第28話  彼女を利用するだけの男

 フォンティドルフ領を統治するボスフェルト侯爵は、引き攣る顔を必死に元に戻そうとしながら、

「ハールマン司令官も、こんな美人を隠していらっしゃったなんて、なかなか隅には置けませんねぇ」

そう挨拶をして、ギュッとバルトルトの手を握りしめた。


 ザイスト王国と国境を接する重要な地を任されている侯爵だけれど、彼の信用は現在、地に落ちている。フォンティドルフ領には国境を警備するゴーダ王国軍とは別に領主軍を抱えているのだが、この領主軍が敵国と繋がっている証拠が出てきたからだ。


 敵がたった五万の兵士でフォンティドルフ領を占領しようとしたのも、領主軍の呼応があると確定しているから。軍部を預かるボスフェルト子飼いの子爵が敵に寝返っていたのだ。


 バルトルトの結婚式にはフォンティドルフに居を置く全ての貴族家を召集しているが、この中に裏切り者は何人も居るはずだ。


 フォンティドルフは信用がならない。それがバルトルトの判断であり、ゴーダ国の王もその意見には同意を示している。そのため、今回、隣国との衝突にフォンティドルフ領は一切関わっておらず、近隣の領の兵士ばかりが使われている。


 要するに、この戦いが無事に解決すれば、侯爵が納める領地は切り取られ、近隣の領主に下げ渡されるだろうし、侯爵自身、降爵もしくは爵位剥奪もあり得る話なのだ。


「こちらは妻のフローチェです」

「フローチェと申します、よろしくお願いいたします」


 フローチェは貴族令嬢と言ってもおかしくない作法を両親から教えられていたようで、貴族相手の挨拶でもボロを出すということがない。


 そつなく挨拶をこなす彼女を眺めながら、バルトルトの焦燥感が強くなる。端から端まで彼女を眺め続けているバルトルトが、全く喜びの感情を表さないフローチェに気が付かないわけがない。


 虚しさや諦め、悲嘆の色が浮かぶ自分の花嫁を見つめて、胸が掻きむしられるような気分に陥ってしまうのだ。


「祝砲ですかな?」

「さすが閣下の結婚式だ、華やかなものですな」


 国境警備隊は信用ならないが、全く敵を駆逐できないという訳では決してない。

 王国を守るために日々、精進をしているし、誇りを持って敵国ザイストを退けてきた歴史がある。


 敵軍の敗退は確実。敗走した兵士の中には、ティルブルクに潜入している仲間のアジトを目指す者も多いのに違いない。ティルブルクに巣食った敵を炙り出すための全体警護であり、敵軍との衝突が始まったということだろう。


 銃声や野砲が撃たれても、それは、王都から派遣された我儘な司令官の指示によるもの。無礼講で兵士たちが暴れ出す恐れもあるため、今日は家に引き篭もって外には出ないようにと街全体に通告をしている。


「フローチェ様、そろそろお化粧をお直ししませんと」

 兄が連れてきた侍女に声をかけられて、濁ったような眼差しでフローチェがバルトルトを見上げる。

「バルトさん、ちょっとだけ席を外しますね」

「いいよ、僕はいつまでも待っているから行ってきて」


 本当は化粧直しにも行かせたくない、自分の側から離したくない。そう思いながら護衛のカルラと共に移動する彼女の後ろ姿を見送ると、

「あの・・ハールマンさん、ちょっとだけお話しても宜しいでしょうか?」

と、フローチェの親友であるミランダが声をかけてきたのだった。



      ◇◇◇



 国境警備部隊を総括する司令官であり、伯爵家の三男、先祖代々平民のミランダには雲の上の人すぎる相手だけれど、どうしてもミランダは、この目の前の黒髪の男、女たちを魅了せずにはいられないアクアマリンの瞳を持つ、端正な顔立ちをした男に文句を言ってやらなければいけない。


「ハールマンさんは、フローチェが頭から紅茶をかけられたのを知っていますか?」


 お偉いさんの興味をこちらに向けるには、パンチがある内容を一発目にカマすのが肝心だ。後で恋人のポールがオロオロしているけれど、死なば諸共、不敬罪と言われたらポールも一緒に死んでもらおう。


「結婚式に出席するために、多くの貴族がティルブルクの街に集まりました。あれは、フローチェが直しに出した花嫁衣装を取りに行った日の事でした。お店で待ち構えていた様子の三人の令嬢は散々、平民のフローチェが結婚するのはそぐわない、浅ましいだの、恥を知れだの、フローチェのことを頭空っぽ女だの、罵っていたんです。さっきから貴方に向かって秋波を送り続けているあの三人ですけどね?」


 ミランダは三人の令嬢に向かって顎でしゃくりながら大胆に告げると、

「兵舎の方では、フローチェが尻軽女で、ハールマンさんが仕事で忙しくて不在の間は、次々に男を引っ張り込んでいるという根も葉もない噂が流れているそうですね」

と言ってため息を吐き出した。


「その根も葉もない噂の所為で、フローチェは男から暴力を受けそうになりました。たまたま私たちが居たから事なきを得ましたが、一人きりだったらどうなっていたか分かりません。そこのところ、フローチェから聞いていましたか?」


 真っ直ぐに見つめるミランダの視線を受け止めながら、そのどちらについてもバルトルトは知らないことに気が付いた。


 外に出るのが怖いと言い出したフローチェ、確かに敵と戦闘を開始しようという時に、狙われるのは上層部の伴侶となる。バルトルトは即座に護衛として信頼がおけるカルラ・バッケルを用意したが、すでにその前に被害が出ていたということか。


「御栄転となって本部に帰ったら、どうせ捨てる予定の花嫁なんでしょう?だったらもう、捨ててくれないかな?」

「ちょっと・・それはあまりにも失礼だって」


 あまりの話の展開に、慌てたポールがミランダの口を塞ぎにかかったけれど、その手を引き剥がしながら尚もミランダはしつこく続けた。


「正直言って、あんなフローチェを見ていたら黙ってらんない。ハールマンさん、貴方はフローチェのことをすでに利用し尽くしたでしょう?だったらもういいじゃん、今すぐ捨てて解放してくれないかな?」


「なんでそんな・・」


「王都まで連れて行く必要なんかないよ、このままじゃフローチェは幸せになれない。もう終わりにして置いて行ってくれないかな?」


「なんでそんなことを言うんだ・・」


 僕は、彼女を心の奥底から愛している。

 彼女と出会ってから僕の世界は一変したんだ。

 僕の中心に彼女が据え置かれて、彼女を中心に僕の世界は回っていく。

 捨てる?別れた方がいい?冗談じゃない!


 絶対に離さない、絶対に、絶対に彼女を生涯、離す気などないから、結婚式を強行してまで行ったんだ。なぜ僕が別れなければならない!なぜだ!


「バルトルト」

 周り全体が聞き耳を立てて、ことの成り行きを注視している中、兄のファビアンがバルトルトの肩を掴んだ。


 通常であれば、平民が貴族身分の人間にこんなことを言い出すのは許されない。彼女はすでに正式な妻であり、バルトルトの伴侶なのだ。彼女をバルトルトから引き離す権利が誰にある?


『ガシャーンッ』


 ガラスが割れる音と共に、発砲音が三発、響き渡る。

 発砲されたのは同じ敷地内、グイッと肩を引き寄せたファビアンはバルトルトに対して、

「確かにお前は彼女を利用しかしていない、そのやり方には反吐が出るよ」

と、言い出したのだった。

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