエスメルの所為で、国境警備隊も、結婚式に集まった貴族たちも、揃って窮地に陥ることになる。



      ◇◇◇



 バルトルト・ハールマンの結婚式は予定通り行われた、主だった上級将校も式には参加しており、司令官の結婚を祝して、国境警備隊すべての兵士が街へと繰り出し、貴族向けのアピールとして全体警護を行うこととなる。


 これから起こる隣国ザイストとの決戦に備えて、貴族連中から金を巻き上げるという魂胆なのだろう。兵舎から出てくる兵士は完全武装となってはいたが、

「パフォーマスだよ!パフォーマンス!」

と言う呑気な言葉を信じ切ってしまったのが間違いだったのだ。


 司令官となった男は長年膠着状態だったウシュヤ族との戦いに終止符を打った男、国王たっての願いでティルブルクへと派遣された男なのだ。


 恋人を溺愛しているという情報に偽りはないと思うのだが、戦争一歩手前といった状態で自身の結婚式を強行すること自体が異様だったのだ。


「まさか・・まさか・・まさか・・」


 マリータとわかれたルドルフは部下を連れてティルブルクの街を脱出しようとしたのだが、街は完全に封鎖され、あちこちで銃声や野砲が轟だした。ティルブルクの街は古くからある城塞都市が発展した形をとっている。


 そのため、街全体が城壁に囲まれているため、東西南北に位置する大門の他、商人が出入りするための小さな門まで国境警備隊により閉鎖されていた。


 小高い丘にある背の高い木に登って街全体を確認したところ、司令官の結婚式を祝うために行われた形ばかりの全体警護などでは決してない。酒を飲んで暴れる人間の一人もいない。あちこちで火の手が上がり、銃声が轟く街からスヘルデ川の方へ視線を転じてみれば、野砲が発射される音が遠くに連なるようにして響いていることに気がついた。


「まずい・・まずいぞ・・」


 城壁の上では、敵を迎え撃つために狙撃兵が用意されている様が黒い粒のように浮かんで見えた。ザイスト側の奇襲はすでにゴーダ側に漏れている。


「隊長、どうします?」

「今、街から脱出するのは難しいです!再び潜伏した方が良いのでは?」


 火の手が上がっているのは、ルドルフが管轄下とするアジトがある方角ばかりだった。こちらの情報を敵が把握しているとするのなら、一度でも利用した場所に戻るのは悪手だ。


「こうなったらマリータと合流するしかない」

「マリータですか?」

「奴が無事に司令官の妻を誘拐出来ていたら、交渉の材料として使えるだろう?」


 バルトルト・ハールマンが溺愛する新妻を連れて国境まで移動する。ザイスト軍は浅瀬を利用してスヘルデ川の渡河に成功したという情報まで手に入れているが、その後、どうなったのかを早急に確認しなければならない。


 確かに最近、ヌーシャテル領にティルブルクの人間が入り込んでいるという話が出ていたが、ヌーシャテル領の領主は圧政を敷いていたため、領民は虫ケラ程度の価値しかない。例えゴーダ王国の人間が入り込んだとしても、何もすることなど出来ないだろうと侮って居たが、次第に不安が大きくなっていく。


「今すぐ移動するぞ!」


 部下を従えながら闇の中をルドルフは移動しながら、同じように闇を移動するゴーダ王国の精鋭部隊の姿をルドルフは見つけた。全ては上手くいっていたはずなのに、焦燥感ばかりが大きくなる。


 ゴーダ王国側がまだ知らないスヘルデ川の渡河方法を発見し、密かに大軍をヌーシャテル領に用意する。糧食については現地調達としてヌーシャテル領の食糧庫は空となってしまったが、穀倉地帯が広がるゴーダ王国のフォンティドルフ領を占領下とするのだから問題ない。食料が無くなったと言っても、たった数日のことではないか。だから大丈夫!大丈夫だ!


 民心を軽視するザイスト王家の心情は、下々の者にまで伝播する。そうして虐げる者と虐げられる者とで明確に分断していく隣国ザイストは、見る人間によっては、隙だらけにしか見えなかったりするのだが、

「我らが敗北するなど有り得ぬことだ!ティルブルク脱出後は即座に国境の軍と合流するぞ!」

 現実を見つめられないルドルフは、自分の都合が良いように考える。


 そうして誘拐したフローチェを隠す予定の空き家へと足を向けたルドルフは、木々の間で吹っ飛ばされるようにして転がったのだった。

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